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34. 都合のよすぎる現実
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「食えそうにないなら、水分だけでもとっておけ」
袋を抱えたまま動かない将吾にしびれをきらしたらしい東堂が、そう言うとスポーツドリンクのペットボトルを袋から引き抜いた。それを将吾の胸に乱暴に押し付けて、残りをまとめて持ち上げる。どうするのかと将吾が見ていると、東堂はスタスタとキッチンの方へ歩いて行き、冷蔵庫を開けてしゃがみ込んだ。
——……う、わあ……。
東堂が、買ってきたものを丁寧に冷蔵庫にしまっている。甲斐甲斐しいにもほどがないだろうか。これがあの嫌味男と同一人物で合っているのか。あまりに信じられない出来事が連続しすぎて、将吾は自分の頬をつねった。
——普通に痛え。あと髭生えてんな……。
夢でも痛いと思うことはあるかもしれないが、さすがに不精髭はリアリティがありすぎる。どうやら、これは現実であるようだった。
こんな自分に都合のいい現実があるもんなんだな……と思いながら、将吾はまだ半ば夢心地のまま東堂の背中を見つめる。じっと背中に注がれる視線を感じたのか、東堂がこちらを振り向き、ぎょっとした顔をした。
「何だ、そんなにやにやして。何がおかしい。気色悪い顔で見るな!」
にやにやしていたつもりはないし、人の顔をつかまえて気色悪いとは酷い言いようだが、そんな罵倒すら今の将吾には春のそよ風のようにしか感じられなかった。本気で嫌悪しているわけでも怒っているのでもないのが、その表情から分かるからだ。そんな顔を見せられたら、もう、居ても立っても居られない。
考える前に、体が動いていた。
いきなりベッドから降りて自分の方へ向かってくる将吾に、東堂は訝しげな顔になり、手を止める。将吾は東堂の手から栄養ドリンクの瓶をひょいと取り上げると、適当なスペースに放り込んで冷蔵庫の扉を閉め、しゃがみ込んで東堂の顔を正面から見つめた。
「なん……」
東堂の言葉が終わる前に、将吾は身を乗り出して片手を持ち上げ、そっと東堂の頬に触れる。
「っ……」
小さく息を飲んで目を見開いた東堂だが、将吾の手を振り払うことも、顔を背けることもしなかった。ただ、伏せた目の横、将吾の指が触れている頬が、耳が、じわじわと熱くなっていく。指先から伝わる東堂の肌の熱に、将吾は胸がいっぱいになった。
「やっぱり」
ため息をつくような声で、将吾は言った。こんな触れ方、ただの同僚ならしない。体格的にも今の体勢的にも、将吾がその気になれば東堂をこの場で押さえ込むことができる。そう分かっていて、東堂は拒絶していない。こんな東堂は、自分しか知らないのだ。心臓がめちゃめちゃに脈打っている。
「……な、にが」
将吾につられたのか、東堂も小さな声で聞き返した。そのささやくようなトーンがまた、将吾の胸をかき乱す。
「俺のこと、こうして触っても、振り払ったりしてない。昨日の夜も、立ちくらみ起こしたお前を咄嗟に抱きかかえたけど、俺のことを突き飛ばさなかった。気づいてなかったか?」
——東堂くんは男性に腕を掴まれるとか、要は暴行を連想させるようなことをされるのがダメになっちゃったみたいなのよ。
将吾に休憩室で事情を教えてくれた女性社員の声が蘇る。あの時の若手社員は東堂の腕を掴んで突き飛ばされたのだと言っていた。
それがだめなら、昨日の将吾の行動も、今こうして東堂を囲い込むようにして触れているのも、当然アウトなはずだ。そうはなっていない、ということが意味するもの。込み上げるものを逃すように、将吾は熱いため息を吐いた。
東堂は指摘されて初めて気づいたように、目が泳いでいる。将吾の言ったことが示すものを受け止めきれていないのが、表情から丸わかりだ。口を開けたり閉じたりしているが、言葉はいっこうに出てくる気配がない。それでも、湯気が出そうなほど真っ赤な顔が、東堂の心の中を十分物語っていた。
——っ、こんなの、反則だろ……。
囲い込んだ腕の中で茹で蛸のようになって狼狽えている東堂を、可愛いと思ってしまう自分がいる。あんなに冷徹で、完璧で、孤高の存在だった東堂が。
