4 / 6
04. 人に恋したセイレーン
しおりを挟む
それからというもの、レトはめっきりとふさぎ込んだ。誰ともあまり口をきかず、時々、思い出したようにぼろぼろと泣く。一度泣き出すと、泣き疲れて眠るまで止まらなかった。
人間を食べることも、できなくなった。どんなに見た目が違っていても、思い出してしまって、食べ物として見ることができない。どうかしたのかと心配した仲間に声をかけられても、ただ黙って頭を振るしかできなかった。やがてそんなレトに声をかけるものはいなくなり、誰もが自分のことを腫物のように思っているのが分かった。世界の全てが、レトを苦しめにかかっているようだった。
そうしてレトは、どんどんと痩せ衰えていった。
セイレーンが人間を食べずに生命を維持しようと思えば、大量の魚を食べ続けなくてはならず、現実的にはほぼ不可能だ。このままでいれば、自分がそう遠くないうちに死ぬことはレトにもわかっていた。
レトは、自分がセイレーンとして生まれてきたことを、初めて憎んだ。なぜ王子と同じ、人間に生まれてこなかったのか。このまま生きていても、あの瞳に自分を映してもらうことが叶わないのなら、こんな命など無意味だった。
目が溶けるのではないかと思うほどに泣き、いつしか意識が曖昧になり、いっそこのまま海が生まれる場所へ還れたら、とぼんやり思っていたレトの耳に、聞き慣れた声が響いてきた。
「レト、レート!! ……いい加減にしなさいよ!!」
「ディー、ネ……」
もう何日も誰とも話していなかったから、掠れてうまく声が出ない。涙の膜でかすむ視界に、幼馴染の心配そうな顔が映った。荒っぽい口調の割に、レトの肩に置かれた手は遠慮がちで、ディーネの心の中を表しているようだった。
「レト、あんたこのまま死ぬ気じゃないでしょうね?」
そうだ、と言いたかったが、言葉を発する気力も残っていないのと、ディーネの剣幕に圧されて何も言えない。
黙ったままのレトにディーネはため息をつくと、手に持っていた小袋をあけて中身を取り出し、手のひらに乗せて差し出した。
「とりあえず、これ飲んで。伯母さまに頼み込んで、分けてもらったんだから」
黒っぽい色をした塊に見えるそれをなんとか飲み込んだレトは、じわっと身体が熱くなるのを感じた。
「これは……?」
「伯母さま特製の滋養強壮剤よ。ウミマムシとか、ペングサの粉末とか、色々入ってる」
「おぇ……」
中身を聞かなければよかったと思ったレトだったが、確かに、動かせなかった身体に力が戻ってきたような気がする。
「さて、ここからが本題なわけだけど」
咳払いをして、ディーネがじろっとレトの顔を見た。
「レト、あれでしょ。恋煩い」
「ゲッホ、ゲホ、ゴホッ」
ディーネの口から出た思いもよらない言葉にむせたレトは、今度こそ飲み込んだ塊を戻しそうになる。
「なん……で」
「だって、レト、分かりやすいんだもの。あの船が来た日、レトだけ歌わずに、ずっとあの若い人間を見てた。みんなが食べてる間いきなりいなくなって、丸一日以上帰ってこなかった。で、帰ってきたらこれでしょ。分かりやすすぎ」
幼馴染の鋭い指摘に、レトは声もない。
「でも」
「セイレーンなのにおかしいって言いたいんでしょ。だいたいあんたの考えそうなことくらいわかるわよ。……でも、人間に恋をしたセイレーンは、レトが初めてじゃないわ」
「えっ」
レトは目を見開いた。そんなの初耳だ。レトの反応に、ディーネは肩をすくめる。
「って言っても、私もおとぎ話として聞いたことがあるだけだけどね。その昔、人間に恋をしたセイレーンがいたんだって。そのセイレーンはどうしても人間になりたくて、秘密の術を使って人間に姿を変えてもらったんだって」
「それで……そのセイレーンは、どうなったの」
「あんまり細かいことは覚えてないんだけど……結局その人間には会えるんだけど、恋は叶うことなく、最後はセイレーンにも戻れなくて死んじゃうって結末だった気がする」
「そんな……」
あまりにも悲しい終わり方に、レトは胸が締め付けられる思いだった。でも、もし恋が叶わなくても、焦がれた人にどうにかして会いたいと思うそのセイレーンの気持ちはレトにも痛いほど分かる。もしそんな術があるのなら、レトだって迷いなく人間になることを選ぶだろう。
「まあ、けど、それはお話の世界のことだもんね……」
現実にそんな都合のいい術が転がっているわけがない。とはいえ、人間に恋することは決しておかしいことではないと慰めてくれようとしたディーネの心遣いは、レトの心に沁みた。
レトがありがとう、と伝えようとすると、それを押しとどめるように、ディーネが手を振る。
「違うの、話はそれだけじゃなくって」
「何?」
「私、レトを精霊のところへ連れて行きたいの」
人間を食べることも、できなくなった。どんなに見た目が違っていても、思い出してしまって、食べ物として見ることができない。どうかしたのかと心配した仲間に声をかけられても、ただ黙って頭を振るしかできなかった。やがてそんなレトに声をかけるものはいなくなり、誰もが自分のことを腫物のように思っているのが分かった。世界の全てが、レトを苦しめにかかっているようだった。
そうしてレトは、どんどんと痩せ衰えていった。
セイレーンが人間を食べずに生命を維持しようと思えば、大量の魚を食べ続けなくてはならず、現実的にはほぼ不可能だ。このままでいれば、自分がそう遠くないうちに死ぬことはレトにもわかっていた。
レトは、自分がセイレーンとして生まれてきたことを、初めて憎んだ。なぜ王子と同じ、人間に生まれてこなかったのか。このまま生きていても、あの瞳に自分を映してもらうことが叶わないのなら、こんな命など無意味だった。
目が溶けるのではないかと思うほどに泣き、いつしか意識が曖昧になり、いっそこのまま海が生まれる場所へ還れたら、とぼんやり思っていたレトの耳に、聞き慣れた声が響いてきた。
「レト、レート!! ……いい加減にしなさいよ!!」
「ディー、ネ……」
もう何日も誰とも話していなかったから、掠れてうまく声が出ない。涙の膜でかすむ視界に、幼馴染の心配そうな顔が映った。荒っぽい口調の割に、レトの肩に置かれた手は遠慮がちで、ディーネの心の中を表しているようだった。
「レト、あんたこのまま死ぬ気じゃないでしょうね?」
そうだ、と言いたかったが、言葉を発する気力も残っていないのと、ディーネの剣幕に圧されて何も言えない。
黙ったままのレトにディーネはため息をつくと、手に持っていた小袋をあけて中身を取り出し、手のひらに乗せて差し出した。
「とりあえず、これ飲んで。伯母さまに頼み込んで、分けてもらったんだから」
黒っぽい色をした塊に見えるそれをなんとか飲み込んだレトは、じわっと身体が熱くなるのを感じた。
「これは……?」
「伯母さま特製の滋養強壮剤よ。ウミマムシとか、ペングサの粉末とか、色々入ってる」
「おぇ……」
中身を聞かなければよかったと思ったレトだったが、確かに、動かせなかった身体に力が戻ってきたような気がする。
「さて、ここからが本題なわけだけど」
咳払いをして、ディーネがじろっとレトの顔を見た。
「レト、あれでしょ。恋煩い」
「ゲッホ、ゲホ、ゴホッ」
ディーネの口から出た思いもよらない言葉にむせたレトは、今度こそ飲み込んだ塊を戻しそうになる。
「なん……で」
「だって、レト、分かりやすいんだもの。あの船が来た日、レトだけ歌わずに、ずっとあの若い人間を見てた。みんなが食べてる間いきなりいなくなって、丸一日以上帰ってこなかった。で、帰ってきたらこれでしょ。分かりやすすぎ」
幼馴染の鋭い指摘に、レトは声もない。
「でも」
「セイレーンなのにおかしいって言いたいんでしょ。だいたいあんたの考えそうなことくらいわかるわよ。……でも、人間に恋をしたセイレーンは、レトが初めてじゃないわ」
「えっ」
レトは目を見開いた。そんなの初耳だ。レトの反応に、ディーネは肩をすくめる。
「って言っても、私もおとぎ話として聞いたことがあるだけだけどね。その昔、人間に恋をしたセイレーンがいたんだって。そのセイレーンはどうしても人間になりたくて、秘密の術を使って人間に姿を変えてもらったんだって」
「それで……そのセイレーンは、どうなったの」
「あんまり細かいことは覚えてないんだけど……結局その人間には会えるんだけど、恋は叶うことなく、最後はセイレーンにも戻れなくて死んじゃうって結末だった気がする」
「そんな……」
あまりにも悲しい終わり方に、レトは胸が締め付けられる思いだった。でも、もし恋が叶わなくても、焦がれた人にどうにかして会いたいと思うそのセイレーンの気持ちはレトにも痛いほど分かる。もしそんな術があるのなら、レトだって迷いなく人間になることを選ぶだろう。
「まあ、けど、それはお話の世界のことだもんね……」
現実にそんな都合のいい術が転がっているわけがない。とはいえ、人間に恋することは決しておかしいことではないと慰めてくれようとしたディーネの心遣いは、レトの心に沁みた。
レトがありがとう、と伝えようとすると、それを押しとどめるように、ディーネが手を振る。
「違うの、話はそれだけじゃなくって」
