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第1章 血を引くもの
1話 記憶を失った少年
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恐怖に歪んだ、顔、顔、顔。
「ば、化け物……!」
誰かが漏らした、引き攣った呟きが、やけに大きく聞こえる。
呟きはざわざわと広がっていき、やがて人々が一斉に自分を凝視した。
異質なものを見る目。向かいの旅籠の主人、いつも遊んでくれていた気のいい兄貴分、お使いに行くたびこっそりお菓子をくれた小間物屋のおかみさん……見知った顔が、青ざめた表情で、自分を見つめている。
こちらを伺いながら声を潜めて何かを囁く声。あんな小さい子が、という言葉で、それが自分についてであること、しかも何かとてつもなく恐ろしいことだということだけが分かる。
ふっと辺りが静まり返り、場に充満した緊張感が、頂点を迎えた。はらはらと、紙吹雪のような桜の花びらだけが、無音の視界をちらちらと明滅する。
「う、わああああ……!」
自分の叫び声で目が覚めた。
バチッと見開いた瞳に映り込むのは、ようやく見慣れてきた天井だ。
はあ、はあ、と荒く息をついていると、暗闇に溶けていた部屋の隅の方から、ふわりと白いものが現れた。
「蘇芳」
低く、穏やかな声と共に、頭の上に手が乗せられる。
汗で張り付いた前髪を丁寧によけてくれる指はひんやりと冷たく、心地いい。
「ミソラ、さま」
蘇芳が掠れた声で答えると、頭上で微笑む気配がした。
暗がりの中でも白く輝く長い髪をさらさらと肩から落とし、その人影がかがみ込む。蘇芳が思わず目を閉じると、額にそっと何かが触れ、離れた。
蘇芳がここへ「来て」から、そろそろひと月ほどが経とうとしている。
いや、そんな気がするだけで、まだ数日なのかもしれないし、あるいはもう数ヶ月経っているのかもしれない。
ここはどこなのか、なぜ自分がここにいるのか、蘇芳は全く思い出せなかった。
気づいたら、自分はこの屋敷で、布団に寝かされていて、この屋敷の主人と思しき人に心配そうに覗き込まれていたのだ。
何とかぼんやりと思い出せるのは、村の風景。自分が生まれ育った村だ。
家族がいたような記憶もある。
どんな生活をしていたかは思い出せるのに、周りにいたはずの家族や近所の人たちの顔や声はどうしてかぼやけてしまっていた。思い出そうとすると色褪せて擦り切れていくようで、そのうちに蘇芳は諦めた。
それよりも、ここでの生活に慣れるので精一杯で、そんな余裕がなかったのも大きかったかもしれない。
「蘇芳」
名を呼ばれ、蘇芳はハッと我に返った。いつの間にかまた、ぼうっとしてしまっていた。
止まっていた手を慌てて動かそうとした拍子に机の脚の角にぶつけ、蘇芳は呻き声をあげる。見かねた様子で、部屋の奥に座っていた人影が立ち上がってこちらへ近づいてきた。ぶつけて赤くなっている蘇芳の手がそっと持ち上げられ、ふっ、と息が吹きかけられると、じんじんとした痛みは綺麗になくなる。
「そこはもういいよ。気になるのなら、続きは後でしなさい」
穏やかな声が労わるようにかけられる。それより、茶を沸かしてくれるかい、という声に、蘇芳は手にしていた小さな箒を慌てて片付け、茶器を用意しに奥の部屋へと急いで向かった。
教えられた通りに茶葉を器にあけ、少し冷ました湯を注ぐ。頃合いを見計らって淹れた茶を盆に乗せ、先ほどの部屋へ戻って、座卓の上にことりと置いた。
優美な仕草で茶器が持ち上げられ、中身が口に含まれるのを固唾を飲んで見守る。
「うん、美味しいよ。上手になったね、蘇芳」
ふわりと笑みを浮かべた顔は、幼い頃に聞いた物語に出てくる天女様そのものだ。
