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第3章 邂逅
3話 夏祭り
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夏も盛りを過ぎ、あちこちで先祖の魂を供養する祭りが行われる時期にさしかかろうという日の午後、蘇芳は頼まれていた薬を届けて店に戻ろうと歩いていた。
「わ、すみません……!」
どん、と肩が何かにぶつかった感触に、咄嗟に身体を引いて謝る。目に入った汗を拭きながら歩いていたせいで、目の前が一瞬おろそかになっていた。
ぶつかった相手は大きく屋号の入った印半纏を着た職人風の男で、どうやら花火師のようだ。大きな籠を抱えて歩いていたせいで、あちらも視界が悪かったのだろう。
先方は蘇芳の二回りは体格が大きく、ぶつかられたのもあまり分かっていなかったようで、蘇芳にちらと顔を向けただけでまたのしのしと歩いていってしまった。
「そうか、もうそんな時期か……」
この町では、町の端を流れる大きな川で打ち上げ花火が行われる。それを目当てに近隣の町からも見物客が押し寄せ、飴売りや髪飾りなど雑貨商が出店を出すような、それなりの規模を誇る一大行事だ。
昨年初めてこの祭りを経験した蘇芳は、それまで見たこともないほど大勢の人に揉まれて少し具合を悪くしてしまい、一緒にいた鉄郎にえらく心配されてしまった。
子どもらもこの日だけは滅多に食べられないような菓子をねだれる絶好の機会であり、大人たちにとっては日頃の雑事をひと時だけは忘れ、気心知れた仲間たちと好きなだけ食べ呑み語らう、なくてはならない日である。
そして、蘇芳たち青年にとって、夏祭りの夜は、密かに思い合う者どうしの逢引きが黙認され、そして慕う相手のいるものはその思いを告げる、年に一度最も興奮した噂話の飛び交う日であった。
——鉄郎は、どうするのかな……
あれから蘇芳は、ずっと何かにつけ鉄郎に結びつけて考えてしまうようになっていた。
結局、面と向かって鉄郎のいいなと思っている人、というのは聞けずじまいで、代わりに蘇芳は鉄郎の話に出てきたり、立ち話をしているところを見かけた相手の女性をこっそりと観察してはあの人ではないか、と弱気な想像を巡らせるばかりだ。
それに加えて、最近蘇芳はこれまでにない自分の欲求にも頭を悩ませていた。
——俺が何も言わなかったら、鉄郎は、俺を誘うだろうか。
鉄郎は優しい。頼めば、まず何だって嫌な顔ひとつせずにやってくれる。
そこが鉄郎のいいところでもあるのはもとよりなのだが、それは蘇芳でなくても、誰が相手でも同じだった。蘇芳はここ最近、鉄郎のそういうところを目にするたび、自分でもうまく理解できない、あまり楽しくない気持ちを感じていた。
遊ぶのでも、何かをしてくれるのでも、自分が言ったことをやってもらうのではなく、鉄郎からしたいと思って欲しい、というひどく回りくどい欲求が自分の中にあるのが分かる。
なぜそんなふうに思うようになってしまったのか、自分でもわからない。けれど、自分に合わせてくれているのではなく、鉄郎に望まれているのだと分かれば、安心できる気がした。
——もし、俺じゃなくて、誰か他の女の人を誘うなら、俺は、もう……
それこそ、決定的なしるしになる。もう、蘇芳がいつでも頼ってわがままを言っていい相手ではなくなるし、いずれ鉄郎がその人と世帯を持ち、子どもが生まれたら、蘇芳は友人として祝ってやるべき立場になるのだ。
それを思うと、蘇芳は胸が苦しくなった。蘇芳はいまだに、町の女性たちに興味が持てない。だからこれはきっと、鉄郎に置いていかれるのが寂しいのだ、と蘇芳は理解した。
——もし鉄郎が誘ってくれなかったら、俺はどうしようかな……。一人で行っても、きっとつまらないだろうし。
