5 / 60
5. らしくない?
しおりを挟む
それにしても、と脇道へ逸れかけた思考を元に戻し、将吾は思う。出来事そのものはデリケートなことではあるし、致し方ないとはいえ、あんな、突き飛ばすようなのはどうなのか。今回は目下の若手社員だったからまだ大事にならずに済んだだけで、相手によっては無用のトラブルになりかねない。
それを言うと、その場にいた社員たちは皆、苦笑いを浮かべた。
「まあ、それは東堂さんだから……」
東堂が謝るのを将吾は見たことがないし、話にも聞いたことがない。それは頑なに己の非を認めないからではなく、端からミスを犯さないからだった。その優秀さは報道部のみならず社全体に浸透しているらしく、こういう時でも「東堂だから」で片がついてしまう。
——だからって、そんな振る舞いが許されていいことにはならないだろう。
その場はやがて解散になり、将吾はどうもすっきりしなかったが、仕方なく休憩室を後にする。
違和感の正体についてぼんやりと考えながら会議室の横を通りすぎようとした時、将吾の耳に言い争うような声が聞こえてきた。どうやら、会議室の中からのようだ。
言い争い自体は、さして驚くようなことではない。事件担当の連中は常に神経も張り詰めているし、睡眠時間を削って仕事をしている。何気ない意見の衝突が一気に激論に発展することもしばしばだ。将吾が立ち止まったのは、聞こえてきたのが東堂の声だったからだった。
盗み聞きなんて、誰かが通りかかったらバツが悪いことこの上ない。だが、幸か不幸か、見渡す限り廊下には誰の姿もなかった。将吾は一瞬迷ったあと、そっとドアに近寄り、聞き耳を立てる。
「君の言いたいことは分かるよ。だけどね……」
東堂が言い争っている相手は、高山のようだった。声のトーンからは、東堂をいさめようとしているのが伺える。だが激昂しているらしい東堂とは対照的に、どこまでも穏やかな口調を崩さない高山の声はボソボソとしか聞き取れず、細かい会話内容まではドア越しでは分からない。
「ですが! 彼らに無理やり接触しなくても、情報は取れると言っているじゃないですか!」
再び東堂の叫ぶ声が聞こえた。日頃の様子からは想像もつかない、感情的なものの言い方に将吾は驚いた。
どうやら、東堂は取材対象を巡って、高山の指示に反対しているようだった。将吾はあたりを見渡し、まだ誰も近づいてきそうな気配がないのを幸いに、引き続き室内の会話に神経を集中する。
「君が彼らの心情を慮って、接触を避けようとしているのは分かっている。そうした人としての部分がいい仕事につながることもあるのは確かだよ」
「それなら……!」
更に言い募ろうとした東堂が、言いかけて黙った。高山が制したのだろう。姿は見えなくとも、いつものように手を上げて「まあまあ」というジェスチャーをしている様子が将吾の目に浮かぶ。
人がいつ来るか分からない状況でこれ以上立ち聞きを続けるのも心臓に悪く、将吾はフロアへ戻ることにした。
——心情を慮って、ねえ。
将吾にとって、東堂の発言はとても意外だった。将吾の中の東堂は、必要と判断すれば人の個人的な感情などやすやすと無視できる男だ。間違っても取材を受ける立場の気持ちを尊重するようなタイプには思えなかった。将吾だけではない、今の話を報道部の誰に聞かせたって、東堂が言ったとは信じてもらえないだろう。
東堂らしくもない、と思いかけて、はたと将吾は気づく。自分は、日頃の行動や発言から勝手に東堂のことを分かったように思っているだけで、実際あの男がどんなことを考えて生きているかなんて、実はこれっぽっちも分かっていないんじゃないだろうか。その証拠に、今日一日で見聞きしただけでも、自分の持っていた東堂のイメージとはだいぶ違う側面を見た気がする。
見た通りの、冷徹で計算高いだけの男ではないのかもしれない。これから一緒に行動することになれば、嫌でも東堂という男の内面をより深く知ることになるのだろう。
そう思うと、将吾はなぜか妙な緊張感を覚えた。
それを言うと、その場にいた社員たちは皆、苦笑いを浮かべた。
「まあ、それは東堂さんだから……」
東堂が謝るのを将吾は見たことがないし、話にも聞いたことがない。それは頑なに己の非を認めないからではなく、端からミスを犯さないからだった。その優秀さは報道部のみならず社全体に浸透しているらしく、こういう時でも「東堂だから」で片がついてしまう。
——だからって、そんな振る舞いが許されていいことにはならないだろう。
その場はやがて解散になり、将吾はどうもすっきりしなかったが、仕方なく休憩室を後にする。
違和感の正体についてぼんやりと考えながら会議室の横を通りすぎようとした時、将吾の耳に言い争うような声が聞こえてきた。どうやら、会議室の中からのようだ。
言い争い自体は、さして驚くようなことではない。事件担当の連中は常に神経も張り詰めているし、睡眠時間を削って仕事をしている。何気ない意見の衝突が一気に激論に発展することもしばしばだ。将吾が立ち止まったのは、聞こえてきたのが東堂の声だったからだった。
盗み聞きなんて、誰かが通りかかったらバツが悪いことこの上ない。だが、幸か不幸か、見渡す限り廊下には誰の姿もなかった。将吾は一瞬迷ったあと、そっとドアに近寄り、聞き耳を立てる。
「君の言いたいことは分かるよ。だけどね……」
