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第2章 審判の関所

2-11 個性豊かな『見習い』生徒

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「これは……」

 ゼラは思わず、息をのむ。

 くま先生が緑の板書に貼りだしたうさみの問題用紙。
 うさみがテストを放棄して紙の余白に落書きをしていたことは知っていた。そのために先程まで、『三日月の反省部屋』にてぷるぷるペナルティに臨んでいたのだから。


 うさみは、これでもかと言わんばかりに誇らしげに胸を張り、黒いビー玉の目をキラキラと輝かせ、耳をパタパタと震わせている。

「ど~お? 上手でしょう。私ってば魔法だけじゃなくて絵も上手なのよねん」

 うさみの問題用紙に描かれた絵、それは、くま先生だった。

 ……そう、おそらく。

 歪んだ丸に、左右非対称の大きさの目。
 歪な鼻に……あれは、黒縁眼鏡?
 くま先生と思われるモノが、黒縁眼鏡と思われるモノに、なんとも残虐に串刺しにされている。

 ……血が出ていないのが、奇跡なくらいだ。

 絵でよかった、とゼラは思った。

「うさみ、よく描けたねぇ。先生の特徴をよく捉えていると思うよ~!」

 ミミリはふんわり微笑んで、うさみの小さな灰色の耳と耳の間に人差し指を入れて前後に撫でる。するとうさみはたちまちふにゃあっとなって、満足気にしっぽも震わせた。

「ちょっ、ミミりんやめてよ~。いくら私が画伯みたいだからって!」
「……が、画伯?」
「なによ、ゼラ」
「……あーうん、画伯かもな。そうかもしれない。ある意味、画伯だな。きっとそうだ」
「なによ、アンタ、何か言いたいことあるわけ?」

 うさみの絵を見て息をのんだ後、ふつふつと込み上げてくる笑いを抑え込まずに大笑いしてやろうかとも思った。報復は怖いが、この絵はその危険な一歩を踏み出す価値のある、ある意味傑作だったから。

 でも、ゼラはとどまった。

 ……これだけ、本人が自信を持っているんだ。褒めて伸ばしてやればいい。

「う……ん、特徴をつかんでよく描けていると、俺も思うよ。目の大きさを揃えてみると、更に良くなるかもしれないな?」
「ふんふん、なるほどね。いいこと言うじゃない」

 ゼラのやんわりとした指導に、ミミリもニッコリ微笑んでいる。

 ……少しずつ、少しずつ。
 ゼラの『うさみの画力育成戦略~褒めて伸ばそう、少しずつ~』は奇しくも『森のくま先生の錬金術士の錬成学校』にてスタートした。


「さぁ、最後にミミリさんの回答を見てみましょう」

 そう言って、くま先生はミミリの問題用紙を緑の板書に貼りだした。

『森のくま先生の錬金術士の錬成学校~入学テスト~ 

 名前:ミミリ

 第一問(記述問題)
 汎用性の高い【ミール液】を錬成するために必要な錬金素材アイテムの名前は?

 答:ミール草×5、冷たい水×1

 第二問(記述問題)
 戦闘アイテムにおいて使用頻度の高い【睡眠薬】。必要な錬金素材アイテムの名前は?

 答:誘眠剤ゆうみんざいの素×3、【しずく草の原液】×1、【ミール液】×1

 第三問(択一問題)
 アイテム錬成には、いくつかのポイントを押さえておく必要があります。では、次のうち不要なものは?
 1 温度管理
 2 MP管理
 3 工程管理
 4 探究心
 5 熱い心

 答:不要なものはありません。

 第四問(択一問題)
 味覚だけでなく嗅覚、視覚、心をも虜にする【魅惑の香辛料】。次の錬金素材アイテムに加えて、後一つ必要なものは?
 ・魅惑のスパイス(赤)
 ・魅惑のスパイス(黄)
 ・魅惑のスパイス(オレンジ)
 ・【ミール液】
 ・?????

