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32. 叶えてはいけない恋心 (リヒャルト視点)
しおりを挟む────どうして、私を置いて先に逝ってしまったの?
(なっ!)
ナターリエが寝落ちする寸前、聞こえて来たその言葉に思わず自分の身体が震えた。
「ナターリエ……!」
「……」
そう呼びかけたけれど、俺の腕の中のナターリエからは穏やかな寝息が聞こえるだけ。
かなり眠そうにしていたが、どうやら本格的に眠ってしまったらしい。
ずっと気を張っていたのだから無理もない。
そこに前世の記憶なんてものまで思い出したんだ。身体への負担は相当だっただろう。
(とはいえ。まさか、この体勢で眠られるとは思わなかったが……)
しかも、だ。
「────どうして、私を置いて先に逝ってしまったの? か……耳が痛い」
そして、やはり自分の死はショックを与えていたのだと知る。
───必ずあなたの元に戻りますから。
そう約束をした。でも、果たせなかった。
「約束を守れなくてすまなかった……」
「……」
そう口にしたけれど当然、ナターリエからの反応は無い。
だけど、そのあどけない寝顔を見ていたらこっちもつい笑みが溢れた。
(悪い夢を見ていないならいいか)
そう思うことにした。
しかし、本当にナターリエは前世の記憶を思い出したんだと実感する。
まさか、こんな日が訪れるとは思いもしなかった。
───この生まれ変わりは姫を最期まで守れなかった俺への罰だと思っていたのに。
そんなことを思いながら歩いていると、ナターリエを今夜、泊まらせる部屋に着いた。
そのまま中に入り眠っているナターリエを起こさないように気を付けながらそっとベッドに寝かせる。
「ドレス……このままだと苦しくないか?」
だからと言って、自分がナターリエのドレスをどうこうするわけにはいかない。
部屋の手配をするようにと声をかけた王宮の侍女たちがもうすぐやって来るはずだから、後は任せるしかない。
あと、このベッドに寝かされたナターリエを上から見下ろすこの体勢も色々とよくない。
これまで我慢していたものが全て吹っ飛びそうだ。
そう思ってナターリエから離れようとした。
「ん?」
服が何かに引っかかってこれ以上進めない……?
不思議に思って目を向けるとナターリエの手が俺の服の裾をがっちり掴んでいた。
「ナターリエ……」
無防備な顔でスヤスヤと眠る彼女の顔をじっと見つめた。
「俺に襲われても知らないぞ……?」
「……」
(……人の気も知らないで、全く)
でも、そこも好きなんだ───……
───ナターリエと初めて会った時、俺はまだ前世を思い出してはいなかった。
初めて会ったのは、同世代の高位貴族の子息令嬢を俺の友人とするべく開かれた子ども同士の茶会の場だった。
『ノイラート家のナターリエともうします』
ナターリエのノイラート侯爵家とハインリヒのベルクマン侯爵家の縁談話は予め聞いていた。
そう。
最初は子ども心に気の毒だな……そう思ったんだ。
昔と違って自由に相手を選べる時代になったのに、互いの祖父母の願いで結ばれた婚約──……
せめて、次代で済んでれば良かったものをまさか、孫世代にまで及ばせるとは、と。
だけど、ナターリエはそのことを気に病んでいる様子はなかった。
ナターリエは明るくて元気で活発、王子である自分にも物怖じせず話しかけてくる令嬢だった。
他の令嬢のように未来の婚約者候補にならない気安さからか付き合いやすかったというのもある。
そんなさっぱりした性格の彼女を妹のマリーアンネも気に入っていた。
言いたいこともはっきり言えて曲がったことが嫌いで、だからといって我儘なわけでもなく──とにかく一緒にいて不快にならない。
そんな不思議な魅力を持ったナターリエ。
いつしか彼女の笑顔を見るだけで胸がホワッとあたたかくなった。
そのことに危機感を抱く。好感は抱いても好意を抱いてはいけない。
だって、ナターリエはハインリヒのものだから。
──しかし、そう自分に言い聞かせている段階でもうすでに手遅れだったと気付く。
決して口にしてはいけない気持ち。この片想いは叶えてはいけない。
何度も諦めようとした。
でも、ナターリエの姿を見る度に……彼女の新しい顔を発見する度にこの胸は高鳴り……そして痛んだ。
さらに、ナターリエと過ごしていてもう一つ不思議だったのが……
(どうして俺はナターリエの行動が読めるんだろう?)