東堂が言い争っている相手は、高山のようだった。声のトーンからは、東堂をいさめようとしているのが伺える。だが激昂しているらしい東堂とは対照的に、どこまでも穏やかな口調を崩さない高山の声はボソボソとしか聞き取れず、細かい会話内容まではドア越しでは分からない。
「ですが! 彼らに無理やり接触しなくても、情報は取れると言っているじゃないですか!」
再び東堂の叫ぶ声が聞こえた。日頃の様子からは想像もつかない、感情的なものの言い方に将吾は驚いた。
どうやら、東堂は取材対象を巡って、高山の指示に反対しているようだった。将吾はあたりを見渡し、まだ誰も近づいてきそうな気配がないのを幸いに、引き続き室内の会話に神経を集中する。
「君が彼らの心情を慮って、接触を避けようとしているのは分かっている。そうした人としての部分がいい仕事につながることもあるのは確かだよ」
「それなら……!」
更に言い募ろうとした東堂が、言いかけて黙った。高山が制したのだろう。姿は見えなくとも、いつものように手を上げて「まあまあ」というジェスチャーをしている様子が将吾の目に浮かぶ。
人がいつ来るか分からない状況でこれ以上立ち聞きを続けるのも心臓に悪く、将吾はフロアへ戻ることにした。
——心情を慮って、ねえ。
将吾にとって、東堂の発言はとても意外だった。将吾の中の東堂は、必要と判断すれば人の個人的な感情などやすやすと無視できる男だ。間違っても取材を受ける立場の気持ちを尊重するようなタイプには思えなかった。将吾だけではない、今の話を報道部の誰に聞かせたって、東堂が言ったとは信じてもらえないだろう。
東堂らしくもない、と思いかけて、はたと将吾は気づく。自分は、日頃の行動や発言から勝手に東堂のことを分かったように思っているだけで、実際あの男がどんなことを考えて生きているかなんて、実はこれっぽっちも分かっていないんじゃないだろうか。その証拠に、今日一日で見聞きしただけでも、自分の持っていた東堂のイメージとはだいぶ違う側面を見た気がする。
見た通りの、冷徹で計算高いだけの男ではないのかもしれない。これから一緒に行動することになれば、嫌でも東堂という男の内面をより深く知ることになるのだろう。
そう思うと、将吾はなぜか妙な緊張感を覚えた。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】
彩華
BL
俺の名前は水野圭。年は25。
自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで)
だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。
凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
うちの鬼上司が僕だけに甘い理由(わけ)
みづき(藤吉めぐみ)
BL
匠が勤める建築デザイン事務所には、洗練された見た目と完璧な仕事で社員誰もが憧れる一流デザイナーの克彦がいる。しかしとにかく仕事に厳しい姿に、陰で『鬼上司』と呼ばれていた。
そんな克彦が家に帰ると甘く変わることを知っているのは、同棲している恋人の匠だけだった。
けれどこの関係の始まりはお互いに惹かれ合って始めたものではない。
始めは甘やかされることが嬉しかったが、次第に自分の気持ちも克彦の気持ちも分からなくなり、この関係に不安を感じるようになる匠だが――

好きなあいつの嫉妬がすごい
カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。
ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。
教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。
「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」
ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

【完結】I adore you
ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。
そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。
※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

離したくない、離して欲しくない
mahiro
BL
自宅と家の往復を繰り返していた所に飲み会の誘いが入った。
久しぶりに友達や学生の頃の先輩方とも会いたかったが、その日も仕事が夜中まで入っていたため断った。
そんなある日、社内で女性社員が芸能人が来ると話しているのを耳にした。
テレビなんて観ていないからどうせ名前を聞いたところで誰か分からないだろ、と思いあまり気にしなかった。
翌日の夜、外での仕事を終えて社内に戻って来るといつものように誰もいなかった。
そんな所に『すみません』と言う声が聞こえた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる