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1. 全てを奪われた令嬢
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「あぁ……急がなくちゃ! また、どやされてしまう……」
私は厨房から急いで食事を運んでいた。
この家の“お嬢様”は1分でも遅れると必ず私に当たり散らして来る。
だから、急がないといけない。
「お嬢様、遅くなって申し訳ございません。今夜のお食事の準備が整いました」
「……」
準備が出来て“お嬢様”にそう声をかけてその顔を見た時、私は思った。
(あぁ、やっぱり1分だけど遅れたのがいけなかったわ)
“お嬢様”は既にお怒り。
今日もどやされる───……
思った通り“お嬢様”は、スープの入った皿を手に取った。そして……
ガッシャーン!
「────遅いわよ、この愚図! さっさとしなさいよ! 冷めちゃったじゃない!」
「熱っ……」
投げつけられたスープのお皿が割れて、飛び散った熱々のスープが私の身体にかかる。
お嬢様の言うように決して冷めてなどいない。むしろ火傷しそうなくらい熱々のスープだった。
「この愚図は、まともに料理の一つすら運べないわけ!?」
「……申し訳ございません、ドロレスお嬢様」
私は必死に頭を下げるけれど、こんな謝罪でこの“お嬢様”の機嫌が治らない事はよーく知っている。
「謝れば何でも許されるとでも思ってるのかしら~?」
「…………申し訳ございません」
「これだから、元お嬢様は困るわぁ。仕事は出来ない、誠意のこもった謝罪も出来ない。本当に愚図!」
「…………申し訳ございません」
謝る事しか出来ない私が再び、頭を下げたその時だった。
「そんなに騒いでどうしたんだ? ドロレス」
「まぁぁ! スープが床に溢れているじゃないの! なんて汚らしいのかしら!」
この家……サスビリティ公爵家の当主代理夫妻が部屋に入って来る。
面倒な所に面倒な人達がやって来たわと思った。
「お父様、お母様! 聞いて? 今日もそこの愚図が愚図なのよ!! 食事もまともに運べないの!」
そう言って“ドロレスお嬢様”が自分の両親に泣きついた。
可愛い自分の娘に泣きつかれた二人はじろりと私を睨んだ後、大きなため息を吐いた。
「全く死んだ人を悪くは言いたくは無いが……兄さんは自分の子にどんな教育をしていたんだろうか」
「本当にねぇ、何年経っても使えない子。顔だけはドリーとよく似ているのに。顔だけは」
そう言って……私にとって叔父夫婦にあたる二人は今日も私を蔑む。
「いつまでこの愚図を我が家に置いておくの? さっさと追い出してしまえば良いのに!」
「まだ、駄目なの……でも、もう少しの我慢よ、ドリー……いえ、ドロレス」
「お母様……」
叔母様はそう言って可愛い可愛い自分の娘、“サスビリティ公爵令嬢”を慰める。
「それでもあなたが“サスビリティ公爵令嬢”として、これからも生きていくのは変わらないのよ」
「ええ! 分かっているわ! お母様!」
そう慰め合う叔母様と従姉妹を私はなんとも言えない思いで見つめていた。
(お父様、お母様……どうして私を残して死んでしまったの)
───こんな事なら、私も一緒に連れて行ってくれれば良かったのに。
私の名前はドロレス・サスビリティ。
由緒あるサスビリティ公爵家の令嬢だった。
何故なら今の私は、もうドロレスでもサスビリティ公爵家の令嬢でもない。
今から5年前。大好きだった両親がある日突然、事故で亡くなった。
子供だった私は突然の事で何が何だか分からず、気付いたら、お父様の弟の叔父夫婦とその娘が我が家にやって来て、私が成人するまで“サスビリティ公爵家”の跡を継ぐまでは叔父様が公爵代理となると知らされた。
親戚なのに何故か殆ど、交流の無かった伯爵家の叔父夫婦とその娘、ドリー。
彼らがやって来て私の生活は一変した────
始まりは叔母様のこの言葉だった。
『ねぇ、あなた。ドロレスとドリーはよく似ていると思うの』
『まぁ、従姉妹だしな』
『……それなら、もし、二人が入れ替わっても違和感なんて無いと思わない?』
『お前……』
『ふふふ』
そんな怪しい企みを考えてしまうくらい、従姉妹同士の私達はよく似ていた。それは多分、私達が父親似で父親同士が双子だったから。
……似ていなかったら、きっとこんな事にはならなかったのに。
その後の叔父夫婦の行動は素早かった。
私が偶然立ち聞きしてしまったあの話の意味を考えているうちに、邸の使用人を全員解雇し、全て入れ替えてしまう。
つまり“私”が誰なのかを知る人はもうこの邸には誰もいなくなった。
その全ての企みが完了した日、伯爵令嬢だったドリーは、“サスビリティ公爵令嬢ドロレス”となり、私は名前も居場所も全て奪われ、名も無きただの使用人になった。
───
(あの頃に戻りたい……)
叔父夫婦に全てを奪われて乗っ取られてから、もう5年。
何も出来ずこんなに時だけが経ってしまった。
両親が生きていれば、サスビリティ公爵令嬢ドロレスは社交界デビューを迎えて今頃は……
そう思わずにはいられない。
今は亡き、私の両親はいつだってたくさんの愛情を私に注いでくれた。
そんな私は優しい家族、使用人に守られ幸せに過ごしていた。
……たった一つの不満を除いて。
『あら? ローラ、今日も王宮で遊んで来たの?』
お母様は私の事をドロレスではなく愛称のローラと呼ぶ。
『今日もお父様が連れて行ってくれたの! それでね? 今日は新しいお友達も出来たのよ』
仕事で登城するお父様について遊びに行った先の王宮で、新しい友達が出来た事を報告するとお母様は少し困った顔をした。
『お友達? まさか男の子?』
『そうなの! あのね、ずっと病気でお友達がいなかったって言うのよ。だから、私がお友達第一号に立候補したの。ダメだった?』
私がそう聞き返すとますますお母様が困った顔をする。
『駄目では無いけれど、ローラには婚約者の王子様がいるでしょう?』
『また、婚約者の王子様の話? 一度も会った事ないし、手紙もくれないし……本当に婚約者なの? ううん、そもそも実在しているの?』
『こら! そんな事を言っては駄目よ!』
『はーい』
(でも、王子様は本当に私に何もしてくれないんだもの)
あの頃の私のたった一つの不満は、自分の婚約者の事だった。
王家とサスビリティ公爵家の約束で私は生まれてすぐに王子であるアレクサンドル様の婚約者となったのだけど。
肝心のその王子様は、私に関心を示さないだけでなく公の場にも姿を現さない。
存在すらも疑われている……
だから、彼は子供の頃から私にとっては名ばかり婚約者だった。
そんな彼は私が両親を亡くした時も追悼の意を表す手紙を寄越しただけで、それ以外は何もしてくれなかった。
───だから、彼はきっと今も知らないし、気付いていない。
婚約者が入れ替わった事。そして今、一応、婚約者であった私……本物のドロレスがどんな生活を送っているのかも─────
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