もう、将吾の中にまともに物事を考える余裕なんてとっくに無くなっていた。
袋を抱えたまま動かない将吾にしびれをきらしたらしい東堂が、そう言うとスポーツドリンクのペットボトルを袋から引き抜いた。それを将吾の胸に乱暴に押し付けて、残りをまとめて持ち上げる。どうするのかと将吾が見ていると、東堂はスタスタとキッチンの方へ歩いて行き、冷蔵庫を開けてしゃがみ込んだ。
——……う、わあ……。
東堂が、買ってきたものを丁寧に冷蔵庫にしまっている。甲斐甲斐しいにもほどがないだろうか。これがあの嫌味男と同一人物で合っているのか。あまりに信じられない出来事が連続しすぎて、将吾は自分の頬をつねった。
——普通に痛え。あと髭生えてんな……。
夢でも痛いと思うことはあるかもしれないが、さすがに不精髭はリアリティがありすぎる。どうやら、これは現実であるようだった。
こんな自分に都合のいい現実があるもんなんだな……と思いながら、将吾はまだ半ば夢心地のまま東堂の背中を見つめる。じっと背中に注がれる視線を感じたのか、東堂がこちらを振り向き、ぎょっとした顔をした。
「何だ、そんなにやにやして。何がおかしい。気色悪い顔で見るな!」
にやにやしていたつもりはないし、人の顔をつかまえて気色悪いとは酷い言いようだが、そんな罵倒すら今の将吾には春のそよ風のようにしか感じられなかった。本気で嫌悪しているわけでも怒っているのでもないのが、その表情から分かるからだ。そんな顔を見せられたら、もう、居ても立っても居られない。
考える前に、体が動いていた。
いきなりベッドから降りて自分の方へ向かってくる将吾に、東堂は訝しげな顔になり、手を止める。将吾は東堂の手から栄養ドリンクの瓶をひょいと取り上げると、適当なスペースに放り込んで冷蔵庫の扉を閉め、しゃがみ込んで東堂の顔を正面から見つめた。
「なん……」
東堂の言葉が終わる前に、将吾は身を乗り出して片手を持ち上げ、そっと東堂の頬に触れる。
「っ……」
小さく息を飲んで目を見開いた東堂だが、将吾の手を振り払うことも、顔を背けることもしなかった。ただ、伏せた目の横、将吾の指が触れている頬が、耳が、じわじわと熱くなっていく。指先から伝わる東堂の肌の熱に、将吾は胸がいっぱいになった。
「やっぱり」
ため息をつくような声で、将吾は言った。こんな触れ方、ただの同僚ならしない。体格的にも今の体勢的にも、将吾がその気になれば東堂をこの場で押さえ込むことができる。そう分かっていて、東堂は拒絶していない。こんな東堂は、自分しか知らないのだ。心臓がめちゃめちゃに脈打っている。
「……な、にが」
将吾につられたのか、東堂も小さな声で聞き返した。そのささやくようなトーンがまた、将吾の胸をかき乱す。
「俺のこと、こうして触っても、振り払ったりしてない。昨日の夜も、立ちくらみ起こしたお前を咄嗟に抱きかかえたけど、俺のことを突き飛ばさなかった。気づいてなかったか?」
——東堂くんは男性に腕を掴まれるとか、要は暴行を連想させるようなことをされるのがダメになっちゃったみたいなのよ。
将吾に休憩室で事情を教えてくれた女性社員の声が蘇る。あの時の若手社員は東堂の腕を掴んで突き飛ばされたのだと言っていた。
それがだめなら、昨日の将吾の行動も、今こうして東堂を囲い込むようにして触れているのも、当然アウトなはずだ。そうはなっていない、ということが意味するもの。込み上げるものを逃すように、将吾は熱いため息を吐いた。
東堂は指摘されて初めて気づいたように、目が泳いでいる。将吾の言ったことが示すものを受け止めきれていないのが、表情から丸わかりだ。口を開けたり閉じたりしているが、言葉はいっこうに出てくる気配がない。それでも、湯気が出そうなほど真っ赤な顔が、東堂の心の中を十分物語っていた。
——っ、こんなの、反則だろ……。
囲い込んだ腕の中で茹で蛸のようになって狼狽えている東堂を、可愛いと思ってしまう自分がいる。あんなに冷徹で、完璧で、孤高の存在だった東堂が。
もう、将吾の中にまともに物事を考える余裕なんてとっくに無くなっていた。
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