この人こそ、蘇芳が今身を寄せているこの屋敷の主人であり、蘇芳が頼ることのできる唯一だった。
「ば、化け物……!」
誰かが漏らした、引き攣った呟きが、やけに大きく聞こえる。
呟きはざわざわと広がっていき、やがて人々が一斉に自分を凝視した。
異質なものを見る目。向かいの旅籠の主人、いつも遊んでくれていた気のいい兄貴分、お使いに行くたびこっそりお菓子をくれた小間物屋のおかみさん……見知った顔が、青ざめた表情で、自分を見つめている。
こちらを伺いながら声を潜めて何かを囁く声。あんな小さい子が、という言葉で、それが自分についてであること、しかも何かとてつもなく恐ろしいことだということだけが分かる。
ふっと辺りが静まり返り、場に充満した緊張感が、頂点を迎えた。はらはらと、紙吹雪のような桜の花びらだけが、無音の視界をちらちらと明滅する。
「う、わああああ……!」
自分の叫び声で目が覚めた。
バチッと見開いた瞳に映り込むのは、ようやく見慣れてきた天井だ。
はあ、はあ、と荒く息をついていると、暗闇に溶けていた部屋の隅の方から、ふわりと白いものが現れた。
「蘇芳」
低く、穏やかな声と共に、頭の上に手が乗せられる。
汗で張り付いた前髪を丁寧によけてくれる指はひんやりと冷たく、心地いい。
「ミソラ、さま」
蘇芳が掠れた声で答えると、頭上で微笑む気配がした。
暗がりの中でも白く輝く長い髪をさらさらと肩から落とし、その人影がかがみ込む。蘇芳が思わず目を閉じると、額にそっと何かが触れ、離れた。
蘇芳がここへ「来て」から、そろそろひと月ほどが経とうとしている。
いや、そんな気がするだけで、まだ数日なのかもしれないし、あるいはもう数ヶ月経っているのかもしれない。
ここはどこなのか、なぜ自分がここにいるのか、蘇芳は全く思い出せなかった。
気づいたら、自分はこの屋敷で、布団に寝かされていて、この屋敷の主人と思しき人に心配そうに覗き込まれていたのだ。
何とかぼんやりと思い出せるのは、村の風景。自分が生まれ育った村だ。
家族がいたような記憶もある。
どんな生活をしていたかは思い出せるのに、周りにいたはずの家族や近所の人たちの顔や声はどうしてかぼやけてしまっていた。思い出そうとすると色褪せて擦り切れていくようで、そのうちに蘇芳は諦めた。
それよりも、ここでの生活に慣れるので精一杯で、そんな余裕がなかったのも大きかったかもしれない。
「蘇芳」
名を呼ばれ、蘇芳はハッと我に返った。いつの間にかまた、ぼうっとしてしまっていた。
止まっていた手を慌てて動かそうとした拍子に机の脚の角にぶつけ、蘇芳は呻き声をあげる。見かねた様子で、部屋の奥に座っていた人影が立ち上がってこちらへ近づいてきた。ぶつけて赤くなっている蘇芳の手がそっと持ち上げられ、ふっ、と息が吹きかけられると、じんじんとした痛みは綺麗になくなる。
「そこはもういいよ。気になるのなら、続きは後でしなさい」
穏やかな声が労わるようにかけられる。それより、茶を沸かしてくれるかい、という声に、蘇芳は手にしていた小さな箒を慌てて片付け、茶器を用意しに奥の部屋へと急いで向かった。
教えられた通りに茶葉を器にあけ、少し冷ました湯を注ぐ。頃合いを見計らって淹れた茶を盆に乗せ、先ほどの部屋へ戻って、座卓の上にことりと置いた。
優美な仕草で茶器が持ち上げられ、中身が口に含まれるのを固唾を飲んで見守る。
「うん、美味しいよ。上手になったね、蘇芳」
ふわりと笑みを浮かべた顔は、幼い頃に聞いた物語に出てくる天女様そのものだ。
この人こそ、蘇芳が今身を寄せているこの屋敷の主人であり、蘇芳が頼ることのできる唯一だった。
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