 1 【雷電石の粉末】
 2 【火薬草の結晶】
 3 【ミンティーの結晶】
 4 【しずく草の原液】
 5 【陽だまりの薬湯】

 答:4の【しずく草の原液】、必要数は2です。

 問題は以上です。お疲れ様でした!』

 ミミリは、貼りだされた自分の問題用紙を見てからというもの、身体をずっと硬直させたまま。緊張のあまり、呼吸もろくにすることができない。

「ミミリさん!」
「ハ、ハイイィッ!」

 くま先生の声掛けに、ミミリは緊張のあまり声が裏返る。この教室に来て、声が裏返ったのは何度目のことだろう。

 ……あれ?さっき声が裏返ったのは私だっけ。それともゼラくんだっけ。

 ミミリは目まぐるしく移り変わる環境に記憶があやふやになってしまった。

「ミミリさん!」
「は、はい!」

 仕切り直してくま先生は言う。それも、満面の笑みと大きな拍手で。

「満点です! 素晴らしい! さすが、錬金術士ですね」

 先生は、【筆マメさんの愛用ペン】の両先端を握ってくるっと捻り、それからミミリの問題用紙の解答欄に赤字で丸をつけていった。
 先程までは黒字だったのに、魔法のように赤字になった【筆マメさんの愛用ペン】。

 ミミリの心は、忙しい。
 不思議かつ魅力的な錬成アイテムの、黒字と赤字の秘密も知りたいし、初めてのテストで満点を取れた喜びで心が溢れているし。
 ミミリの表情は、愛らしいピンクの小花がパァッと咲いたかのように、嬉しく優しく綻んだ。

「わあぁ~! 嬉しい! ありがとうございます、先生!」
「見習い錬金術士でありながら、まさか満点が取れるとは。これは快挙ですよ! さぁ、ミミリさんに大きな拍手を!」

 ……パチパチパチパチ!

「すごいじゃない、ミミリ!」
「さすがだな、ミミリ! おめでとう!」
「あ、ありがとう~」

 ミミリは褒められ慣れていないことが満点を誇る気持ちを勝って、胸を張るどころか徐々に背中を丸めていった。

「嬉しいけど、恥ずかしい……」

 くま先生はミミリを優しい瞳で見つめ、ミミリが喜ぶとっておきの話をする。短い間だが、ミミリの好むものはなんとなく把握した。

「ミミリさん、約束どおり【はちみつキャンディー】のレシピをあげましょう」
「先生! ということは……」
「もちろん、入学テストは合格です。『三日月の反省部屋』でのぷるぷるペナルティの攻略も素晴らしかったですよ」
「やったわね! ミミリ!」

 告げられた合格に嬉々するうさみとゼラ。
 そんな中、ミミリはゆっくり口を開いた。

「新しいレシピ、嬉しいなぁ……」

「おーい、ミミリ、入学テスト合格だって!」
「ミミりーん?」

 うさみとゼラの声掛けに応じないミミリを、2人は顔を見合わせてクスッと笑った。

 やはり、ミミリの頭の中は錬金術……というより厳密には錬成アイテムでいっぱいだ。

 そんなミミリを見て、くま先生は新たなゲームを持ちかける。

「レシピはこのメモに書いてありますが、お渡しする前にゲームをしましょうか。もちろん、ミミリさんが負けてもペナルティはありません。気楽に捉えてくださいね」
「どんなゲームですか?」

 くま先生は、教卓の下からはちみつが入った壺を取り出し、教卓の上にゴトッと置いた。

「【はちみつキャンディー】を1つあげましょう。食べてみて、アイテム錬成において必要な錬金素材アイテムを言い当てられるか、というゲームです」
「難しそうだぞ」
「私にも無理ね、ミミリどう?」

 もちろんミミリは晴れた空色の瞳をキラキラと輝かせて。

「もちろん、やりたいです!」

 両手をギュッと握ったミミリはやる気満々。
 そして、目をつぶって、
「あ~ん」
 と口を開けた。

 その仕草に、ゼラはギョッとする。
 これはあまりにも……。

「……ちょっ、教師とはいえ、今日出会ったばかりの得体の知れないくまに、そんなに気を許したらダメだろ!」
「アンタ、言い過ぎ……」
「――ハッ! ついつい本音が……」
「それも地雷」
「やべ……」

