2 / 41
第1話 君を手に入れるためなら、俺は卑怯になる
しおりを挟む……ぐすっ……ぐすっ……。
もう、夜の10時だ。
――くそ、まだ泣いてやがる。
俺の住むマンションは、注意深く聞き耳を立てなくても話し声が聞こえてくるほど、部屋を隔てる壁が薄い。
俺が家に帰ってからずっとこの泣き声が聞こえてくるから、フツフツと怒りが湧き上がってくるんだ。
――単純に、隣人に苛立っているわけではない。
俺の苛立ちの矛先は、いろいろな人間に対して向いている。
そこには、俺もその一人に含まれている。
――イラつくんだ。
俺の隣人であり同僚――星海若菜の心の支えになり得ない、俺自身に。
若菜とは、入社してからずっと仲がいい腐れ縁のような関係だ。
喧嘩するほど仲がいいってことわざはそのとおりだとよく思う。俺たちは、よく喧嘩もするし、その度に仲は深まっていって……今では気の置けない親友だと、思われているはずだ。
ちなみに、このマンションの隣の部屋に住んだのは偶然だ。決して俺が真似したわけではない。
たまたま、一緒のマンションで
たまたま、隣の部屋だった。
それが俺たちの距離を更に縮めるきっかけになったんだ。
「はぁ……」
俺はため息を一つついて、窓を開けベランダに出る。
むわぁっとした夏の熱気に包まれながら、眼下に広がる街の明かりを見下ろしてまた深いため息をつく。
車のテールランプ。
コンビニの明かり、街灯……。
足早に行き交う人々。
寄り添う恋人。
どんなに隣の部屋で若菜が泣いていようと、変わらない日常。それは明日も同じだろう。
――コンコン。
隣のベランダの行き来を隔てる薄いパーテーションをノックし、様子を伺う。
「ぐすっ……、ぐすっ……。雅貴……?」
話をする元気はあるようだ。
「若菜、泣いてるんだろ? 話聞いてやるよ。ベランダ、出てこないか?」
「…………。……でも、楽しい話じゃ……」
少し間を置いて、若菜が言う。
だから俺も少し間を置いて、言い聞かせるように返事をする。
「……俺たち、楽しい話だけする間柄じゃないだろ。……いいから、出てこいよ。話せばスッキリするかもしれないし」
「ありがとう……今、行く……」
少し時間を置いて、ガラリ、と窓が開いた。
若菜は、ベランダの柵に身体を預けたようだった。パーテーション越しに見える、若菜の腕と泣き腫らした横顔。……そして、会社の制服……。
「若菜、まだ着替えてなかったのか?」
「う、うん……。そうなの……。なんだか着替える気力もなくって……」
俺たちは互いに、それぞれのベランダに用意してある屋外用の椅子に腰掛けた。
缶ビール片手に『ベランダ呑み』なんていうこともする俺らにとっては、ベランダに腰掛けることは特別ではない。
……ただ今日は、いつもと状況が違うだけだ。
「……で、どうしたんだ? もしかして、吉野先輩のことか?」
――吉野。
俺にとっては、名前すら出したくない俺たちの先輩。俺より営業成績も良く、スラリと伸びた背に整った顔立ちは営業職に限らず女子社員の憧れの的だ。
……もちろん、事務職の若菜もその一人。
「……うん、吉野先輩に、告白……しようと思っていたの。近いうちにね」
「うん、知ってる。言ってたもんな」
もちろん、知ってる。
だって俺はそのせいでこのところ気が気ではなかったんだから。
「それで……?」
俺は、複雑な気持ちで質問する。
フラれたから泣いているっていうのは、俺の都合のいい勘違いで、嬉し涙かもしれないから。
「……フラれる前に、玉砕、しちゃった……。給湯室で、吉野先輩と同期の営業職の綺麗な女性と、デートの話してるところ、聞こえちゃったの」
「そっか……。でもそれって、吉野先輩が誘われた側であって、付き合ってるわけじゃないのかもしれないだろ?」
言っていて虚しくなるが、若菜のためなら、的確な助言もやぶさかではない。
……本当、自分が嫌になる。
「……ううん。違うの。吉野先輩から誘ってたの、デートに。いつも堂々と営業活動してる先輩が、あんなふうに緊張して誘う姿……一目見てわかっちゃった。
……あ、この女の先輩のこと、好きなんだなぁって」
「……そうか」
俺は、心の中でため息をつく。
若菜には悪いと思うが、安堵のため息だ。
俺としては、吉野先輩と付き合うことになった嬉し涙ではなくて、心底、ほっとしてるんだ。
「……ずるくて、ごめん」
俺は、若菜に言う。
「……え? 何が?」
「俺が優しくていい男だったら……、『ただのいい男』として、若菜の話をさ、ただ聞いてやって、慰めてやるんだろうなって思って」
「……? 雅貴は、優しく話聞いてくれてるよ?」
……やっぱり、遠回しに言ったんじゃ、伝わらないか。俺は大きく深呼吸して、決意を固める。
「……俺に、しとけよ……」
「……………………え? それって、どういう……」
「……だから、吉野先輩じゃなくて、俺にしとけよ」
「えぇ⁉︎ ど、どうしてそんな、急に……。からかって……るわけじゃないよね。雅貴、そんな人じゃないもん」
俺は、若菜の言葉に思わずクスリと笑う。
――まったく、俺の気持ちにはちっとも気づかないくらい鈍いくせに、そういうところは、鋭いんだもんな。
「……今、若菜、落ち込んでるだろ。だから、俺にしとけよ。いくらでも慰めてやる。俺だったら若菜のこと、幸せにする。……お試しでもいい。
付き合って、みないか?」
「そ、そんな……。雅貴のこと、利用するみたいなこと……」
言うと思った。
優しいヤツだから。
「……お試しでもいいから、俺にもチャンスくれないか? 合わないと思ったらフッてくれていい」
「……………………」
若菜は、答えない。
俺は、卑怯なヤツだから、若菜の優しさと、押しの弱さにこれでもかとつけこむんだ。
「いいだろ、若菜、それだったら。
若菜は、気分転換だと思ってくれればいい。
罪悪感だって抱かなくていい。
職場のヤツらにも、内緒でいい。
……だから、俺のこと嫌いじゃなければ、お試しで。いいだろ?」
「……本当に、雅貴はそれで、いいの……?」
「……もちろん。利用されたっていいんだ」
「……うん……、でも……」
「いいんだ。若菜が俺が嫌いでなければ、俺が好きで言ってるんだから、そうしてくれ」
「うん……。わかった。……よろしくね、雅貴」
「ただ、一つだけ言っておく」
「何?」
俺は、もったいぶって言う。
「若菜……、絶対俺のこと……好きにさせてみせるから……!」
「……! 雅貴って、そんなに……積極的なタイプだったの?」
「好きな子にはな」
「~~‼︎」
俺は若菜の姿が想像できてしまって、クスリと笑う。絶対、赤面してるだろ。両手で顔、隠してるだろ。
……若菜……。
つけ込むような卑怯なことして、ゴメン。
でも……俺もずっと、ずっとずっと、好きだったんだ。誰よりも、君のことが。
だから、卑怯になったって、たまにはいいだろ?
俺は君を――手に入れたいんだ。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
【完結】育てた後輩を送り出したらハイスペになって戻ってきました
藤浪保
恋愛
大手IT会社に勤める早苗は会社の歓迎会でかつての後輩の桜木と再会した。酔っ払った桜木を家に送った早苗は押し倒され、キスに翻弄されてそのまま関係を持ってしまう。
次の朝目覚めた早苗は前夜の記憶をなくし、関係を持った事しか覚えていなかった。
【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~
蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。
嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。
だから、仲の良い同期のままでいたい。
そう思っているのに。
今までと違う甘い視線で見つめられて、
“女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。
全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。
「勘違いじゃないから」
告白したい御曹司と
告白されたくない小ボケ女子
ラブバトル開始
羽柴弁護士の愛はいろいろと重すぎるので返品したい。
泉野あおい
恋愛
人の気持ちに重い軽いがあるなんて変だと思ってた。
でも今、確かに思ってる。
―――この愛は、重い。
------------------------------------------
羽柴健人(30)
羽柴法律事務所所長 鳳凰グループ法律顧問
座右の銘『危ない橋ほど渡りたい。』
好き:柊みゆ
嫌い:褒められること
×
柊 みゆ(28)
弱小飲料メーカー→鳳凰グループ・ホウオウ総務部
座右の銘『石橋は叩いて渡りたい。』
好き:走ること
苦手:羽柴健人
------------------------------------------
恋煩いの幸せレシピ ~社長と秘密の恋始めます~
神原オホカミ【書籍発売中】
恋愛
会社に内緒でダブルワークをしている芽生は、アルバイト先の居酒屋で自身が勤める会社の社長に遭遇。
一般社員の顔なんて覚えていないはずと思っていたのが間違いで、気が付けば、クビの代わりに週末に家政婦の仕事をすることに!?
美味しいご飯と家族と仕事と夢。
能天気色気無し女子が、横暴な俺様社長と繰り広げる、お料理恋愛ラブコメ。
※注意※ 2020年執筆作品
◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。
◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。
◆大変申し訳ありませんが不定期更新です。また、予告なく非公開にすることがあります。
◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。
◆カクヨムさん/エブリスタさん/なろうさんでも掲載してます。
ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~
菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。
だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。
車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。
あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
私の好きなひとは、私の親友と付き合うそうです。失恋ついでにネイルサロンに行ってみたら、生まれ変わったみたいに幸せになりました。
石河 翠
恋愛
長年好きだった片思い相手を、あっさり親友にとられた主人公。
失恋して落ち込んでいた彼女は、偶然の出会いにより、ネイルサロンに足を踏み入れる。
ネイルの力により、前向きになる主人公。さらにイケメン店長とやりとりを重ねるうち、少しずつ自分の気持ちを周囲に伝えていけるようになる。やがて、親友との決別を経て、店長への気持ちを自覚する。
店長との約束を守るためにも、自分の気持ちに正直でありたい。フラれる覚悟で店長に告白をすると、思いがけず甘いキスが返ってきて……。
自分に自信が持てない不器用で真面目なヒロインと、ヒロインに一目惚れしていた、実は執着心の高いヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。
この作品は、エブリスタ及び小説家になろうにも投稿しております。
扉絵はphoto ACさまよりお借りしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる