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第1章 血を引くもの
2話 夢
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気を失っていたらしい蘇芳が目を覚ました時、自分を覗き込む浮世離れした美しい姿に、蘇芳は本能的な畏怖の念を覚えた。
ここはどこですか、俺はどうして、みんなは、と錯乱する蘇芳に、自分のことをミソラ、と呼ぶように、それからお前の名は蘇芳としよう、あとは何も心配しなくてよいと、それだけを言って、その人は穏やかに微笑んだ。
自分の名前さえ思い出せない少年はその日から「蘇芳」となり、この屋敷で、主人と二人の生活を送っている。
蘇芳がするのは、主に主人であるミソラの身の回りの世話だ。
ミソラはおそらく身分の高い存在なのであろうと、その姿や仕草からまず、蘇芳はそう思った。屋敷だって蘇芳が見たこともないような立派な作りで、こんな屋敷なら使用人の二人や三人いそうなものなのに、主人はここに一人で住んでいるようだった。
屋敷の外は、見渡す限り山の中だ。家一軒見当たらない。
こんなところでどうやって生活できるのか不思議に思うところだが、その答えは蘇芳が疑問を抱く前に、はじめから蘇芳の目の前に示されていた。
——この方は、きっとヒトではない……
真っ白に輝く長い髪と、晴れた秋の空のように澄んだ青い瞳。
髪の色だけなら村の大婆様も同じ色をしていたが、ミソラの面立ちは若く美しかった。
声の低さは大人の男性のもので、しかし真ん中が縦に裂けた不思議な色の青い瞳、口を開いた時にちらりと覗く長い牙は、人よりも森の獣を彷彿とさせる。
ここへ来る直前の記憶がどうしても呼び起こせないが、おそらく山の神か、そうした存在に気まぐれで連れてこられてしまったのだ、と蘇芳は結論づけた。
村の子どもは皆、幼い頃からそうした類の話を大人に聞かされ続けて育つ。だが、そうしたものが実際に存在していることを、自分の身をもって経験するとは思ってもみなかった。
あたりに人の気配のないこの場所で、この方の機嫌を損ねたら自分はどうなるかわからない。そう思うとむやみに色々聞いてはいけないような気がして、蘇芳は黙々と日々主人に尽くしていた。
しかし不思議と、帰りたい、という強い欲求は湧かなかった。
郷愁を覚えようにも元いた場所の記憶が曖昧だというのもあったが、ここへ来る前のことを思い出そうとすると、なぜかいつもとても恐ろしいような心地がしたのだ。
帰れるのかどうかよりも、何かが喉に引っかかるようなそのもどかしい感覚が何によってもたらされるのか、そちらの方が蘇芳にとっては気になった。
それに加えてここ数日、蘇芳は妙な夢を見るようになっていた。
よく知っているはずの人たちが、突然自分を異質なものであるかのような目で見て、掴みかかってこようとするのから逃げる夢だ。
その夢はいつも、自分を取り囲む見知った顔が、みるみる青ざめていくところから始まった。
自分が何かをしたせいで、そうなったのだと夢の中で蘇芳は思う。
その夢を見る時は、決まって自分の悲鳴で目を覚ました。全身にびっしょりと汗をかいていて、動悸がおさまらない。
そうしているうちに、悲鳴を聞きつけたであろうミソラが現れ、蘇芳を落ち着かせるように汗を拭ってくれる。ミソラのひんやりとした手が額に触れると、ついさっきまで鮮明に感じていた恐怖がすうっと引いていき、蘇芳は再び眠りに落ちていく。
毎晩のように繰り返されるそれについて、ミソラが何も聞いてこないことに蘇芳は気づいていた。
毎晩自分の悲鳴に起こされて、小言の一つも言うか、あるいはそんな夢を見るような心当たりがあるのかと聞いてきそうなものなのに、ミソラはただ何も言わず、毎晩穏やかな仕草で蘇芳を寝かしつける。それがいっそ不気味だった。
ここはどこですか、俺はどうして、みんなは、と錯乱する蘇芳に、自分のことをミソラ、と呼ぶように、それからお前の名は蘇芳としよう、あとは何も心配しなくてよいと、それだけを言って、その人は穏やかに微笑んだ。
自分の名前さえ思い出せない少年はその日から「蘇芳」となり、この屋敷で、主人と二人の生活を送っている。
蘇芳がするのは、主に主人であるミソラの身の回りの世話だ。
ミソラはおそらく身分の高い存在なのであろうと、その姿や仕草からまず、蘇芳はそう思った。屋敷だって蘇芳が見たこともないような立派な作りで、こんな屋敷なら使用人の二人や三人いそうなものなのに、主人はここに一人で住んでいるようだった。
屋敷の外は、見渡す限り山の中だ。家一軒見当たらない。
こんなところでどうやって生活できるのか不思議に思うところだが、その答えは蘇芳が疑問を抱く前に、はじめから蘇芳の目の前に示されていた。
——この方は、きっとヒトではない……
真っ白に輝く長い髪と、晴れた秋の空のように澄んだ青い瞳。
髪の色だけなら村の大婆様も同じ色をしていたが、ミソラの面立ちは若く美しかった。
声の低さは大人の男性のもので、しかし真ん中が縦に裂けた不思議な色の青い瞳、口を開いた時にちらりと覗く長い牙は、人よりも森の獣を彷彿とさせる。
ここへ来る直前の記憶がどうしても呼び起こせないが、おそらく山の神か、そうした存在に気まぐれで連れてこられてしまったのだ、と蘇芳は結論づけた。
村の子どもは皆、幼い頃からそうした類の話を大人に聞かされ続けて育つ。だが、そうしたものが実際に存在していることを、自分の身をもって経験するとは思ってもみなかった。
あたりに人の気配のないこの場所で、この方の機嫌を損ねたら自分はどうなるかわからない。そう思うとむやみに色々聞いてはいけないような気がして、蘇芳は黙々と日々主人に尽くしていた。
しかし不思議と、帰りたい、という強い欲求は湧かなかった。
郷愁を覚えようにも元いた場所の記憶が曖昧だというのもあったが、ここへ来る前のことを思い出そうとすると、なぜかいつもとても恐ろしいような心地がしたのだ。
帰れるのかどうかよりも、何かが喉に引っかかるようなそのもどかしい感覚が何によってもたらされるのか、そちらの方が蘇芳にとっては気になった。
それに加えてここ数日、蘇芳は妙な夢を見るようになっていた。
よく知っているはずの人たちが、突然自分を異質なものであるかのような目で見て、掴みかかってこようとするのから逃げる夢だ。
その夢はいつも、自分を取り囲む見知った顔が、みるみる青ざめていくところから始まった。
自分が何かをしたせいで、そうなったのだと夢の中で蘇芳は思う。
その夢を見る時は、決まって自分の悲鳴で目を覚ました。全身にびっしょりと汗をかいていて、動悸がおさまらない。
そうしているうちに、悲鳴を聞きつけたであろうミソラが現れ、蘇芳を落ち着かせるように汗を拭ってくれる。ミソラのひんやりとした手が額に触れると、ついさっきまで鮮明に感じていた恐怖がすうっと引いていき、蘇芳は再び眠りに落ちていく。
毎晩のように繰り返されるそれについて、ミソラが何も聞いてこないことに蘇芳は気づいていた。
毎晩自分の悲鳴に起こされて、小言の一つも言うか、あるいはそんな夢を見るような心当たりがあるのかと聞いてきそうなものなのに、ミソラはただ何も言わず、毎晩穏やかな仕草で蘇芳を寝かしつける。それがいっそ不気味だった。
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