【完結】熱血くんと嫌味なアイツ【改稿版】

1. 犬猿の仲

「え、こい……東堂とうどうとですか⁉︎」
　こいつ、と言いかけて、小野おの将吾しょうごは慌てて訂正した。いくら同期とはいえ、さすがに上司の前でこいつ呼ばわりはよろしくない。
　しかし、眉間に寄ってしまったシワはどうしようもなかった。目の前に立つシワの元凶が、嫌味たらしく眼鏡の奥の目を細めて言い放つ。
「今、こいつ、と言いかけたな。俺だってお前とは願い下げだ、〝熱血くん〟」
「なんだと⁉︎」
「まあまあ小野も東堂も、落ち着いて」
　春うらら、車の行き交う表通りは少し汗ばむほどの陽気で、街路樹の葉桜が太陽を浴びてきらきらと眩しい。だが、そんな外の様子とは裏腹に、英京新聞本社の報道部フロアには殺気立った大声の応酬が響いていた。
　仁王立ちで一歩も譲らず睨み合っている二人と、それを宥めようとしているもう一人。その周囲をピリピリとした空気が取り巻いている。しかし、残りのデスクはじめ他の記者連中は誰一人として慌てた様子もなく、何事もないかのように各々の仕事に勤しんでいた。
　それもそのはず、報道部の小野将吾と東堂流星りゅうせいといえば、犬猿の仲で有名なのだ……将吾にとっては、大変不本意ながら。

　小野将吾、三十歳。報道部四年目。「熱血くん」とは、入社してすぐに将吾についたあだ名である。
　東堂流星、同じく三十歳。将吾より二年早く本社へ異動になり、報道部は六年目。それだけ記者としては優秀なのだろうが、将吾はどうも好きになれない。いわゆる「ウマが合わない」というやつだ。
　将吾につけられた「熱血くん」というあだ名も、新人の頃はまだ可愛がってもらっている感じで、そんなに嫌ではなかった。しかしもう入社してこの四月で八年、支局から本社へ上がっても呼ばれ続けているのはちょっと不本意だ。
　東堂はおそらく将吾のそんな微妙な心境を分かっていて、あえてこうやって言ってくる。
「まあそういうわけで、東堂と小野で組んで、取材をしてほしい」
　温和な顔つきのこの中年男性は、高山たかやまキャップだ。将吾と東堂の上司にあたる人物である。
　一見優しそうに見えるが、舐めてかかると痛い目に遭う。この人の言うことは、チーム戦において絶対。つまり、キャップに組んで取材をしろと言われたら、その通りにするしかないのだ。
「……」
「……」
　数秒の間無言の睨み合いが続いたが、東堂が先に目をそらした。
「まあ、キャップの御命令とあらば」
「うんうん、君たちならね、意外にうまくいくと俺は思ってるんだよね」
　苦々しげな東堂の様子がまるで目に入っていないかのように、朗らかに高山が返した。つくづく食えない上司だ。東堂も東堂で、高山の言ったことには返事をせず、事務的に詳細の確認を始めた。
「……了解です。ではまず俺と小野で、Ａ学園の経営状況の資料の洗い出しと、関係者への聞き込みから始めることにします」
「ちょ、東堂サン⁉︎　勝手に話進めないでくれます⁉︎」
　ぽんぽんと進んでゆく会話に、将吾は完全に置いていかれている。東堂は、今初めてこちらに気づいたような顔で、冷ややかに将吾を見下ろした。
「キャンキャンうるさいな。お前は俺の足を引っ張らないでいてくれれば、それでいい」
「はあ⁉︎　……って、おい、待てって！」
　自分の言いたいことだけを言い捨て、さっさとその場を去ろうとする東堂の後を、将吾は慌てて追う。
「おう、喧嘩すんなよ～」
　後ろの方から同僚の冷やかす声が飛び、将吾は気恥ずかしさに口をへの字に結んで足を早めた。
「ちょっと待てって言ってんだろ！　どこ行くんだよ」
「会議室」
　先程よりも抑えた声で呼びかけるが、こちらに視線もくれず、そっけない回答だけが肩越しに寄越される。それでも無視されなかっただけ、幾分マシだ。一応キャップの手前、最低限の認識はされているらしい。
「俺も行く！」
「……勝手にしろ」
　置いて行かれてなるものかと、将吾も慌ててＰＣと筆記用具を掴み、駆け足でフロアを飛び出した。