「何?」
「私、レトを精霊のところへ連れて行きたいの」
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
黄色い水仙を君に贈る
えんがわ
BL
──────────
「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」
「ああ、そうだな」
「っ……ばいばい……」
俺は……ただっ……
「うわああああああああ!」
君に愛して欲しかっただけなのに……
【完結】運命さんこんにちは、さようなら
ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。
とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。
==========
完結しました。ありがとうございました。
【完結】はじめてできた友だちは、好きな人でした
月音真琴
BL
完結しました。ピュアな高校の同級生同士。友達以上恋人未満な関係。
人付き合いが苦手な仲谷皇祐(なかたにこうすけ)は、誰かといるよりも一人でいる方が楽だった。
高校に入学後もそれは同じだったが、購買部の限定パンを巡ってクラスメートの一人小此木敦貴(おこのぎあつき)に懐かれてしまう。
一人でいたいのに、強引に誘われて敦貴と共に過ごすようになっていく。
はじめての友だちと過ごす日々は楽しいもので、だけどつまらない自分が敦貴を独占していることに申し訳なくて。それでも敦貴は友だちとして一緒にいてくれることを選んでくれた。
次第に皇祐は嬉しい気持ちとは別に違う感情が生まれていき…。
――僕は、敦貴が好きなんだ。
自分の気持ちに気づいた皇祐が選んだ道とは。
エブリスタ様にも掲載しています(完結済)
エブリスタ様にてトレンドランキング BLジャンル・日間90位
◆「第12回BL小説大賞」に参加しています。
応援していただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
ピュアな二人が大人になってからのお話も連載はじめました。よかったらこちらもどうぞ。
『迷いと絆~友情か恋愛か、親友との揺れる恋物語~』
https://www.alphapolis.co.jp/novel/416124410/923802748
【第1章完結】悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!
梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!?
【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】
▼第2章2025年1月18日より投稿予定
▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。
▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
婚約破棄したら隊長(♂)に愛をささやかれました
ヒンメル
BL
フロナディア王国デルヴィーニュ公爵家嫡男ライオネル・デルヴィーニュ。
愛しの恋人(♀)と婚約するため、親に決められた婚約を破棄しようとしたら、荒くれ者の集まる北の砦へ一年間行かされることに……。そこで人生を変える出会いが訪れる。
*****************
「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく(https://www.alphapolis.co.jp/novel/221439569/703283996)」の番外編です。ライオネルと北の砦の隊長の後日談ですが、BL色が強くなる予定のため独立させてます。単体でも分かるように書いたつもりですが、本編を読んでいただいた方がわかりやすいと思います。
※「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく」の他の番外編よりBL色が強い話になりました(特に第八話)ので、苦手な方は回避してください。
※完結済にした後も読んでいただいてありがとうございます。
評価やブックマーク登録をして頂けて嬉しいです。
※小説家になろう様でも公開中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる