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第1章 まだ見ぬ世界へ想いを馳せる君へ

1-42(終話)旅立ちの日

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「充分な食糧は持ちましたね? 着替えも、錬金素材アイテムも……あぁ、お菓子も用意しましょう。そしてご主人様の著書も持っていってくださいね。ご主人様がお戻りの際は私から説明しますから。あと……」

 いつもしとやかなアルヒが、家の中を珍しく慌ただしく動き回る朝。


 ……ミミリたちはついに、旅立ちの日を迎えた。


 雷電石(らいでんせき)の地下空洞から帰って2週間ほど。
 充分な休息も、万全な備えも。
 そして、お別れのための心の準備も。
 時間をかけて、この日を迎えられるよう整えてきた。

 昨晩は、ミミリにアルヒ、うさみにゼラ。ポチや雷竜も揃って、庭でパーティーを開いた。
 思い切り楽しもうと思った宴も、旅立ちの日の今日を思えばどこかぎこちなく、胸が切なくなるようなような思い出が去来して、やはり寂しさは拭い去れなかった。
 そしてミミリは枕を涙で濡らし、そのまま朝を迎えたのだった。


「自分でも充分に準備したつもりだし、アルヒもビックリするくらいの量を用意していてくれたから。当面の間、生きていくのに困らないくらいの充分な備えはあるから大丈夫だよ~」

 そう笑いながら言うミミリは、熱くなる目頭を気持ちだけで抑え込んでいる。

 家の中を漂う空気は、やはり重たい。
 旅立ちを決めた日から今日に至るまで、心の準備をする充分な時間はあったというのに。
 大好きな人との別れというものは、準備してもし足りない。ミミリは、身をもって実感した。

 沈んだ空気に一つの提案を持ちかけたのはうさみだった。

「ねえ、旅立ちの前にみんなでティータイムしましょ?」

 うさみは、慌ただしく動き回るアルヒに着席を促し、ミミリとゼラ、そしてうさみ。全員で丸いテーブルを囲んだ。

「みんな目、真っ赤なんだから……。まっ! 私は黒いビー玉だけど、私だって顔がしっとりするくらい泣いたんだから。ねえ、涙堪えるのはみんな無理よね? 我慢しないで思い切り、泣きましょう?」

 うさみの提案に涙腺は崩壊し、ミミリとアルヒは泣きじゃくった。いつもしとやかなアルヒが、これほどまでに声を上げて泣きじゃくるなんてことが今までにあっただろうか。
 ゼラは、唇を噛みながらすうっと一筋の涙を零すが、まだなんとか堪えている。


 アルヒは、震える手でホットミンティーが入ったコップをテーブルに置いて、そのままミミリの手にそっと触れた。
 そしてうさみの方へ、もう片方の手を伸ばした。
 小さなうさみはアルヒに手を添えるため、椅子の上に立ち上がろうとモゾモゾ動き出す。

「お願いがあるのです……」

 ミミリは、アルヒが添えた手にそっともう一方の片手を重ね、そしてうさみは、短い手足を一生懸命に伸ばして、半ばテーブルに身を乗り出して両手をアルヒの手の上に置いた。

 「「なぁに?」」

 少し間を空けて、アルヒの質問に答えるミミリとうさみの熱を帯びた声は震えている。
 アルヒはミミリとうさみの目をそれぞれゆっくり見つめ、涙声で言葉を続ける。

「貴方たちの旅の理由の一因は、私のためでもありますよね。ご主人様のこと、【アンティーク・オイル】のこと……。ですが、この件が原因で少しでも重荷に感じたり、危険な目に遭いそうな場合はどうか気にせず……。私のことは忘れると、約束してください。……お願いです」

 アルヒのお願いに、声を荒げたのはうさみだった。

「何言ってんのよ! 私の旅の目的はアルヒなの。そう、前にも言ったでしょ?」
「ですが……」

 ゼラは、重なり合う3人の手、アルヒとミミリの手、そしてアルヒとうさみの手の上に更に手を重ねようと思った。
 しかしそれは寸前でやめ、行き場を失った手を不自然にテーブルの下にしまってから、うさみに話しかけた。

