377 / 439
第二部:第三十二章 積み重ねたもの
(一)悪魔②
しおりを挟む
経験した事の無い波動がラーソルバールを襲う。
毒を帯びた深い霧が皮膚にまとわりつくような、不快感を通り越して、気分が悪くなりそうな程の闇への誘い。
宙に浮く相手を睨みつけると、剣を握り締め、魔力を流し込む。
手の届かない場所に居る相手よりも、まずは眼前の相手。上空からの攻撃は、注意を払えば何とかなるだろうか。敵に動きが有っても、エラゼルやガイザ、ジャハネートが動くに違いない。
確信を持って地面を蹴る。エラゼルが愛するこの庭園をなるべく傷つけないように、と願いながら。
「えっ?」
ラーソルバールが振り下ろした剣は、急襲したのにも関わらず、恐るべき反応速度を見せた悪魔の剣で受け止められた。完全に勢いを殺され、まるで大きな岩にでも切りつけたような感覚が手に伝わる。
押し返す力も、元は人間であった者とは思えない程で、反撃を警戒したラーソルバールはすぐに飛び退いた。
(魔力を込めたところで力勝負では勝てない……)
魔法か、剣技か。
果たして、かつて目にした本には何と書いてあったか。悪魔への魔法は、弱点は……。いや、それよりも。先程、変容が終わらぬうちに片を付けておくべきだったか、と後悔する。
ラーソルバールが焦燥する様子を空中で眺める悪魔は、余裕の笑みを浮かべる。
「たかが雪辱の為に、人間である事を捨てるなど、何と愚かな……」
宙を睨み、エラゼルは苦々しげに口にした。
「負け惜しみか?」
地上を見下ろす目が冷たく、黒く淀む。地上の二体とは異なり、やや赤みがかった黒い肌が、すでに悪魔へと変異を終えたのだと物語る。
「私達は負けなどしない。貴様は、暗殺者としての誇りまで捨てたのか、と聞いている」
「捨ててなどいない。ここでお前達を殺せば、それで良い」
人間であったときの声は薄れ、低く暗く魂を侵食するかのようなものへと変わり、威圧するように語りかける。
「悪魔の力を借りても……いや、悪魔に取り込まれても、構わないと?」
「なに?」
ジャハネートの問いに、悪魔と化した男はゆっくりと振り返る。
「お前はもう人間には戻れん。そういう禁忌の呪術の存在は知っている。アタシらからの情けだ、まだ人間としての意識が有るうちに殺してやるから、有り難く思いな」
エラゼルとジャハネートが上空の敵の注意を引きつけている間、ラーソルバールは再び攻勢に入っていた。
迷っても仕方が無い、自分に出来るのは剣を振るう事だけ。愚直に積み重ねてきた剣こそが自分の全てではないか。上から左下へ、そのまま左から右へと剣を躍らせ、次第にその剣速を上げる。止められ、弾かれたのなら、それよりも速く、強く。
剣を振りながら、ランタンに映し出される悪魔の姿を見て気付く。体の所々に人間のまま変容していない部分がある。
ジャハネートが「半悪魔」と形容した時点から、かなり悪魔寄りになったものの、これ以上は変化しないのだろうか。仮にそうだとすれば、悪魔の肉体に人間である部分がついて来られなくなるに違いない。つまりはラーソルバール自身が、素体となっている男の身体能力を少しでも上回ることができれば、勝てるかもしれないということ。
「力を温存している場合じゃないね……」
ラーソルバールは苦笑いした。
上空の敵は、ジャハネートが牽制しているおかげで、降りてこようとしない。それとも機会を探っているのか、依然として余裕の表情を見せている。
そして、腹部の傷のせいで動けないのかと思われていたもう一体の半悪魔だったが、突如しびれを切らしたようにエラゼルへと襲い掛かった。
「ぐっ!」
恐ろしい速度で迫った相手の攻撃を、エラゼルは辛うじて剣で受け止めたが、その力を受け止めきれずに弾き飛ばされてしまった。着地に失敗し、バランスを崩しかけたところに、追い討ちがやってくる。その瞬間、エラゼルと敵との間に、ガイザが割って入った。
不意を突く形になったおかげだろうか、右肩にガイザの剣が深く突き刺さり、勢いは止まる。エラゼルに斬られていた場所からも、いまだに青黒い血が流れ出ている。
「万全じゃないようだからな、俺でも何とかなる」
ガイザが不敵に笑う。
肩に刺さった剣を嫌った悪魔は、左の手で無理やり引き抜くと、後方へ飛び退き、間を取った。
「すまぬ」
エラゼルは素直に感謝の言葉を口にする。
「気にするな」
たまには俺にも良い格好させてくれよ、このままじゃ、あいつに置いてかれっぱなしだからさ。ガイザはその言葉を飲み込んだ。
毒を帯びた深い霧が皮膚にまとわりつくような、不快感を通り越して、気分が悪くなりそうな程の闇への誘い。
宙に浮く相手を睨みつけると、剣を握り締め、魔力を流し込む。
手の届かない場所に居る相手よりも、まずは眼前の相手。上空からの攻撃は、注意を払えば何とかなるだろうか。敵に動きが有っても、エラゼルやガイザ、ジャハネートが動くに違いない。
確信を持って地面を蹴る。エラゼルが愛するこの庭園をなるべく傷つけないように、と願いながら。
「えっ?」
ラーソルバールが振り下ろした剣は、急襲したのにも関わらず、恐るべき反応速度を見せた悪魔の剣で受け止められた。完全に勢いを殺され、まるで大きな岩にでも切りつけたような感覚が手に伝わる。
押し返す力も、元は人間であった者とは思えない程で、反撃を警戒したラーソルバールはすぐに飛び退いた。
(魔力を込めたところで力勝負では勝てない……)
魔法か、剣技か。
果たして、かつて目にした本には何と書いてあったか。悪魔への魔法は、弱点は……。いや、それよりも。先程、変容が終わらぬうちに片を付けておくべきだったか、と後悔する。
ラーソルバールが焦燥する様子を空中で眺める悪魔は、余裕の笑みを浮かべる。
「たかが雪辱の為に、人間である事を捨てるなど、何と愚かな……」
宙を睨み、エラゼルは苦々しげに口にした。
「負け惜しみか?」
地上を見下ろす目が冷たく、黒く淀む。地上の二体とは異なり、やや赤みがかった黒い肌が、すでに悪魔へと変異を終えたのだと物語る。
「私達は負けなどしない。貴様は、暗殺者としての誇りまで捨てたのか、と聞いている」
「捨ててなどいない。ここでお前達を殺せば、それで良い」
人間であったときの声は薄れ、低く暗く魂を侵食するかのようなものへと変わり、威圧するように語りかける。
「悪魔の力を借りても……いや、悪魔に取り込まれても、構わないと?」
「なに?」
ジャハネートの問いに、悪魔と化した男はゆっくりと振り返る。
「お前はもう人間には戻れん。そういう禁忌の呪術の存在は知っている。アタシらからの情けだ、まだ人間としての意識が有るうちに殺してやるから、有り難く思いな」
エラゼルとジャハネートが上空の敵の注意を引きつけている間、ラーソルバールは再び攻勢に入っていた。
迷っても仕方が無い、自分に出来るのは剣を振るう事だけ。愚直に積み重ねてきた剣こそが自分の全てではないか。上から左下へ、そのまま左から右へと剣を躍らせ、次第にその剣速を上げる。止められ、弾かれたのなら、それよりも速く、強く。
剣を振りながら、ランタンに映し出される悪魔の姿を見て気付く。体の所々に人間のまま変容していない部分がある。
ジャハネートが「半悪魔」と形容した時点から、かなり悪魔寄りになったものの、これ以上は変化しないのだろうか。仮にそうだとすれば、悪魔の肉体に人間である部分がついて来られなくなるに違いない。つまりはラーソルバール自身が、素体となっている男の身体能力を少しでも上回ることができれば、勝てるかもしれないということ。
「力を温存している場合じゃないね……」
ラーソルバールは苦笑いした。
上空の敵は、ジャハネートが牽制しているおかげで、降りてこようとしない。それとも機会を探っているのか、依然として余裕の表情を見せている。
そして、腹部の傷のせいで動けないのかと思われていたもう一体の半悪魔だったが、突如しびれを切らしたようにエラゼルへと襲い掛かった。
「ぐっ!」
恐ろしい速度で迫った相手の攻撃を、エラゼルは辛うじて剣で受け止めたが、その力を受け止めきれずに弾き飛ばされてしまった。着地に失敗し、バランスを崩しかけたところに、追い討ちがやってくる。その瞬間、エラゼルと敵との間に、ガイザが割って入った。
不意を突く形になったおかげだろうか、右肩にガイザの剣が深く突き刺さり、勢いは止まる。エラゼルに斬られていた場所からも、いまだに青黒い血が流れ出ている。
「万全じゃないようだからな、俺でも何とかなる」
ガイザが不敵に笑う。
肩に刺さった剣を嫌った悪魔は、左の手で無理やり引き抜くと、後方へ飛び退き、間を取った。
「すまぬ」
エラゼルは素直に感謝の言葉を口にする。
「気にするな」
たまには俺にも良い格好させてくれよ、このままじゃ、あいつに置いてかれっぱなしだからさ。ガイザはその言葉を飲み込んだ。
0
お気に入りに追加
67
あなたにおすすめの小説
30年待たされた異世界転移
明之 想
ファンタジー
気づけば異世界にいた10歳のぼく。
「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」
こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。
右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。
でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。
あの日見た夢の続きを信じて。
ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!
くじけそうになっても努力を続け。
そうして、30年が経過。
ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。
しかも、20歳も若返った姿で。
異世界と日本の2つの世界で、
20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。
嫌われ聖女さんはとうとう怒る〜今更大切にするなんて言われても、もう知らない〜
𝓝𝓞𝓐
ファンタジー
13歳の時に聖女として認定されてから、身を粉にして人々のために頑張り続けたセレスティアさん。どんな人が相手だろうと、死にかけながらも癒し続けた。
だが、その結果は悲惨の一言に尽きた。
「もっと早く癒せよ! このグズが!」
「お前がもっと早く治療しないせいで、後遺症が残った! 死んで詫びろ!」
「お前が呪いを防いでいれば! 私はこんなに醜くならなかったのに! お前も呪われろ!」
また、日々大人も気絶するほどの魔力回復ポーションを飲み続けながら、国中に魔物を弱らせる結界を張っていたのだが……、
「もっと出力を上げんか! 貴様のせいで我が国の騎士が傷付いたではないか! とっとと癒せ! このウスノロが!」
「チッ。あの能無しのせいで……」
頑張っても頑張っても誰にも感謝されず、それどころか罵られるばかり。
もう我慢ならない!
聖女さんは、とうとう怒った。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
婚約者が王子に加担してザマァ婚約破棄したので父親の騎士団長様に責任をとって結婚してもらうことにしました
山田ジギタリス
恋愛
女騎士マリーゴールドには幼馴染で姉弟のように育った婚約者のマックスが居た。
でも、彼は王子の婚約破棄劇の当事者の一人となってしまい、婚約は解消されてしまう。
そこで息子のやらかしは親の責任と婚約者の父親で騎士団長のアレックスに妻にしてくれと頼む。
長いこと男やもめで女っ気のなかったアレックスはぐいぐい来るマリーゴールドに推されっぱなしだけど、先輩騎士でもあるマリーゴールドの母親は一筋縄でいかなくて。
脳筋イノシシ娘の猪突猛進劇です、
「ザマァされるはずのヒロインに転生してしまった」
「なりすましヒロインの娘」
と同じ世界です。
このお話は小説家になろうにも投稿しています
旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします
暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。
いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。
子を身ごもってからでは遅いのです。
あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」
伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。
女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。
妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。
だから恥じた。
「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。
本当に恥ずかしい…
私は潔く身を引くことにしますわ………」
そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。
「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。
私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。
手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。
そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」
こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる