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第36話 出発前
しおりを挟む「軟弱小僧! これで解放されると思ったか? 残念だったな! 私はサスティン王国までのジュラール殿下とシンシア王女殿下の護衛だ!」
「ご……ひ、ひぃぃ!?」
「……っ!?」
出発の日の朝、とても厳つくていい笑顔を浮かべる伯爵と、情けない悲鳴をあげるダラスの姿があった。
その横でお姉様は無言で青ざめている。
そんな様子を見ながらわたくしはコソッとジュラールに言った。
「……まさか、アクィナス伯爵がサスティン王国までの護衛を申し出てくれるとは思いませんでした」
すると、ジュラールが苦笑しながら教えてくれた。
「軟弱小僧の鍛えがまだまだ足りない! って言うのも理由の一つらしいけど──」
「けれど?」
ジュラールはチラッとお姉様に視線を向ける。
「フィオナ妃いわく、エリシア王女は相当伯爵に怯えているらしいんだ」
「え? それって……」
「そう。だから僕らの護衛と言いつつ、実際はあの二人のお目付け役のようなものだね。フィオナ妃の話を聞いて伯爵がハッハッハと笑いながら自ら進んで申し出てくれたよ」
それはまた、すごい……! だけどなんてありがたい申し出なの!
そう、感激したけれど、ふと思う。
「お、奥様のことは大丈夫なのでしょうか? ……サスティン王国は遠いです。しばらく離れ離れになってしまいますが……?」
だって、アクィナス伯爵の愛妻家っぷりはもう有名すぎるほど。
すると、後ろから「はっはっは、心配は無用だ!」という声が聞こえてきたので、慌てて振り返る。
そこには伯爵が立っていた。
「!」
わたくしは思わず声を上げそうになり、慌てて口元を押さえる。
「リアを心配してくれるとは……シンシア王女殿下は優しいな!」
「い、いえ……ですが、さすがに気になってしまって」
(もし、わたくしだったら、仕方がないとはいえ、ジュラールとそんなに長く離れ離れになる、と思うと寂しいんだもの……)
チラッとジュラールを横目で見ながら、わたくしは頬を染める。
だからこそ、彼が一緒に来てくれるという申し出はとでも嬉しかった。
「むっ? 大丈夫だ、心配要らない。リアは最高に喜んでいた!」
「よ、喜んでいた……ですか?」
「───あの理想のお姫様の護衛!? 何それ、ずるいわ! 絶対に他の人に任せてはダメです! レイさんしかいません! とはしゃいでいてな」
「は、はしゃぐ……」
思っていたのと全然違う反応だった。
「他の者に護衛を任せたとなれば……そうだな。丸一日くらいは口を聞いてもらえなくなりそうだった…………そんなのは耐えられん!!」
クワッと伯爵の顔が厳つくなる。
その言葉で思い出した。
わたくしは、奥様の愛読書の主人公に似ているんだったかしら?
「……そんなに夫人の愛読書が気になるなら、戻って来たらフィオナ妃に言うといいよ」
「ジュラール?」
「フィオナ妃も全巻揃えるほどの熱狂的ファンだから」
わたくしは頷きながら“戻って来たら”という言葉にこっそり感動していた。
(──これからのわたくしの居るべき場所は、もうここなんだわ)
それを当たり前のように口にしてくれるジュラール。
そのことが嬉しくて自然と頬が緩んでしまう。
すると、ジュラールの顔が突然真っ赤になった。
「…………シ、シンシアが、可愛くて、ま、眩しい……っ! うぅ……」
「むっ! 相変わらずジュラール殿下は軟弱だな、どうだ? 鍛えて見る気は」
「───ない! 僕はいいからエミールをムッキムキにしてやってくれ!」
ジュラールは目に涙を浮かべて即答していた。
そんな、ほんわかした空気が流れたものの、実は先ほどからわたくしは気になって仕方がないことがある。
(き、聞いてもいいものかしら?)
「あ、あの……伯爵」
「むっ?」
「さ、先ほどから……か、肩に担いでいる“それ”は……」
───ダラス……ですよね?
「これか? これは軟弱小僧だ!」
「!」
や、やっぱりそうだったーーーー!
「私が共にサスティン王国に行くと聞いた瞬間、目を回して倒れたのでな。馬車まで運んでやろうと思ったのだ」
「な、なるほど」
「まだまだ稽古が出来るとよほど嬉しかったらしい!」
伯爵はそう言って五倍増しくらいの厳つい笑顔を見せた。
嬉しかった……より、恐怖だと思うけれど、意識を失ったダラスを馬車まで運ぼうとしたことは理解したわ。
でもね……
(なぜ、肩に担ぎ上げているのーー?)
この運び方は、まるで……ハッ!
わたくしはそこでフィオナ妃との会話を思い出す。
まさか……!
(こ、これが、米俵ーーーー!?)
米俵とはこのことだったの?
伯爵の娘を弄んで棄てた男の人をボッコボコにして米俵に……
つまり、米俵のように担いでいたからだったのね!
ようやく理解したわたくしはすっきりした。
(……ん? でも、米俵のようにして運んで最終的にその人……どこに行ったのかしら? んー……生きてはいるみたいだし、別にそれはいいかしらね!)
「……シンシア? どうしたの? さっきからすごく目が輝いているんだけど?」
「え? そうですか? だって本物の米俵……!」
「こ、米俵?」
「はい!」
溢れんばかりの笑顔でそう返すわたくしに、ジュラールは驚いた顔をしながら、ギュッと抱きしめてきた。
「ジュラール……?」
「…………シンシアが可愛い 、愛しい、大好きだ!」
「!」
嬉しくてわたくしからもギュッと抱きついた。
そんなわたくしたちを、またもや存在を忘れかけていたお姉様がギリッと悔しそうな顔で見ていたと後に聞かされた。
けれど、お姉様は伯爵が怖かったせいか、そこから一歩も動けなかったという。
そうして、いよいよサスティン王国へとわたくしたちは出発した。
「え? ジュラール、隣に座るのですか!?」
「うん」
馬車に乗り込むと、ジュラールは向かい側ではなくわたくしの隣に腰を下ろした。
「……嫌?」
「ま、まさか! その、ぬ、温もりを感じることが出来るので……う、嬉しいです!」
「シンシア!」
わたくしが頬を染めながらそう伝えるとジュラールも照れ臭そうに笑ってくれた。
───この時、わたくしたちとお姉様とダラスの乗った馬車は別々の馬車だった。
けれど、一方は終始ジャリジャリで口の中が甘くなり、もう片方は凍えるほど寒くなるという真逆な環境だったと付き添いの者たちは後に語っていた───
そうして、途中、ダラスが何度も何度も脱走しかけていたけれど、伯爵の手によって全て確保され続け、わたくしたちは無事にサスティン王国へと到着した。
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