「あのさ、3人の絆の前では俺なんて薄っぺらい存在だけどさ、それでも言わせて欲しい。アルヒさんは、自分のせいで大事な家族が傷ついてほしくないんだよ。だから、そうなるくらいなら自分が壊れたほうがマシだ、そう思ってるんだよ」

「そんなこと……」
 と、うさみが言いかけようとした言葉を遮って、ミミリはうさみの言葉を継ぐ。

「うさみも私もわかってるよ。アルヒが優しさで言ってくれてることも。でもね、アルヒ。私たちにとって、アルヒは大事な大事な家族なの。壊れちゃうなんて嫌、もう会えないなんて嫌、なの……」

 ミミリは泣きじゃくりながらも、静かな部屋に想いを吐き出した。ミミリの悲痛の胸中は、多分に全員に伝わった。

「そうだよな、ミミリ。ごめん、俺、気の利いたこと言えなくて」

 ミミリの気持ちが痛いほどにわかったゼラは、申し訳なさそうに顔を歪めた。

 ミミリは、アルヒの手に重ねていた左手をそっと離し、テーブルの下にしまいこんでいたゼラの右手を握ってテーブルの上へと誘う。

 ミミリは少し顔を赤らめたゼラを見て、また、アルヒとうさみも順番に見て。

「あのね、聞いてほしいの……」
 と、改めて旅の決意を口にした。

「アルヒの気持ちは充分にわかったよ。心配してくれる気持ち。私たちを大事に思ってくれる気持ち。でも、私たちも同じだよ。アルヒが大事。大好きなの。……だからね。アルヒが心配しないように、気にしないで済むように。アルヒのためだけじゃなくて、私は私自身の冒険も楽しむね。両親を探すこと、旅自体を楽しむこと。そうしながら、ソウタさんや【アンティーク・オイル】を探してくるから。……少しは安心してもらえるかな?」

 ミミリの想いは、アルヒもうさみも、そしてゼラも。強く心に響き渡った。

「ミミリ、よく言ってくれたわ。私も同意見よ。私の旅の目的はアルヒのため。それは変わらないけれど、だけど知ってるでしょ? 私の性格。ちゃーんと私自身の冒険、堪能するから! それに私強くて可愛いぬいぐるみだから、『あの件』も安心してよねん!」

 うさみは「あの件」に含みを持たせた。
 うさみは、アルヒに想いを込めた視線を送る。

 ……アルヒの代わりに、守るから。ミミリも、それにゼラもね。

 その想いはアルヒに伝わる。
 アルヒは視線でうさみに感謝を伝えた。

「俺も、まだ力不足かもしれないけど、全力でミミリとうさみを守ります。約束します、アルヒさん」

 ゼラも涙を浮かべながら、アルヒに誓いを立てた。

「ありがとうございます、うさみ、ミミリ……。そしてゼラも。私は貴方たちのような家族をもつことができ、なんて幸せな機械人形(オートマタ)なのでしょう。貴方たちと過ごした日々は、すでに私の心の中に。寂しくないと言ったら嘘になりますが、思い出は充分に胸に刻みました」

 ゼラはアルヒの言葉で、堪えていた涙腺を崩壊させた。

「おっ、俺のことも、家族って……言って……く……」

 ゼラは空いた左手で顔を覆って泣き顔を隠したが、隠しきれなかった震える唇の、真下の顎に細かい皺を寄せていた。

「はい、もちろん、私の大事な家族です」

 涙を流しながら微笑むアルヒに続いて、ミミリもうさみも同様に。

「私もゼラくんは大事な家族だと思ってるよ。ね、うさみ?」
「そうそう。でも、まぁ、後輩であり弟分って感じね?」

 ゼラはクスッと笑って、
「ありがとうございます、アルヒさん、ミミリ。それに、うさみ先輩?」
 と、泣きながらクシャッと笑ってみせた。



「さぁ、そろそろ出発してください。早いうちに家を出たほうが今日の行程においても有利ですから」

 ティータイムを終え、名残惜しい気持ちと引き留めたい気持ちをひた隠しにして、アルヒはミミリたちの背中を押した。

「あ、ちょっと待って!」
 
 ミミリは、肩から提げた【マジックバッグ】に手を入れて、モゾモゾとあるモノを探し始める。

「出発の前に、渡したいものがあるの」
 
 ミミリは【マジックバッグ】の中から取り出したあるモノを見て、優しく抱きしめた後に、顔を赤らめながらアルヒに差し出した。

「これ、アルヒに。アルヒが寂しくないように、これから一緒にアルヒとともに歩んでほしくて」


【ミミうさ探検隊のぬいぐるみ(起動待機中) 良質 心のこもった 特殊効果:神秘なる力を秘めた【生命のオーブ】が体内に埋められているため、動き話すことができる。うさみの弟分の灰色の仔猫】


