上 下
33 / 74
第4章 第二性

5話 相容れない存在

しおりを挟む
 大きく息を吸うと、濃い緑の香りを纏った森の清浄な空気が肺に満ちる。
 月あかりは煌々と大地を照らし、少し前まではあれほど絶望に満たされていたのに、今は急に視界がはっきりとしたような心地がしていた。
 文吉をはじめ蘇芳によくしてくれた町の人たち、そして、鉄郎のことを思い出せば、癒えきっていない傷口が開くような重たい痛みが走る。しかしその痛みも蘇芳の足を鈍らせることはなかった。
 行くあてがあるわけではなく、不安がないわけでもないけれど、見つけ出さなければならないと思った。
 ただあの瞳に、もう一度見つめられたい。言葉を交わしてみたい。どんな声でどんなことを話してくれるだろう。
 ようやく焦点を結んだその気持ちだけが、蘇芳を駆り立てていた。
 家を後にするときに持ち出した麻布に、確かめるようにもう一度鼻を近づける。
 清々しい香りは蘇芳の脳の奥を蕩かすような、それでいて胸を締め付けられるような、たまらない気持ちにさせた。

 発情はおさまり、見た目を変える程度の力は戻ってきた。
 しかし、いつまたそれが訪れるのか分からず、まるで患いの発作に怯える病人のような恐れが蘇芳の心にこびりついている。強烈な何かに突き動かされるのとは別のところで、人の前に姿を現すことが最後のところでどうしても怖くて仕方ない。
 けれど、蘇芳は人として生まれ、育てられ、あやかしの力が発現した後もミソラの元で何不自由ない暮らしをしていたのだ。それを、いきなり山の中で自力で生きていくのは、どう考えても無理だ。
 苦悶の末の選択だった。
 何かあればすぐに身を隠せるように、ひと所に定着しすぎないように気をつけながら、蘇芳は再び、人里へ降りた。
 着のみ着のままで飛び出してきてしまった蘇芳が、一からまた生活を立て直すのはそう簡単なことではなかった。
 どのくらいをどう走ったのか、ほとんど思い出せなかったから、ここがあの町からどのくらい離れているのかも分からない。思い出せたとしても文吉の家に自分のものを取りに帰る勇気もなかった。
 ——文吉さん……ごめん。
 今頃はきっと化け物を見たと、姿を消したのだから相違ないと噂が広まってしまっているだろう。自分にいつも笑顔を向けてくれていた鉄郎の豹変をはじめ、きっと顔見知りだった誰もが怯えた顔をしていると思うと、胸が潰れそうだった。
 化け物。決して人とは相容れない、かといってあやかしと共に生きることもできない、半端な存在。
 それでも、蘇芳は他に生き方を知らなかった。
 細々と薬草を摘んでは薬にして売り、その日その日の暮らしをしのぐ。
 蘇芳の薬は確かな効き目があったから、初めはただ同然で持っていかれていたのが次第に真っ当な値段で買い手がつくようにもなった。それでもなるべく人目につかないよう、特定の人と親しくならないよう、人々と距離をとっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】番解消された傷物Ωの愛し方【完結】

海林檎
BL
 強姦により無理やりうなじを噛まれ番にされたにもかかわらず勝手に解消されたΩは地獄の苦しみを一生味わうようになる。  誰かと番になる事はできず、フェロモンを出す事も叶わず、発情期も一人で過ごさなければならない。  唯一、番になれるのは運命の番となるαのみだが、見つけられる確率なんてゼロに近い。  それでもその夢物語を信じる者は多いだろう。 そうでなければ 「死んだ方がマシだ····」  そんな事を考えながら歩いていたら突然ある男に話しかけられ···· 「これを運命って思ってもいいんじゃない?」 そんな都合のいい事があっていいのだろうかと、少年は男の言葉を素直に受け入れられないでいた。 ※すみません長さ的に短編ではなく中編です

【R18】孕まぬΩは皆の玩具【完結】

海林檎
BL
子宮はあるのに卵巣が存在しない。 発情期はあるのに妊娠ができない。 番を作ることさえ叶わない。 そんなΩとして生まれた少年の生活は 荒んだものでした。 親には疎まれ味方なんて居ない。 「子供できないとか発散にはちょうどいいじゃん」 少年達はそう言って玩具にしました。 誰も救えない 誰も救ってくれない いっそ消えてしまった方が楽だ。 旧校舎の屋上に行った時に出会ったのは 「噂の玩具君だろ?」 陽キャの三年生でした。

幼馴染と興味本位で抜き合いしてしまったらそれがめちゃくちゃ気持ちよくて、更に快感を求めてセックスまでしてしまう話

すれすれ
BL
抜き合いもセックスも最初はドン引きだったけど、なんやかんや流されて気持ちよすぎてどハマりしてしまうありがちなやつです。 【全7話】 服の上からちん触り、手コキ、兜合わせ、寸止め、前立腺責め、結腸責め、連続絶頂、中出しetc ♡喘ぎ、濁点喘ぎ、汚喘ぎ、淫語盛り沢山。攻め喘ぎもあり。 【攻め】 翔吾(しょうご) 成績優秀イケメンのパーフェクト男子。受けとは幼馴染だが通ってる学校は違う。暇さえあれば受けの部屋に入り浸っている。好奇心旺盛で性欲強い。 【受け】 文希(ふみき) ごく普通の平凡男子。むっつりスケベの真面目くん。べったりな翔吾に呆れながらもなんだかんだ受け入れている。

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人

こじらせた処女
BL
 幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。 しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。 「風邪をひくことは悪いこと」 社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。 とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。 それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?

EDEN ―孕ませ―

豆たん
BL
目覚めた所は、地獄(エデン)だった―――。 平凡な大学生だった主人公が、拉致監禁され、不特定多数の男にひたすら孕ませられるお話です。 【ご注意】 ※この物語の世界には、「男子」と呼ばれる妊娠可能な少数の男性が存在しますが、オメガバースのような発情期・フェロモンなどはありません。女性の妊娠・出産とは全く異なるサイクル・仕組みになっており、作者の都合のいいように作られた独自の世界観による、倫理観ゼロのフィクションです。その点ご了承の上お読み下さい。 ※近親・出産シーンあり。女性蔑視のような発言が出る箇所があります。気になる方はお読みにならないことをお勧め致します。 ※前半はほとんどがエロシーンです。

人体薬物改造 雌開発

オロテンH太郎
BL
知らないうちに母親に売られ、薬でメス開発された大学生の伊藤君が元担任に調教確認レイプされる話

隷属神官の快楽記録

彩月野生
BL
魔族の集団に捕まり性奴隷にされた神官。 神に仕える者を憎悪する魔族クロヴィスに捕まった神官リアムは、陵辱され快楽漬けの日々を余儀なくされてしまうが、やがてクロヴィスを愛してしまう。敬愛する神官リュカまでも毒牙にかかり、リアムは身も心も蹂躙された。 ※流血、残酷描写、男性妊娠、出産描写含まれますので注意。 後味の良いラストを心がけて書いていますので、安心してお読みください。

お前らの相手は俺じゃない!

くろさき
BL
 大学2年生の鳳 京谷(おおとり きょうや)は、母・父・妹・自分の4人家族の長男。 しかし…ある日子供を庇ってトラック事故で死んでしまう……  暫くして目が覚めると、どうやら自分は赤ん坊で…妹が愛してやまない乙女ゲーム(🌹永遠の愛をキスで誓う)の世界に転生していた!? ※R18展開は『お前らの相手は俺じゃない!』と言う章からになっております。

処理中です...