きっとナターリエならこう言う。
きっとナターリエならこう動く。
そういったことが何故か、手に取るように分かってしまう。
不思議だった。
婚約者のハインリヒは全然分かっていなかったのに。
そんな不思議なことが続いていたある日───それは、突然起こる。
その日、ナターリエといつものように何気ない会話をしていた時だった。
俺は、ナターリエに『ハインリヒとの婚約を決められていて嫌じゃなかったの?』と聞いた。
すると、ナターリエはにっこり笑顔を俺に向けてこう言った。
『幸せなお嫁さんになれれば、それでいいと思っているわ』
『幸せなお嫁さん?』
『そうよ。私、絶対に幸せなお嫁さんになりたいの──』
よく分からなかったけれど、そう語るナターリエの瞳からは強い意思を感じた。
(幸せな……お嫁さん)
可愛らしい夢だと思う。しかしその相手はハインリヒ。
胸がズキンッと痛みながらも、そんなナターリエの瞳に見惚れた時だった。
(───これは、なんだっ!?)
自分の頭の中で何かが弾けて、そしてたくさんの見知らぬ記憶が一気に頭の中へと流れて来た。
──テオバルトという名の知らない男の記憶だった。
知らない国、知らない言葉、知らない人……
まだ、子供だった自分がこれが何なのかを理解するまでが大変だった。
別人の人格が自分の中にある───
少しでもそんな不用意な発言をすれば、王子がご乱心だ、と周りは大騒ぎするのが目に見えていたので、こっそり調べてようやく“前世の記憶”にたどり着く。
(前世……か)
その後は“テオバルト”の記憶を頼りに過去の歴史書をたくさん漁った。
けれど、時代が古すぎて残されていた記録はほとんど無く……
数少ない資料から自分の記憶と懸命に照らし合わせた。
そうして思い出すのが……
(……ヘンリエッテ王女)
歴史書の中にも名前の出て来ていたパルフェット王国最後の王女。
そして、テオバルトの最愛の人。
テオバルト……自分は歴史書に書かれている内容を読んで、初めて自分の最愛の人の最期を知った。
そして悔やんだ。
自分が先に逝かず最期まで彼女を守れていれば違う未来があったのだろうか、と。
そんな記憶を取り戻してから数日後。
いつものように貴族の子息令嬢との集まりの中でナターリエの姿を見た時、自分の中に大きな衝撃が走った。
(え? ヘンリエッテ……様?)
記憶の中の姫とは似ていないはずなのに、なぜか胸が騒いだ。
確たる証拠なんて何もない。それでも俺にはナターリエがヘンリエッテ王女だと感じた。
胸は高鳴ったが、すぐに現実を思い出す。
──ナターリエにはもう相手がいる。
だって、ここはパルフェット王国ではない。
ナターリエもナターリエで。俺もリヒャルトという名の王子だ。
前世の記憶に囚われるべきではない。
(胸は痛むけれど)
それなら、俺は彼女の……ナターリエの幸せをそっと見届けよう。
ナターリエの願い、“幸せなお嫁さん”が叶うまで────
「そう思っていたのに。まさか、こんなことになるとはな……」
「……」
スヤスヤ眠るナターリエに向かって起こさない程度の声で語りかける。
ナターリエの幸せを見守るつもりだったのに。
「まさか、ハインリヒまで前世を思い出して、しかも浮気……するとは」
それも、まさかの人違い。
ハインリヒの姿がどこかアルミンを彷彿とさせるのも決して気のせいではなかった。
まぁ、ハインリヒよりも驚いたのはハインリヒの浮気相手の男爵令嬢の姿を初めて見た時だったが。
「思わず、姫と呟いてしまったよ」
それくらい最初は大きな衝撃を受けたが、その後、男爵令嬢の姿を見ることがあっても別人にしか見えなくて結局見た目じゃない。心なのだと思った。
「ナターリエ。俺が君に惹かれた理由に過去が一切絡んでいなかった……とは正直言い切れない。記憶はなかったが、きっと無意識に追い求めていた部分があったとは思う」
「……」
「それでも今、君に抱くこの想いは今世に生まれてナターリエと過ごして来た俺の中に芽生えたものなんだ」
「……」
「ヘンリエッテではなくナターリエ。俺は君と……ナターリエと一緒に生きていきたい。そして今度こそ必ず俺の手で幸せな花嫁にしてみせる────ハハッ、そう言ったらどんな顔をするかな?」
ナターリエが寝ているのをいいことに、そんな俺の独り言という名の告白はしばらく続いた。
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