「ミミリ! これは……」

 驚きを隠せないアルヒに、ミミリは照れながら鼻を擦った。

「えへへ……。アルヒが寂しくないように、と思って心を込めて作ってみたの。ゼラくんと会った日からずっと肌身離さず持ち続けて、【生命のオーブ】に魔力を込めてたんだ」
「ーー‼︎ 俺があの日持ってきたアイテムだな?」
「そうなの。ただ割れちゃってて、それは私には直せなくて。魔力の上限値の譲渡はできなかったから、うさみみたいに魔法は使えないし、私みたいにアイテムの錬成もできないけど……」

 アルヒはミミリの心のこもった贈り物を優しく抱きしめた後、少し離してゆっくり確認する。

「みんなの……いいところを、少しずついただいた子なのですね」
 
 ミミリから差し出された可愛らしい灰色の仔猫のぬいぐるみ。それは、ミミうさ探検隊から少しずつ特徴を汲んだものだった。

 見た目は、灰色の仔猫。
 これは、ミミリが採集作業の際よく身につけている【白猫のセットアップワンピース】と、うさみの灰色の毛に由来して。
 服装は、若草色のボウタイ付きトップスとショートパンツ。これはミミリから。ミミリは自身のワンピースの裾の丈を詰めて、このぬいぐるみの服をせっせと作っていたのだ。
 瞳は赤色。そして腰には黒色のショート丈エプロン。
 これはゼラから継いだもの。

 そして、首には。
 月幸一夜(げっこういちや)という、朧月夜の一夜にのみ咲く一輪の花を想わせる淡く紫がかった青色のベルトに、朧月を想わせるまぁるい金の飾りがついた、首輪をつけている。

「そうか! 野営の日、夜な夜な作ってたのはこれだったのか!」
 ゼラは野営の日の宵の番にミミリが隠したモノとこのぬいぐるみが一致した。
 うさみも、ミミリがひた隠しにしたがっていたものの正体を今知って、アルヒを想うミミリの気持ちで胸が満たされ、心を込めてミミリを褒めた。

「……すごいわ、よく出来ているじゃない」

 そしてアルヒは感涙のあまり、これ以上何も言葉を発することができなくなってしまった。そんなアルヒができたのは、ただただ頷いて、ミミリをギュッと抱きしめることだけ。

 今日は珍しく、声を出して泣くアルヒ。
 アルヒの想いは、ミミリにひしひしと伝わってくる。

「えへへ……。喜んでくれたみたいで、嬉しいなぁ」

 ミミリはアルヒに抱きしめられながら、二人の身体で挟まれたうさみよりも一回り小さい灰猫に最後の魔力を送り込む。

 瞳を閉じて、心を込めて。


「起きて……」


 ……パアァァ‼︎

 灰猫は、朧月夜の月光のような柔らかい光を放って、ミミリたちの腕の中から宙へふわっと浮かび上がった。
 そして光の収束とともに、ポフッと二つ足で降りたった。

「オハヨ……ウ、ミンナ。ボクハ、アユム。ミンナノ、カゾク。アルヒ、マモル。マカセテホシイニャ」

 ミミリは屈んでアユムの頭をなでる。

「うん、宜しくね。アルヒをお願いね、アユム」

 アユムはゴロゴロと喉を鳴らし、嬉しそうに目を細めて、短い手足でミミリの手を掴んでぶら下がった。

「ボク、オトコノコ。アルヒ、マモル。マカセテ」

 アルヒもゼラも、小さく愛らしい、新しい家族に顔を綻ばせて喜んだ。まるで初孫に嬉々する祖父母のよう。

 傍らでうさみは1人、複雑な表情で。

「やばい、私のポジション、そ~と~やばい」

 と呟き心穏やかではなかった。



 庭へ出ると、そこにはポチも黄色い猫の姿の雷竜もいた。
 ミミリたちの新たな門出を祝いに、やってきた家族と新しい友人。
 アユムはポチの姿に気がつくやいなや、ポチの毛を掴んでよじよじと登って、ポチの頭の上に陣取った。
 ポチも、久しぶりに会った大事な人に接するかのように、好意的に振る舞っている。しっぽをふわふわとご機嫌に揺らして、そしてキュウンと鼻も鳴らして。

「ポチ、アルヒをよろしくね。あと、アユムもね?」
  
 ポチはくぅん、と言って鼻頭をミミリの額に擦り当てた。
 
「アユム、ポチト、イッショニ、アルヒ、マモルニャ」

 ポチの頭の上に乗っているアユムを見て、ミミリはにっこり笑顔を見せる。

「ライちゃん、アルヒとポチをよろしくね。それにアユムも。それに『あのこと』もね!」
「ラッ、ライちゃん⁉︎ ……コホン。任されよう」

 雷竜は突如呼ばれたあだ名に驚いて若干声をうわずらせたが、満更でもない様子でグルグルと喉を鳴らし、しっぽを左右にふわふわと揺らし始めた。
 この嬉しそうな様子は先程のポチとまるで一緒。
 ミミリはクスッと声を上げて目を細めた。

 ミミリとポチと雷竜のしばしの別れ。
 固く抱きしめ合って、過ごした時に胸を熱くした。


 ーーそして迎えたお別れの時。

 最後に、ミミリとアルヒはうさみを挟んで力強く抱きしめ合った。ゼラは、3人だけの時間を大切にしてほしいという気持ちから、一歩引いて涙を浮かべながら見守っている。

「身体を大事に、ミミリ、うさみ。貴方たちの旅が良いものとなりますよう、心よりお祈り申し上げます。大好きですよ」

 アルヒの声は、震えていた。一生懸命、一生懸命、漸(ようや)く絞り出した、か細い声。

「泣かせてくれるわね。もちろん、大好きに決まってるじゃない!」

 ミミリとアルヒに挟まれ、ゼラの位置からは耳しか見えないうさみ。だが、涙で顔の毛を濡らしているんだろうと容易に想像できる、そんな声だった。

「アルヒ、大好きだよ。今まで、育ててくれてありがとう」

 震えるミミリの声は周りで見守るゼラたちの、胸と目頭を更に熱くした。


 ミミリとアルヒ、それにうさみ。
 何年も一緒に生きてきた、3人だけの、固い絆。
 3人はお互いの顔を心に焼き付けるべく、何度も何度も顔を見ては、何度も何度も抱きしめ合った。


「貴方にこれを……」

 アルヒは左耳のイヤリングを取って、ミミリの左耳につけて託した。アルヒのトレードマークの、エメラルドグリーンのイヤリング。

「これはアルヒと、ママの……」

 ミミリはイヤリングにそっと触れながら、アルヒの表情を確かめる。涙で歪んだ顔ながらも、薄く笑みを浮かべるアルヒはやはり美しい。
 アルヒはミミリの頬に触れながらもう一方の手の指でイヤリングを触り、想いを込めてミミリの瞳を見た。

「このイヤリングが、貴方を守ってくれますよう。離れていても、私の心は常に貴方の側にいます。私の代わりに、イヤリングを連れて行ってください」
「ありがとう……」



 ーーそしていよいよ旅立ちの時。

 ミミリはうさみを抱きながら、隣のゼラと顔を見合わせ、そして泣き顔はそのままに。
 
 ミミリが自身の冒険を本に書きしたためながら、固く心に誓った、お別れの際にしたかったこと。
 今、それを実行する時。

 泣いていてもいい。
 泣きながらでも、絶対笑顔で旅立つんだ。


「みんな、行ってきます! 必ず帰ってくるから、待っててね!」


 ミミリは、晴れた空色の瞳を潤ませて、目頭と頬を赤らめながら、元気な笑顔で、旅立ちを告げた。


 ーーーーこれから始まるのは、プレ冒険ではなく、本当の冒険。

 『見習い錬金術士ミミリの冒険の記録』に、今この瞬間から、新たな1ページが綴られ始める。


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