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第4章 第二性
4話 見えないつながり、まだ知らない何か
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かけてもらった情けを無駄にはできない、と蘇芳は言い訳のように思った。
言い訳でもいい、何か蘇芳には理由が、すがるものが必要だった。
誰にも必要とされない、何の役にも立たない、空虚な器である自分がここにいる意味を求めてもいいと思える、何かが。
それが、蘇芳をここへ運んでくれた誰かなら、その誰かのために、今は生きようと思ったって、許されないだろうか。
ひと気のない、がらんとした空間。そこに確かに誰かが蘇芳を運んできたとかろうじて示すものは、蘇芳の身体にかかっていた布一枚だけだった。
粗織の麻でできたそれは、蘇芳や町の人々がよく使っていたものとよく似た、どこにでもあるありふれたものだ。せめて今だけでも、自分に情けをかけてくれた誰かを心の拠り所にしたいと思ったけれど、これだけではどんな人物だったのか推し量るのは難しかった。
半ば無意識に布を握りしめたまま、蘇芳は物思いに耽っていた。
全部悪い夢だったのだ、と思いたくなる。
自分は何か悪いものに取り憑かれて、幻覚を見せられて山へ入り、自分では人が到底来られないような深い山奥まで来たつもりで実際はごく浅いところですぐに行き倒れたのではないか。だからこそ誰か旅人が通りかかり、こうして運び込めるような民家もあったのだと考えれば、辻褄も合う。
しかし、布を握った己の手を見下ろすように俯いた蘇芳の視界に入る、汗を吸って肩から滑り落ちるひとふさの髪が、現実を突きつけた。いつの間に上った月が窓から差し込み、光を受けて夜目に痛いほど冷たく輝いている。
その白銀の色が、鉄郎の持ってきた提灯の火に照らされてぎらぎらと光を放っていたあの記憶は、忘れたくとも蘇芳の頭の中にこびりついていた。
「……」
あの時、何度試してもだめだった。もう一度、身体を巡る力を意識して集中し、目を瞑る。
目を開いた蘇芳の手に握られた髪の房は、先ほどまでが嘘のように鴉の羽のごとく黒々としていた。
ひく、としゃくりあげそうになり、蘇芳はそれを堪えようと、目を瞑って大きく息を吸い込む。
その時、ふわりと鼻を掠めた香りが蘇芳の意識を強く揺さぶった。
——この香り、どこかで……
胸がザワザワと波立ち、それが不吉なものなのか高揚からなのかもわからなくて、恐ろしく心細くなった。
水に沈めた木の葉が流れに巻き上げられて浮かぶように、目にも止まらぬ速さで記憶が舞い上がり、蘇芳の目の前を通り過ぎる。
唐突に、その中から前触れなく飛び出し、蘇芳の頭の中いっぱいに広がる光景があった。
「……!」
強い光を放つ、一対の黄金の瞳。こちらを捉え、見開かれたそれに、蘇芳は釘付けになった。
キン——という、あの空気の鳴る音。その記憶は、この香りを知っている。
何も、何一つはっきりと分からないのに、自分の意識の奥深くがずっと知っていたような、言葉にならない感覚に突き動かされる。
この瞳に、もう一度会いたい。会わなければいけない。
見えない何かがつながっている。自分のまだ知らない何かがある。唐突で激しい焦燥感に苛まれた。
胸が苦しくて、切なくて、痛い。今までずっと引っかかったままだった何か、鉄郎といたときも、ミソラが現れたときもずっとうっすらと感じていた違和感のような何かが、ここへきてスッと霧が晴れたような感覚になった。
感じたことのない強烈な何かに心が揺さぶられ、蘇芳の目からは涙が溢れた。
言い訳かもしれない。何かのせいにして、心を軽くしたいだけかもしれない。自分の思い込みじゃないという保証もない。