その想像はとても気の重たくなるもので、蘇芳はため息を誤魔化すようにもう一度額の汗を拭った。
「わ、すみません……!」
どん、と肩が何かにぶつかった感触に、咄嗟に身体を引いて謝る。目に入った汗を拭きながら歩いていたせいで、目の前が一瞬おろそかになっていた。
ぶつかった相手は大きく屋号の入った印半纏を着た職人風の男で、どうやら花火師のようだ。大きな籠を抱えて歩いていたせいで、あちらも視界が悪かったのだろう。
先方は蘇芳の二回りは体格が大きく、ぶつかられたのもあまり分かっていなかったようで、蘇芳にちらと顔を向けただけでまたのしのしと歩いていってしまった。
「そうか、もうそんな時期か……」
この町では、町の端を流れる大きな川で打ち上げ花火が行われる。それを目当てに近隣の町からも見物客が押し寄せ、飴売りや髪飾りなど雑貨商が出店を出すような、それなりの規模を誇る一大行事だ。
昨年初めてこの祭りを経験した蘇芳は、それまで見たこともないほど大勢の人に揉まれて少し具合を悪くしてしまい、一緒にいた鉄郎にえらく心配されてしまった。
子どもらもこの日だけは滅多に食べられないような菓子をねだれる絶好の機会であり、大人たちにとっては日頃の雑事をひと時だけは忘れ、気心知れた仲間たちと好きなだけ食べ呑み語らう、なくてはならない日である。
そして、蘇芳たち青年にとって、夏祭りの夜は、密かに思い合う者どうしの逢引きが黙認され、そして慕う相手のいるものはその思いを告げる、年に一度最も興奮した噂話の飛び交う日であった。
——鉄郎は、どうするのかな……
あれから蘇芳は、ずっと何かにつけ鉄郎に結びつけて考えてしまうようになっていた。
結局、面と向かって鉄郎のいいなと思っている人、というのは聞けずじまいで、代わりに蘇芳は鉄郎の話に出てきたり、立ち話をしているところを見かけた相手の女性をこっそりと観察してはあの人ではないか、と弱気な想像を巡らせるばかりだ。
それに加えて、最近蘇芳はこれまでにない自分の欲求にも頭を悩ませていた。
——俺が何も言わなかったら、鉄郎は、俺を誘うだろうか。
鉄郎は優しい。頼めば、まず何だって嫌な顔ひとつせずにやってくれる。
そこが鉄郎のいいところでもあるのはもとよりなのだが、それは蘇芳でなくても、誰が相手でも同じだった。蘇芳はここ最近、鉄郎のそういうところを目にするたび、自分でもうまく理解できない、あまり楽しくない気持ちを感じていた。
遊ぶのでも、何かをしてくれるのでも、自分が言ったことをやってもらうのではなく、鉄郎からしたいと思って欲しい、というひどく回りくどい欲求が自分の中にあるのが分かる。
なぜそんなふうに思うようになってしまったのか、自分でもわからない。けれど、自分に合わせてくれているのではなく、鉄郎に望まれているのだと分かれば、安心できる気がした。
——もし、俺じゃなくて、誰か他の女の人を誘うなら、俺は、もう……
それこそ、決定的なしるしになる。もう、蘇芳がいつでも頼ってわがままを言っていい相手ではなくなるし、いずれ鉄郎がその人と世帯を持ち、子どもが生まれたら、蘇芳は友人として祝ってやるべき立場になるのだ。
それを思うと、蘇芳は胸が苦しくなった。蘇芳はいまだに、町の女性たちに興味が持てない。だからこれはきっと、鉄郎に置いていかれるのが寂しいのだ、と蘇芳は理解した。
——もし鉄郎が誘ってくれなかったら、俺はどうしようかな……。一人で行っても、きっとつまらないだろうし。
その想像はとても気の重たくなるもので、蘇芳はため息を誤魔化すようにもう一度額の汗を拭った。
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