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15. 嵐の前の……

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「今日の旦那様は少し、帰宅が遅いわね」

  私は、時計を見上げながらそう呟く。
  旦那様は前に“遅くなるから夕食は先に食べていて”と言っていたあの日以外は、夕食時までには帰って来てくれていた。

「……嬉しかったけれど、もしかして毎日、私のために無理していたんじゃ……」

  旦那様は優しいから、きっと私が訊ねても「そんな事ないよ」と言って頷かない。

「それならば、旦那様が帰ってこられた時に、少しでも疲れを癒して差し上げたいわ」

  自分に出来る事は無いかしら?  と、相談するためにメイドを呼んだ。



「え?  仕事でお疲れの若君を癒す方法ですか?」
「そうなの!  口にしないだけで絶対にお疲れだと思うの。何かいい案は無いかしら?」
「若奥様……」

  メイドがじっと私を見る。

「こんなに可愛くて綺麗な若奥様に微笑まれて“おかえりなさい”と言われるだけで、若君は癒されていそうですけどね……」
「何か言ったかしら?」

  メイドの発した言葉は小さくてはっきり聞き取れなかった。

「若君は若奥様が出迎えてくれるだけで幸せそうですよ?」
「そうなの?」
「はい。あんな早い時間にウキウキして帰宅する若君はこれまで見たことが無かったです」
「ウキウキ……」

  旦那様が私と過ごす時間を嬉しいと思ってくれているなら、私も嬉しい。
  そう思った私が微笑むと、メイドが「……はっ!  神々しい」と、呟いて別の世界へ旅立とうとしていた。

「どうかしたの?」
「い、いえ……だ、旦那様にはその微笑みをするだけでよろしいかと……あと、そうですね、もし可能ならーー……」
   
  私はメイドの話を真剣に聞き取った。





「……おかえりなさいませ、旦那様」
「ルチア!」

  そして、ようやく旦那様が帰宅された。 
  ああ!  やっぱり顔がいつもよりお疲れだわ!

「すまない……いつもより遅くなってしまった」
「いいえ、お疲れ様でした!  食事はこれからですよね?」
「ああ」

  よーし!  それなら、食事の用意が出来るまで思う存分、旦那様を癒してみせるわ!   
  と、私は気合を入れた。




「…………ル、ルチア……これは」
「旦那様がお疲れだという事で、私に何か出来ないかとメイドに相談しましたの」
「そ、そ、そうか……!」
「男性はこれで癒されると力説していたしたけど、そうなのですか?」

  食事の準備が出来るまでの間、私と旦那様は部屋でまったり過ごす事になった。
  そこで私は“今しかない!”と決意し、旦那様をお誘いした。
  …………旦那様の頭を私の膝の上に。

「そうだな……癒し……いや、もう幸せ過ぎて一気に天国への扉が開いてしまった気分だ……」
「え……」

  それ死んじゃう!

「お、置いていかないで下さい……」
「え?」
「私、もっと旦那様と一緒にいたいです。だから……」
「ルチア……?」 

  旦那様が下から手を伸ばしてそっと私の頬を撫でる。

「置いていかないよ?  せっかくこんなにこんなに可愛いお嫁さんを迎えたのに置いていくはずがないだろう?」
「旦那様……」

  旦那様が優しく笑う。
 
「俺はね、ルチアに“幸せ”を知ってもらいたい」
「……幸せ、ですか?」
「ああ、俺が必ずルチアを守り、幸せにする。だからこれからも可愛い笑顔をたくさん見せてくれ!  ルチア」

  ───あぁぁ、もう!  なんて罪作りな人なの!

「……旦那様、いえ、ユリウス様……」
「うん?」
「私、幸せですよ?  望まれていない花嫁なのにこんなに優しくして貰えて……ユリウス様で良かった」

  今までのお見合い相手の人達だったら、きっとこんな気持ちにはなれなかったと思う。

「ユリウス様……私もあなたに幸せになってもらいたいです」
「俺に?」
「つ、妻として、まだまだな私ですけど、その為に頑張ります!」

  私はそう言いながらそっと旦那様の頭を撫でる。
  普段は出来ないけれど、こういう事が出来るのが膝枕のいい所かもしれないわ。
  そうして暫く撫でていたら、旦那様がみるみるうちに真っ赤になってしまったので、また熱!?  と慌ててしまったけれど……旦那様が大真面目な顔で、
 
「これは照れているだけだ!」

  なんて言うものだから、私は笑いが止まらなかった。




「───ルチア、いいかな?  ちょっと話しておきたい事があるんだ」
「旦那様?」

  食事を終えて就寝の準備をしていたら扉の向こうから旦那様の声がした。
  話しておきたい事?  
  何かしら?  と思いながら旦那様を部屋に迎え入れた。

  だけど、ベッドに腰掛けた旦那様は、しばらく沈黙してしまう。

「…………」
「…………」

  やがて旦那様は決心したように口を開いた。

「ルチアに話すか話さないか悩んだのだけど」
「……はい」
「後々、意図しない所で知られてしまう可能性の事を考えたら今日のうちに話しておくべきだと思った」
「……?」  

  今日何かあったの?
  それで帰宅が遅かったのかしら?

  ───まさか、お姉様!?  お姉様と旦那様の間で何か……

「今日、君の父上に会ったよ」
「え?  お、とうさま……?」 
「帰宅寸前の時間に俺に会いに来た」

  ───なんて失礼な事を!
  お姉様では無かったことに安堵しつつも、まさか、お父様だとは……

「お父様は……何を……?」
「……金を貸して欲しい。そう言ってきたんだ」
「……なっ!」

  まさか……金の無心に来たということ?  信じられない!  
  お姉様だけでなく、お父様まで私の事を追い詰めたいの!?

「申し訳ございません……」
「ルチア……」

  私は頭を深く下げて謝罪しながらも直ぐに顔を上げて言った。

「旦那様!  そんな申し出は絶対に断って下さい!  駄目です!  どうせ、お金の使い道は───」

  お姉様を着飾る事に決まっているのだから!
  それも、おそらく今度のパーティーの為……

「ルチア……俺は断ったよ」
「……!」
「だけど、もしかしたらそのせいでルチアの立場は……」

  あぁ、旦那様が辛そうな顔をされていたのは、私の立場の事を考えてくれていたからだったのね?
  なんて優しいの?
  義理の息子に金をたかるなんて!  と、私に怒ってもいいところなのに。

「お父様……怒っていたのではありませんか?」
「ああ……家族なのに、なぜ助けてくれぬのだ!  とか言っていたな……」
「家族?」

  調子のいい時だけそういう事を口にするのね……
 
「ルチア」

  そこで旦那様が私の事を抱きしめる。

「ルチアの家族は俺だ」
「え……」
「ルチアの“本当の家族”はこれから俺と作るんだよ」 
「旦那様……」

  その言葉が嬉しかった。
  私はギュッと旦那様の背中に手を回して抱きつく。

「……ありがとうございます」
「…………あんな奴らに払うくらいなら街中のお菓子を買い占めるさ……」
「今、何か……?」  
「何でもないよ」

  旦那様が静かに笑った気配がした。




  けれど、どうやら私がちゃんと知らなかっただけでスティスラド伯爵家実家は、既に相当金策に困っていたようで……

「若奥様……また、ご実家からの手紙ですよ」
「……今日も同じ内容かしら?」

  私はため息を吐きながら受け取る。
  もう読まなくても分かる。

  ───ユリウス殿を説得しろ
  ───それが我が家の娘としての役目だろ
  ───なんのための妻だ

  これの繰り返し。もう読むだけ無駄……
  そう思いながら、一応封を開けた。

「あら?  内容がいつもと違う?  ………………っっ!」

  私は驚きで思わず手紙を手から落としてしまう。

「……若奥様?」
「……」

  ───やはり“お荷物”のお前では夫すらも説得出来ないようだ。
  仕方が無いのでリデルを家に向かわせる───

「おね…………さ、が……?」

  ようやく手に入れた私が安心出来て幸せな場所に“嵐”がやって来ようとしていた────

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