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第二十八話 物語と現実
しおりを挟む私が何かを言う前に、ステラの方が先に口を開いた。
「アイリーン様って酷い方ですね。こんな目にあっている私にわざわざ会いに来るなんて。幸せを見せつけに来たんですか? それとも嫌味でも言いに来たのですか?」
「……」
ステラからすればそう思うのは当然だった。
私はヒロインのステラを押しのけて花嫁に選ばれただけでなく、大勢の前で彼女を断罪した1人なのだから。
「ステラさん、私がこうして今日訪ねた理由はあの場では出来なかった話を最後にちゃんとあなたとしたかったから……それだけです」
「……話?」
ステラと話をしたいと思った。
でも、決して私は幸せを見せつけに来たわけでも、嫌味を言いに来たわけでもない。
「ステラさん、あなたは“指輪が導く運命の花嫁”という小説を知っていますよね?」
「っ! そうだった、あなたは……!」
その言葉にステラの顔色が変わる。
「モブのくせに……ヒロインの私から何もかもを奪った……」
「ステラさん。それ、止めましょう?」
「……止める?」
ステラは怪訝そうな顔を私に向ける。
「モブだとかヒロインだとか……です。ここは小説の世界ですけど現実でもあるんですよ? 現実と物語は違うのだと私は、あなたに知って欲しかった。その為に今日は無理を言ってここに来ました」
彼女のこれからを思うと、しっかりそこを受け入れないとこの先を生きていく事は難しいと思うから。
小説の世界に囚われているステラに今後待っているのは、そこには書かれていない未来。
「あなたも……ヴィンセント様の気持ちを聞いていましたよね? ヴィンセント様が物語に登場しないモブの私に恋をしていた……なんて描写は小説にはもちろんありませんでした」
「……」
「あの中でに書かれていた“物語”は長い長い人生のほんの一部です。でも、現実である今にはそこには書かれていない過去や未来があります。だから“現実”はその通りにはいかないんですよ」
ステラは俯いていた。
表情が見えないので何を思っているかはさっぱりだ。
「……指輪はいつ手にしたのよ」
長い沈黙の後、ステラが訊ねて来た。
「侯爵家の花嫁探しのパーティーが開かれた日です。偶然、拾いました」
「その日に……? それより、あなたはその指輪がヴィンセント様の花嫁を選ぶ“指輪”だと分かっていて拾ったのでしょう?」
「違います。その時の私は前世の記憶を思い出してはいませんでしたから。指輪を拾った後、突然指にはまって抜けなくなり驚きました」
ステラが顔を上げた。
その表情はどこか驚いていて。
「それは本来の物語で私が…………なら、本当に指輪は……あなたを……」
そう口にした後、ステラは目を伏せぐっと唇を噛み締めていた。
「……侯爵夫人となって幸せになれる……そう思ったのに」
「……ステラさん。あの時も言いましたが貴族社会は甘くありません。今、取り調べを受けているあなたのこの状況がいい例です」
「っ!」
「ヴィンセント様の事を好きでないと、まず耐えられない世界ですよ?」
侯爵家に通うようになって、花嫁修業が始まり実感している。
思っていた以上に求められる事は多かった。
「私はヴィンセント様がいてくれるから、彼が笑ってくれるから頑張れるのです」
「……惚気ないでよ!!」
「惚気?」
私が首を傾げたらステラは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……なんなのよ……パーティーでも惚気けてイチャイチャしてたけど……」
「ただ、ヴィンセント様の事が好きなだけです。出会い……きっかけこそ確かにこの“指輪”だったかもしれませんが、私のこの想いはヴィンセント様と過ごすうちに育った大切な気持ちですから」
「…………本当にムカつく」
ステラはそう吐き捨てた。
だけど、その顔つきはこの間までとは違うようにも見えて、私の伝えたかった事が少しでも感じて貰えたらいいな、と思った。
(取り調べを終えた後のステラの行く末は決して明るいものでは無いけれど、案外図太く生きていくのでは?)
私の希望も入っているかもしれないけれど、なんとなくそう感じた。
「それでは、ステラさん。言いたい事は言わせて貰ったので私はこれで失礼します」
あまり長くなると痺れを切らしたヴィンセント様が突入しかねない。
私は腰を上げた。
「……アイリーン様」
ステラに呼び止められた。何か言い足りないらしい。
「何でしょう」
「どうぞ、お幸せに……なんて絶対に願ってなんかやらない」
「えぇ」
「むしろ、この先辛い思いをして、ヒロインの座を横取りしなきゃ良かった……って後悔すればいいと思っているわ!」
「……」
「もう、会う事もないのでしょう? 私も二度と会いたくないわ。さよなら!!」
「……さようなら、ステラさん」
その言葉を最後に私は牢屋を後にした。
──ステラも最後までステラだったわ。
「……アイリーン!」
「あ……」
牢屋から出てくるなり、私に駆け寄って来たヴィンセント様に抱き締められる。
「……大丈夫だったか? 思ったより静かだったから余計に心配した」
「静か……ふふ」
ヴィンセント様のその言葉を聞いて、思わず笑いが込み上げた。
今までのステラの様子から大声で騒ぐと思っていたみたい。
「大丈夫ですよ。私が言いたい事を言っただけでしたから」
「……伝わった?」
「どうでしょう……あくまでも私の一方的な……自己満足な話でしたから……それでも伝わっていればいいな、とは思いますが」
「……アイリーン」
ステラには、偉そうにあぁ言ったけれど私だって小説の世界に囚われているのは同じ。
これからは切り離して考えていけるようにならないと、と思う。
「ヴィンセント様……私、あなたの事が大好きです」
「!? ど、どうしたの? 急に!」
「無性に伝えたくなりました!」
「また、そんな可愛い事を……」
ヴィンセント様がもう一度、強く私を抱き締めた。
「え? これから街に?」
「うん、今日のアイリーンは花嫁修業もお休み貰ってるし……どうかな?」
「私は嬉しい……ですが、ヴィンセント様は?」
「僕も大丈夫」
てっきりこのままお屋敷に戻るのだとばかり思っていたのに、ヴィンセント様はこのまま出かけようと言う。
(……デートだ)
「その顔は喜んでくれてる?」
「もちろんです!」
どうやら、ニヤニヤしてしまったのがバレバレだったみたい。
手を繋ぎながら馬車まで向かって乗り込み、出発した後、ヴィンセント様がそう言えば……と訊ねてきた。
「ダニエルとはこうして出掛けたり……」
「無いですね」
「無いの!?」
私の言葉にヴィンセント様が目を丸くして驚いていた。
私も私で遠い目をする。
「あの人ですよ……あるわけないじゃないですか」
「……」
「ですから、私が街へと一緒に出掛けた初めての男性はヴィンセント様ですよ!」
「僕が初めて……」
ヴィンセント様が嬉しそうに笑ってくれたので私もつられて笑った。
「ヴィンセント様! 二人で一緒に“初めて”をたくさん経験していきましょうね!」
「アイリーン……」
優しく私の名前を呼んだヴィンセント様が私の頬にそっと手を添える。
そのまま、指でそっと私の唇を撫でた。
「なら、ここの君の初めてを……僕にくれる?」
「……! はい、どうぞ!」
爆発しそうな心臓をどうにか抑えて私は笑顔で答える。
「アイリーン、愛してるよ」
「私もです……」
その言葉の後、私がそっと瞳を閉じると今度こそ、優しくて暖かい唇が私の唇に降ってきた。
優しくて幸せな味がする、私達の初めてのキスだった──
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