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37. 許された領域
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「……大丈夫だ」
何からどう話そうか、と悩んだ挙句、こんな切り出し方になってしまった。将吾は次に言うべき言葉を探しながら、手の中の缶コーヒーの縁を指の腹で撫でる。
「……何が」
東堂は目線をちらと上げてそう言っただけで、黙って続きを促した。
——前だったら、間違いなく〝余計なお世話だ〟とかが飛んでくるとこだよなぁ……。
東堂は自分の能力に絶対の自信があり、だからこそ自分の限界もわきまえている。それゆえに、他人から心配されるのは、プライドを傷つけられることと同義だ。……というのは表向きの顔で、実際は、そう振る舞うことしかできなかったのだろう。今更他人に頼りたくなっても、やり方が分からないに違いない。そういう分野なら、自分にも多少教えられることがありそうだと思う。自分が東堂に教えられることがあるのが新鮮で、むずむずするほど嬉しかった。
「あの時と今は違うし、……それに何かあっても、今のお前はもう大丈夫だろ」
何を言っても、気休めにしかならないのかもしれない。それでも、将吾は伝えたかった。気休めだと思うかどうかは、東堂の決めることだ。
東堂は、視線を微妙に逸らしたままなんとも言えない微妙な表情をしている。けれどその様子は、どこか前向きなものに見えた。
知ったようなことを、と鼻で笑うことだって、お前に何がわかる、と心を閉ざすことだってできるのに、そうはしていない。将吾の言葉を受け止め、それに対して自分がどう向き合うのか、考えようとしてくれている。それが、無性に嬉しい。
東堂は、ちゃんと一歩踏み出している。将吾という他人に、自分の領域に踏み込むことを許した。自分を傷つけようと思えばそうできる範囲まで将吾を受け入れ、拒絶しなかった。今ここで、誰の目もない場所で二人でいても、東堂の態度がぎこちなさこそあれ、警戒や嫌悪のそれではないことから、それがよくわかる。
将吾にはそのことがとても愛おしかった。もちろんそれだけで「もう大丈夫」にはならなかったとしても、少なくとも、前とは同じにはならない。
——それに……、今は、俺もいる。
将吾は心の中で小さく、付け加えた。付け加えてから、一拍おいて猛烈な恥ずかしさに襲われる。誤魔化すように勢いよく缶コーヒーを一気にあおって、案の定咽せる将吾に、東堂の冷たい視線が突き刺さった。
「話がそれだけなら、もう俺は戻る。お前もいつまでも油を売っているなよ」
将吾が百面相をしている間に、とうに自分の分は飲み終わったらしい東堂は缶をゴミ箱に放り込み、後ろも振り返らずに大股で休憩室を出ていく。ろくに会話もできなかったが、それでもこの時間に意味はあったと、東堂の背中を見て将吾は思っていた。
何からどう話そうか、と悩んだ挙句、こんな切り出し方になってしまった。将吾は次に言うべき言葉を探しながら、手の中の缶コーヒーの縁を指の腹で撫でる。
「……何が」
東堂は目線をちらと上げてそう言っただけで、黙って続きを促した。
——前だったら、間違いなく〝余計なお世話だ〟とかが飛んでくるとこだよなぁ……。
東堂は自分の能力に絶対の自信があり、だからこそ自分の限界もわきまえている。それゆえに、他人から心配されるのは、プライドを傷つけられることと同義だ。……というのは表向きの顔で、実際は、そう振る舞うことしかできなかったのだろう。今更他人に頼りたくなっても、やり方が分からないに違いない。そういう分野なら、自分にも多少教えられることがありそうだと思う。自分が東堂に教えられることがあるのが新鮮で、むずむずするほど嬉しかった。
「あの時と今は違うし、……それに何かあっても、今のお前はもう大丈夫だろ」
何を言っても、気休めにしかならないのかもしれない。それでも、将吾は伝えたかった。気休めだと思うかどうかは、東堂の決めることだ。
東堂は、視線を微妙に逸らしたままなんとも言えない微妙な表情をしている。けれどその様子は、どこか前向きなものに見えた。
知ったようなことを、と鼻で笑うことだって、お前に何がわかる、と心を閉ざすことだってできるのに、そうはしていない。将吾の言葉を受け止め、それに対して自分がどう向き合うのか、考えようとしてくれている。それが、無性に嬉しい。
東堂は、ちゃんと一歩踏み出している。将吾という他人に、自分の領域に踏み込むことを許した。自分を傷つけようと思えばそうできる範囲まで将吾を受け入れ、拒絶しなかった。今ここで、誰の目もない場所で二人でいても、東堂の態度がぎこちなさこそあれ、警戒や嫌悪のそれではないことから、それがよくわかる。
将吾にはそのことがとても愛おしかった。もちろんそれだけで「もう大丈夫」にはならなかったとしても、少なくとも、前とは同じにはならない。
——それに……、今は、俺もいる。
将吾は心の中で小さく、付け加えた。付け加えてから、一拍おいて猛烈な恥ずかしさに襲われる。誤魔化すように勢いよく缶コーヒーを一気にあおって、案の定咽せる将吾に、東堂の冷たい視線が突き刺さった。
「話がそれだけなら、もう俺は戻る。お前もいつまでも油を売っているなよ」
将吾が百面相をしている間に、とうに自分の分は飲み終わったらしい東堂は缶をゴミ箱に放り込み、後ろも振り返らずに大股で休憩室を出ていく。ろくに会話もできなかったが、それでもこの時間に意味はあったと、東堂の背中を見て将吾は思っていた。
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