 ゼラはミミリのことになると、取り乱してしまう節がある。庇護欲を掻き立てる魅力が、ミミリにはある。

「まぁ、ゼラくんの気持ちもわからなくないですから、大目に見ましょう。……なんなら、ゼラくんがミミリさんに食べさせてあげたらどうですか? どうぞ?」

 くま先生は、さすが大人の対応でゼラの不遜な態度も受け止め許してくれた。そしておまけに、ミミリへ食べさせてあげる権利もくれるという。

「ハ、ハイ! お言葉に甘えて」

 ゼラは声を裏返しながら、くま先生の手のひらに乗った透き通って光沢のあるはちみつ色の楕円形の【はちみつキャンディー】を親指と人差し指で摘んで、そうっとミミリの口へ運ぼうとする。

「ゼラくんが食べさせてくれるの? あ~ん!」

 ミミリのピンク色の小さな唇が言葉に合わせて可愛らしく動く。ぷるっと張りのある唇は、動くたびに愛らしい。

 ゼラはたちまち錬金釜で茹で上げられたように真っ赤に顔を染め、そしてギシッと動かなくなった。

「はぁ、桃色すぎて見ていられないわ」

 うさみはゼラから【はちみつキャンディー】をサッと奪い取り、そしてヒョイっとミミリの口の中へ入れてやる。

「ミミリ、はい、どーぞ」

 ――パクッ!

 ミミリの口の中に甘く広がる、はちみつの味。少し遅れて、ふんわりとはちみつの香りが鼻を通り抜ける。コロコロと舌の上を転がすと、時々歯にぶつかってカチカチ鳴る音にも楽しさがある。
 ミミリは味覚と嗅覚、そして触覚に精神を注ぎ集中力を研ぎ澄ませるため、目をつぶって集中した。

 ……そのミミリを前にして。

 ゼラは耳たぶや首元まで真っ赤になるほどの恥じらいを抑え込むため集中している。

「邪念よ、雑念よ、煩悩よ、去れッ、去るんだ!」

 ゼラは椅子の上で胡座あぐらをかき、両手を胸の前に合わせて瞑想をする。

「……アンタ、言葉に出てるけど大丈夫?」
「――ハッ! 嘘だろ? ダメ、大丈夫じゃない」

 うさみの一言で、ゼラの邪念も雑念も瞬時に吹き飛んだ。ただその分羞恥心は増しに増して。
 ゼラは机に突っ伏した。

 ……もちろん集中しているミミリには、ゼラとうさみのやり取りは聞こえるはずもなく。
 ただただ、【はちみつキャンディー】の分析に努めるのみだ。

 ……はちみつ、それもかなり質の良いはちみつが使われていそう。それに、柑橘系の清涼感もあるような。となると、更に必要なアイテムは……

「良質なはちみつと、レモンの果汁、あとは、ほんの少しの【ミール液】、ですか?」

 ミミリは目を開けて、くま先生を見つめて答えた。くま先生は、小さな目を見開いて驚く。

「……素晴らしい、正解です! 正解のご褒美に、この【はちみつキャンディー】に使用した、良質なはちみつを差し上げましょう」
「わぁ~! ありがとうございます、先生!」

 ミミリの表情は、ばぁっと華やぐ。
 そのミミリを見て、くま先生は一言。

「ミミリさんは、本当に『見習い』錬金術士なのですか?」

 ミミリは笑顔ですぐさま答える。

「はい、見習い錬金術士です!」
 と言って、ミミリの視線は真隣のゼラへ。

「ゼラくん、なんで机で寝てるの? どうしたの? 具合悪い?」
「ミミリ、ゼラは今、とてつもなく巨悪な羞恥心と闘っているのよ」
「……そうなんだ、今俺は、荒ぶる羞恥心を気合いで抑え込んでいるんだ」
「……? 大変だね」

 生徒たちの楽しげなやり取りに目を細めるくま先生。

「なんとも、個性豊かで魅力ある生徒たちが集まってくれましたね。見習い画伯と見習い錬金術士、そして彼は……」


 『森のくま先生の錬金術士の錬成学校』の入学テストの採点結果と『ぷるぷるペナルティ』の講評は、くま先生の生徒を想う一言で、無事に幕を閉じたのだった。
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