それでもいい、と思った。今はそれを支えにしたって、それくらい許されたっていいじゃないか。
やぶれかぶれのような気持ちだけれど、どうせ土にもなれない命だ。それに、この強烈な衝動には従う価値があるような気がした。
言い訳でもいい、何か蘇芳には理由が、すがるものが必要だった。
誰にも必要とされない、何の役にも立たない、空虚な器である自分がここにいる意味を求めてもいいと思える、何かが。
それが、蘇芳をここへ運んでくれた誰かなら、その誰かのために、今は生きようと思ったって、許されないだろうか。
ひと気のない、がらんとした空間。そこに確かに誰かが蘇芳を運んできたとかろうじて示すものは、蘇芳の身体にかかっていた布一枚だけだった。
粗織の麻でできたそれは、蘇芳や町の人々がよく使っていたものとよく似た、どこにでもあるありふれたものだ。せめて今だけでも、自分に情けをかけてくれた誰かを心の拠り所にしたいと思ったけれど、これだけではどんな人物だったのか推し量るのは難しかった。
半ば無意識に布を握りしめたまま、蘇芳は物思いに耽っていた。
全部悪い夢だったのだ、と思いたくなる。
自分は何か悪いものに取り憑かれて、幻覚を見せられて山へ入り、自分では人が到底来られないような深い山奥まで来たつもりで実際はごく浅いところですぐに行き倒れたのではないか。だからこそ誰か旅人が通りかかり、こうして運び込めるような民家もあったのだと考えれば、辻褄も合う。
しかし、布を握った己の手を見下ろすように俯いた蘇芳の視界に入る、汗を吸って肩から滑り落ちるひとふさの髪が、現実を突きつけた。いつの間に上った月が窓から差し込み、光を受けて夜目に痛いほど冷たく輝いている。
その白銀の色が、鉄郎の持ってきた提灯の火に照らされてぎらぎらと光を放っていたあの記憶は、忘れたくとも蘇芳の頭の中にこびりついていた。
「……」
あの時、何度試してもだめだった。もう一度、身体を巡る力を意識して集中し、目を瞑る。
目を開いた蘇芳の手に握られた髪の房は、先ほどまでが嘘のように鴉の羽のごとく黒々としていた。
ひく、としゃくりあげそうになり、蘇芳はそれを堪えようと、目を瞑って大きく息を吸い込む。
その時、ふわりと鼻を掠めた香りが蘇芳の意識を強く揺さぶった。
——この香り、どこかで……
胸がザワザワと波立ち、それが不吉なものなのか高揚からなのかもわからなくて、恐ろしく心細くなった。
水に沈めた木の葉が流れに巻き上げられて浮かぶように、目にも止まらぬ速さで記憶が舞い上がり、蘇芳の目の前を通り過ぎる。
唐突に、その中から前触れなく飛び出し、蘇芳の頭の中いっぱいに広がる光景があった。
「……!」
強い光を放つ、一対の黄金の瞳。こちらを捉え、見開かれたそれに、蘇芳は釘付けになった。
キン——という、あの空気の鳴る音。その記憶は、この香りを知っている。
何も、何一つはっきりと分からないのに、自分の意識の奥深くがずっと知っていたような、言葉にならない感覚に突き動かされる。
この瞳に、もう一度会いたい。会わなければいけない。
見えない何かがつながっている。自分のまだ知らない何かがある。唐突で激しい焦燥感に苛まれた。
胸が苦しくて、切なくて、痛い。今までずっと引っかかったままだった何か、鉄郎といたときも、ミソラが現れたときもずっとうっすらと感じていた違和感のような何かが、ここへきてスッと霧が晴れたような感覚になった。
感じたことのない強烈な何かに心が揺さぶられ、蘇芳の目からは涙が溢れた。
言い訳かもしれない。何かのせいにして、心を軽くしたいだけかもしれない。自分の思い込みじゃないという保証もない。
それでもいい、と思った。今はそれを支えにしたって、それくらい許されたっていいじゃないか。
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