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1. 初恋の人

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 その日、わたしは朝からソワソワしていた。

 何度もチラチラ窓の外を見ては“まだ来ない”そう呟いて肩を落とす。
 そして部屋の中をウロウロした後、もう一度窓に向かって外を見る。
 もう、この行動……何度繰り返したかしらね?

「はぁ、アニエス。気持ちは分かるが少し落ち着いたらどうだ」
「お、お父様……」

 お父様の声にわたしは振り返る。

「さっきからウロウロと。お前はいったい部屋を何周するつもりなんだ?」
「うっ……」

 あまりの落ち着かなさに、確かにウロウロし過ぎた気は、する。

「で、でも、お父様!  その、何かしてないと落ち着かないの!」
「それなら、いつものようにレースでも編んでいればいいだろう?」
「!」

 お父様は呆れた声でわたしにそう言った。
 けれど……

「す、すでに…………よ」
「うん?」
「さ、昨夜から全然眠れなくて……気付いたらすでにこんなに編んでいたわよ!!」

 わたしは昨夜、眠れなくて夜通し作り続けたレース編みの作品をお父様の前にババンッと見せつける。
 これにはさすがのお父様もびっくりして目を丸くした。

「そ、そうか……かなり多いな。アニエス……そんなに今日の訪問を楽しみに……?」
「……っ」

(もうもうもう!  ……ナタナエルのバカっ!)

 私は心の中でこれから家にやって来ることになっている“彼”に文句を言う。

 ───アニエス。明日、君に大事な話があるんだ。
 家を訪ねてもいいかな?

 昨日、そう言われた。
 いつものふざけた様子もなく、とても真面目な顔で。
 わたしの気のせいでなかったなら、彼の顔もほんのり赤かったと思う。

(それって、もしかして……プロ……)

 悔しいけどわたしの胸はときめいた。
 頬も触れてみるとすごく熱かった。
 かつて捨てたはずの初恋。
 昔、しっかり蓋をして見ないことにしようとしたはずの初恋の扉が───……

「……あ!」

 その時、我が家の玄関の呼び鈴が鳴った。

(───来たわ!)

「お、来たかな?  それにしても久しいな。会うのは何年ぶりになるだろうか……あの日以来──」
「わ、わたし!  で、で、出迎えて来ますわっ!」
「え! アニエス!?」

 わたしは玄関に向かって走った。
 応対しようとしている使用人を突き飛ばして退かせると急いで扉を開ける。

(待ってたわ、ナタナエル!)

「───遅いわよ!  いったい何していたのよ、ナタナ…………」

 心の中とは違う裏腹な言葉がわたしの口から飛び出す。
 でも、わたしは知っている。
 彼は怒ったりしない。
 いつだってこっちが引くくらいわたしの気持ちを理解してくれているから。

「…………え?」

 だけど、扉を開けた先に立っていたのは、わたしが待っていた彼ではなかった。
 そこには彼の代わりにとても美しくて綺麗な令嬢が立っていた。
 その後ろには従者と思われる男の人が付き従っている。

「えっ……と?」

(どちら様……?)

 その令嬢は戸惑うわたしに向かってクスッと笑う。

「あなたとこうして面と向かって話すのは、はじめましてかしら?」
「……」

(確か、この方は……侯爵家の……)

 名前がすぐに出て来なかったけれど自分より爵位が上の令嬢だということは分かる。
 だって空気、立ち居振る舞いからして、伯爵令嬢のわたしと全然違う。

「パンスロン伯爵家の嫌味令嬢ことアニエス様……いえ、泥棒猫さん」
「───え」

(な、なんですって!?)

 ど、泥棒猫!?
 頭の中が真っ白になる。

「ふふ、そうそう、彼───ナタナエルはここには来ないわよ?」
「!」
「尻尾振って、まだかまだかと待っていたんでしょう?  でも……ごめんなさいね?」
「……」
「───。だって、彼は最初からなんだから」
「!?」

(どういうこと……?)

 目の前の令嬢はわたしに勝ち誇ったような笑みを浮かべながら確かにそう言った。



━━━━━──……



「は、はじめまして……」

 ある日、お父様に連れられて我が家に男の子がやって来た。
 女の子みたいに可愛い顔した男の子だった。

(男の子……よね?)

「こちらが私の娘のアニエスだ。アニエス、ほらご挨拶しなさい」
「……アニエスです」

 最初はお父様の隠し子じゃないかと疑った。
 けれど、そうではなかったらしく、友人の息子なのだと言っていた。
 よく見ればお父様には全く似ていない。
 両親は健在だけど事情があって家に居られなくなったから我が家に預けられたとかなんとか。

(事情ってなんだろう?)

 子どもだったわたしは疑問に持ちながらもその子の顔をじっと見る。
 歳は向こうの方が一つか二つ上だと言われたけれど、背だって私の方が高かった。

「あなた、弱そうね?」
「…………えっ!?」

 それが、その男の子───ナタナエルとわたし、アニエスの最初の会話。
 私に弱いと言われた彼、ナタナエルはその場で目を潤ませて半泣きになっていた。

「アニエス!  なんてことを言うんだ!」
「え、だって……」

(可愛くてお人形さんみたいで、どう見てもわたしより弱そうなんだもん)

 お父様は謝りなさい!  と強く強く言ったけどわたしは謝らなかった。
 それに結果として勘違いでも気のせいでもなく……本当に本当に本当にナタナエルは弱かった。



「───いつか、アニエスより強くなってやる!」
「へぇ、なれるものならなってみなさい?」
「言ったな!?」
「ええ、ナタナエルには絶対無理だと思うけどね」
「~~っ」

(ふふ、悔しそうな顔)

 そう言いながら、実は内心ではナタナエルのことが可愛くて可愛くて仕方がなかった。
 恥ずかしくてそんなことは一言も口に出来なかったけど。

 そうしてわたしたちは共に成長し、気付くと二年、三年と時が流れる。

「アニエス!」
「もう!  ナタナエル!  くっつかないでちょうだい、暑苦しいわ!」
「え~?」

 ナタナエルはわたしを見つけると、すぐ後ろから抱きついてくる。
 それをいつもわたしは怒りながら跳ね除けていた。

(違う……本当は恥ずかしいだけ……)

 だって、こんなにくっついたら心臓の音がナタナエルに聞こえちゃうかもしれないから。

(でも、こんな気持ち知られたくない)

 今の関係を壊したくない……
 出来ればずっと、このまま───
 いつしか、ほのかに芽生えた彼への想いは必死に押さえ込もうとした。

(でも、いつか……素直になれたなら……)


 だけど。
 我が家に彼が連れて来られてから五年目。
 ナタナエルは突然、わたしの前からいなくなった。

 たった一言だけ書かれた手紙を残して─────……

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