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7. 謎の女性
しおりを挟む“噂”の話を殿下にしてしまったからか、その後の私は思い悩むことも無くなり、いつも通りの日々を送っていた。
(大丈夫……殿下は私を大切にしてくれているわ……)
だから、もしも噂が本当でジュディス王女が生きていたとしても、殿下は私を捨てたりしない。
そんな人じゃない!
私はそう信じる事にした。
───
「王宮からお兄様と一緒に帰れるなんて珍しいですね、嬉しいです」
「ここのところ仕事漬けだったから、殿下に無理を言って帰してもらったんだ」
そう答えるお兄様は確かに少し疲れているように見える。
少しやつれたかも。
ここ数日、忙しそうにしているのは知っていたけれどそこまでだったなんて。
「そうだったんですね……お疲れ様です、お兄様」
「いいか? ユディット。殿下は優しそうな顔をしているが悪魔なんだ! 仕事に関しては悪魔のような男なんだ!」
「ふふ……お兄様ったら」
どうやら、お兄様は相当お疲れの様子ね。
殿下はいつだって優しいじゃない。そんな方を悪魔だなんて!
「ユディット! ふふ、じゃないぞ? そのニコニコ顔は信じてないな!? 殿下は本当に……悪魔なんだぞ……」
本日のお妃教育を終えて帰ろうとしていたら、お兄様から“自分もこれから帰宅するので一緒に帰ろう”という伝言が届いた。
最近はお互い忙しくてゆっくり話す時間もなかったので、久しぶりにお兄様と話せる時間がとれた事が嬉しい。
「お兄様? 人前でそんなことを口にしたら大変な事になってしまいますよ?」
「くぅ……もういいさ。そうさ、あの殿下がユディットの前で悪魔になるはずがないんだ……被害者は俺だけか……」
お兄様はブツブツと独り言を呟きながら頭を抱えている。
「ところで、ユディット、もう具合が悪くなったりはしていないか?」
「ええ! 大丈夫です。見ての通り元気いっぱいですわ!」
「……」
私が笑顔で元気よく答えると、お兄様が目からドバーッと大量の涙を流し始めた。
(えぇぇええーー!?)
「ユディット……が、そ、そん……そんな、に、元気になってくれるなんて……うぉぉぉぅ」
「お兄様ったら大袈裟ですよ?」
「あぁ、こんなにいい子をあの悪魔殿下の元に嫁にやるのは心配でたまらん」
「お兄様……」
(まだ、悪魔って言っているわ……)
「分かっている……分かっているんだ。ユディットの幸せは殿下といる事なのだと……そう! たとえ殿下が悪魔でも!」
「え!」
お兄様の言葉にドキッとした。
殿下といる事が私の幸せ……
それって、私が殿下のことを好きだってバレバレという事じゃないの。
(なんだか恥ずかしいわ……)
私が熱くなってしまった頬を冷ましていたら、お兄様からの視線を感じた。
涙を引っ込めて、私を見つめるその目はとても優しかった。
「……? お兄様、どうかしましたか?」
「ユディット、大丈夫だ」
「え?」
そう言ってお兄様が私の頭を撫でる。
「ユディットは心配する必要なんかどこにも無いんだ」
「し、心配って……」
もしかして、お兄様は“噂”のことを言っているのかしら?
私が気にしていた事……気付いていた?
「だって、バーナード殿下は見ているこっちがむず痒くなるくらい、いつだってユディットしか見ていないからな!」
「え?」
むず痒く、とは?
内心で首を傾げた。
「だから……今さら、ユディットと殿下の間に他の女性が入る隙間なんてどこにも無いんだよ」
「お兄様……」
これは、お兄様なりに励ましてくれている?
ジュディス王女の噂なんて気にするな、と。
(温かいわ……)
「お兄様、ありがとうございます」
「当たり前だ! 俺は“お兄ちゃん”だからな!」
私がお礼を伝えると、お兄様は得意満面の笑みでそう答えた。
───お兄ちゃん!
あぁ、そうだった。私は昔、お兄様の事をそう呼んでいたわ……
(ふふ、懐かしい……)
そんなお兄様の温かくて優しい気持ちと思い出に胸がじんわりしていたその時だった。
───ガタンッ
「……きゃっ!?」
「何だ!?」
突然、馬車が大きな音を立てて止まった。
よろめいた所をお兄様がしっかり支えてくれる。
「……?」
「何だ? どうしたんだ? 車輪でも外れたのか? ちょっと外の様子を見て来る。ユディットは、このままここにいろ」
「は、はい……」
お兄様が私を座らせると、外の様子を見に出て行く。
王宮から公爵家まではそんなに長い距離でもないし、道もちゃんと舗装されているはずだ。
それに今日は天気も良いので、正直、脱輪は考えにくい。
では、何があったのかしら、と一気に不安になった。
馭者も出てきたようで、お兄様と何やら話し込んでいるのか声だけが聞こえてくる。
「どうする?」「困ったな」
そんな会話だったので、何かトラブルが起きたと思われた。
「───すまない、ユディット。ちょっと出て来てくれ」
暫くしてから、お兄様に呼ばれたので私も馬車の外に出る。
そして……
「……はっ! お、お兄様!? そ、そこの方は……?」
「馭者が言うには、突然フラフラと馬車の前に飛び出して来たそうなんだ」
「フラフラと? ま、まさか、轢いて……」
外に出た私の目に真っ先に飛び込んで来たのは、その場に倒れている女性だった。
「せっ、接触はしておりません! すんでのところで避けました。で、ですが、転んだこの方はそのまま目の前で意識を失ってしまって……」
慌てた馭者は轢いてはいないと主張する。
確かに、もしも馬車に轢かれていたらもっとすごい状態になっていたと思う。
「そういうわけで、この女性は気を失っているようなんだ。もしかすると転んだ際に頭を打っている可能性もある」
お兄様が困ったように言う。
「まだ、若そうですね?」
「あぁ」
それに。顔ははっきり見えないけれど、歳は私と同じくらいなのでは?
陽の光のせい? キラキラ輝く金髪がとても眩しい。
「……綺麗」
あまりの髪の綺麗さに思わずそう口にしていた。
そして思う。
(ジュディス王女の金の髪もこんな感じだったのかしら?)
「ユディット……とりあえずこの女性をこのままにはしておけない。一度、邸に運んで医者を呼ぼうかと思う」
「え、ええ、そうね。お兄様」
「では、馬車まで運ぼう」
そうして、お兄様が頭を揺らさないように気をつけながら、彼女を持ち上げて抱えようとする。
「……っっ! えっ!? なっ……ジュ……」
「お兄様? どうかしましたか? 実は、お知り合いの方でしたか?」
抱えあげた時にその女性の顔が見えたからなのか。お兄様が一瞬変な声を上げた。
「知り合……あ、いや、違っ……な、なんでもない! 気のせいだ……うん、見間違いだ……うん」
「?」
「他人の空似……」
(変なお兄様ね……否定していたけれど、やっぱり知り合いだったのでは?)
お兄様が少し挙動不審なのが気になりつつも、とりあえず今はその女性の容態の方が心配なので、深く追求はしないでおこうと決めた。
そうして私達は、謎の女性と共に再び馬車に乗り込み、馬車は再び出発。
(あら? お兄様……?)
だけど、邸に着くまでの間のお兄様は何かを考えていたようで、ずっと険しい顔をしていた。
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