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第7話(終話)「ねぇ、賭け、してみない?」ーー僕から君への、甘い提案

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 ――月日が経つのは早いというもので、あれから2年経ち、僕は高校3年生になった。


 高校1年生だった僕は平々凡々だったけれど、最近少しは垢抜けた気がする。

 まず、背が伸びた。
 10センチくらいは伸びたかな。
 あとは、身だしなみに気をつけるようになった。
 今まで見た目なんて気にもしていなかったけれど、眉もちゃんと整えて、髪はツーブロックにカットしてもらい、ワックスをつけて軽く流してみたりなんかして。

 身だしなみを整えるだけで、人の印象って変わるものだな、と思ったりする。
 ――鈴木のくせに、と呼ばれていた僕だったけれど、最近ではオシャレなヤツって一目置かれたりもするくらいなんだ。
 ……男子にだけどね。


 ……ちなみに……。

 『ICU(集中治療室)』に運び込まれた彼女とは、あの日以来一度も会えていない。
 
 今でも連絡を取り合っている彼女のお母さんによると、手術は無事に成功したけれど、療養が必要なのでまだ登校できる状態ではということなんだ。


 ――でも、待ちに待った今日。
 彼女が、再登校してくるんだ。

 僕と違うクラス、違う学年だけれど。
 1年3組の生徒として。
 年齢的には3年生だけれど、そのあたりは様々な配慮ゆえだ。

 彼女が僕らと登校した期間は短かったけれど、覚えている子は覚えているから。彼女はとても可愛いらしいし、みんなの――学校中の、注目の的だったから。

 人の興味・関心からくる質問は、人の心を意図せずえぐってしまうことがあると、僕は思っている。だからなるべく関心が向かないように、学年は当時のまま、というわけだ。

 だけれど、それでも注目は集めてしまうかもしれない。繰り返しになるけれど、当時でさえ大人気だったからね。

 また、可愛い編入生がやってきた、となると大騒ぎになるかもしれないんだ。

 だけど、彼女のことは、僕が守る。
 ――――絶対に。



 実は今日、2年振りに彼女に会いに行く予定なんだ。
 もちろん、許可を取ったうえだ。
 まずは、事情を知る1年3組の齋藤先生。
 齋藤先生は今も1年3組の担任の先生だけれど、学年主任も兼務している。
 それに、彼女のご両親にも。


 ちゃんと許可は取ったから、大丈夫だ。

 ――だって、彼女にとって僕はだから。

 
 ◇ ◇ ◇

 ――コンコン。
 教室の戸をノックして、ガラリと開けた瞬間、
 ……会いたかった、彼女がフッと顔を上げた。


 ――1年3組、放課後の教室。
 一学期の期末試験の追試に向けた自主学習をしている彼女。

 夕陽を背に浴びながら、小首をかしげて、の僕をじっと見ている。

 ――あぁ、彼女だ。

 透き通った白い肌に、
 少し跳ねた癖っ毛の栗色の髪は、肩まで伸びている。
 ストレートの眉に、
 少し垂れ気味な大きな目。
 目の下には、泣きぼくろ。
 線の細い身体に、大きな黄色のリボンタイがよく目立つ。


 ――やっと……、会えた……。

 もっともっと可愛くなったな、とか、
 大人っぽくなったな、とか、
 ――やはり僕のことは覚えていないんだな……とか、

 そういったことよりも、彼女と再び会えた喜びが、僕の心に去来して、抑えようとしても目頭がどうしても熱くなってしまう。
 
「あの、どちら様……ですか? ここは、1年3組の教室です」

 彼女は、まっすぐな瞳で僕を見つめる。
 僕は、答えた。


「『鈴木正一です、よろしく』。3年1組の生徒なんだ」

「鈴木正一……先輩?」
「うん。よろしくね、赤宮さん」

「どうして、私の名前を……?」

「………………。

 ……実は僕、君の期末試験の追試の勉強をサポートしたくてね。齋藤先生と相談して決めたんだ。

 ……受け入れて、もらえるかな?」

 彼女は少し驚いたような表情をしたものの、はにかんだ様子で小さくコクン、と頷いてくれた。

 彼女が座る一つ前の机を180度回転させて、彼女の机にピタリと合わせる。
 そして……会いたかった彼女と対面で座り、じっと見つめる。


 ――僕はこの日、言うことをずっと決めていた。
 何度も何度も、頭の中で繰り返し練習してきた、あの言葉。


「ねぇ、賭け、してみない?」
「賭け、ですか?」
「そう、賭け」

 夕陽を背に浴びながら、不思議そうに僕の顔を見て首をかしげる彼女。

 僕は、2年前彼女がそうしたように、笑ってみせた。
 イタズラっぽく――そしてこれは意図的ではなかったけれど、やっぱり少し恥ずかしいから、あの時の彼女のように、はにかんでしまった。


「いいですけれど、どんな賭けなんですか?」
「追試で赤宮さん合格ができなかったら、僕の言うこと全部聞かなきゃいけないってヤツ。どうかな?」


 ええええ! とびっくりした様子で両頬をきゅうっとはさむ彼女。
 なんて可愛らしいんだろう。
 可愛い仔猫みたいだ。
 この教室が僕ら2人だけで良かった。
 こんなに可愛い彼女は、誰にも見せたくなんかない。

 そんな彼女の様子を、頬杖をつきながらニヤニヤ顔で見つめている僕。
 ――2年前とは、まったく逆の構図だ。


 ――ぽたり、ぽたり……。――――パラパラパラ……!

 雲一つない空だというのに、突然、天気雨が降ってきた。

「あ、雨……。それに、虹……!」

 彼女はガタリと立ち上がって、教室の窓に手を当てててんを眺めた。

「雲一つないのに雨が降るの、そらが泣く――天泣てんきゅうって言うらしいんだ」

 彼女からの受け売りを話す僕。
 
 彼女は――――――

「――天泣てんきゅう……。てん……きゅう……。……てん……きゅ……う……?」

 ――――――――ただ、僕の言葉を繰り返した。

「それに……」

 僕が虹の説明をしようと思った時、彼女は窓ガラスを、指の腹で、きゅうっと掴むようになぞった。

 ――ぽたり、ぽたり……。

 教室の床に涙の粒が、ぽたりぽたりと、染み渡る。


「『虹、綺麗だね……。虹ってね、てんの弓って書いて――天弓てんきゅうとも言うんだって。てんきゅうって言葉、今日の私たちに、縁があるみたい』。

 ……そうだよね、正一くん……!」


 振り返った彼女の瞳からは、たくさんの涙が溢れ出していた。

 僕は思わず、彼女の手首を掴んで、ぎゅっと胸に抱き寄せる。

「正一くん、わた……わたし……思い出したよ。ぜんぶ……! 全部……! 全部……!」

 僕は彼女の震える肩を、ぎゅうっと抱きしめた。
 2年間、会える日だけをずっと夢見ていた。
 再び会えただけで嬉しいというのに。
 僕のことを、思い出してくれた。


 ――愛しい――

 ――愛しい――

  
 ――――でも、そんな僕の感情よりも……



「ヒカリちゃん、生きていてくれて、ありがとう。無事に帰ってきてくれてありがとう。それだけでもう……僕は……」

「正一くん……待っていてくれて……ありがとう……」

 僕らは、しばらく抱き合った。
 2年間という長い年月を埋めるかのように……。

 ◇ ◇ ◇

「ええええーっ! あのラブレター、読んじゃったの⁉︎」
「うん、そうなんだ……ごめん」

 彼女は、本当に全部思い出したようだった。
 仔猫のシールで封した、あのピンクのレターセットのことも。

 途端に彼女の顔は、茹蛸ゆでだこのように蒸し上がる。

「どっ、どこまで読んじゃったの? 全部っ? 最後まで……っ?」

 ――まったく、どこまで可愛いんだろう。
 そんな気持ちを込めて、僕は言う。

「――もう、反則だよ」
「は、反則ッ?」

「――そう。可愛すぎて、反則」
「ええええっ! 質問に答えていないし、からかっちゃ、ダメなのにッ」

 彼女は抱きしめる僕を両手を突っ張って全力で突き放そうとするが――僕はびくとも動かない。
 力じゃ僕に敵わないのにと思いつつ、彼女の思うとおりに少し離れてみた。

 彼女はぷくっと片頬を膨らませて、
 ちょっぴり上から目線な態度で、
「さっきの賭けの話だけど、私乗ったよ」
 と僕に言った。

「はははっ。約束だからな?」
「うん、約束!」
 
 ――そう、ふわりと笑った彼女の頬は、背景の夕陽のせいもあってか夕陽色に染まって見えた。

「ちなみに正一くんが賭けに勝ったら、どんなお願いをするつもり?」


 ――そんなの、決まってる。
 僕の答えは、一択だ。


「――僕のカノジョになってください、かな。

 ……大好きだよ、ヒカリちゃん」

「……それこそ、反則だよぉ」

「それで、返事は?」


 僕は彼女の片頬にそうっと手を添える。
 ――あの日、向日葵畑でそうしたように。



 彼女は僕の手の上にそうっと手を重ねて、目を潤ませて――

「もちろん、喜んで、だよ」


 ――――そう言って、頬を染める君は、夕陽に負けないくらい、とても眩しかったんだ。



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