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29. もう遅い ② (ハインリヒ視点)
しおりを挟む僕の頭の中が真っ白になった。
───こ れ は 誰 だ?
今、僕の目の前で氷のように冷たく微笑んでいる彼女は……ナターリエ。
ナターリエのはずだろう?
僕の婚約者で……でも、気が付いたら婚約破棄がいつの間にか成立していて……
それで、それで、それで──
僕の大好きで大事な姫とは似ても似つかない容姿……強いて言うなら瞳の色だけが同じだ。
そんなナターリエは今、僕に向かってなんて言った?
───ヘンリエッテの記憶を持つ者として、そんなの許せるわけないでしょ?
ヘンリエッテ……姫のことだ。
僕の姫……
運命の再会を果たせたと思った……そして今世ではテオバルトの野郎ではなく僕のことを選んでくれた。
嬉しかった。
願いが叶った───
そう思ったのに騙されていた。
だからもう姫はいない。運命の再会なんてそもそもしていなかったんだ───そう思ったのに。
姫の記憶を持っている……ナターリエが?
今、目の前にいるナターリエが……
「……ぁ」
(ああ、不思議だ。そう言われたら確かにナターリエの姿が姫に見えなくもない……)
トクントクンと僕の胸が高鳴っていく。
そして歓喜。
姫はいた。僕と同じ時代に生まれ変わっていてくれた!!
ナターリエこそが、僕の……僕の大好きなひ……
───私とあなたの婚約破棄が先ほど、正式に認められました。
その言葉を思い出してハッと我に返る。
「こ、婚約破棄……」
ナターリエは僕との婚約破棄が成立した、確かにそう言っていた。
見せられた紙には陛下のサイン、力強い字で書かれたノイラート侯爵のサイン……そして、弱々しい字で書かれた父上のサインがあった。
(いやいやいや待って……くれ?)
つまり、僕は姫と結婚出来るはずだったのに…………それを自らの手で壊し……た?
僕たちの結婚式は間近だった。
あのまま偽者にうつつを抜かさなければ……恋焦がれた姫が本当に僕の───
「う、うわぁぁぁぁぁーーー!」
僕は頭を抱えて叫んだ。
当然だろう? だってこんなの信じられない。信じられるわけがない。
(嘘だ、嘘だ、嘘だ、これは、夢だ、夢だ、夢だ)
「───ハインリヒ様」
「……!」
ナターリエ……いや、姫が僕に声をかけた。
事実を知って大きなショックを受けている僕を労わってくれるのだろうか?
(そうだ……姫は嘘をつかれることは大嫌いで強く怒る人だったが、心から反省し謝っている人間には寛大なところもあった……)
そういう心を持った姫なんだ。
だから僕もきちんと謝れば、ナターリエは婚約破棄の撤回だって考えてくれるかもしれな───……
「きちんと現実を受け入れて」
「…………え」
「この先、あなたが何度謝っても頭を下げても、私があなたを許すことは絶対にない」
「許す……な……い?」
聞き間違いかと思っておそるおそる顔を上げると、ナターリエは変わらず僕のことを冷たい目で見ていた。
「……っっ」
思わず身体が震えた。
結婚式を前にしてウェディングドレスが素敵なの! と、はしゃいでいたナターリエの姿が消えてしまう程のゾッとする冷たい瞳だった。
(───僕がそれだけの……ことを、した、のか?)
僕はその冷たいナターリエの目を見ていられず再び顔を下に向けて目を逸らした。
もともと、ナターリエとの婚約は僕の意思ではなく……
気が付けば決まっていた相手。でも特に不満はなかった。
特別可愛いと思ったことはなかったが、別に見目は悪くない。家柄は釣り合っている。
王女と仲が良いので王家とも繋がりやすくなる。
いい嫁になってくれる。そう思っていた。
しかし……
姫(と思っていた女)と出会って前世の記憶を取り戻して、浮かれに浮かれた僕にとってナターリエの存在はただの金の成る木同然となった。
(ずっと僕の婚約者として生きてきたナターリエ……)
可哀想に。僕に捨てられたら次の縁談もままならないはずだ。
姫(と思っていた女)は男爵令嬢だったから、父上と母上に侯爵夫人にするのは無理だと反対されてしまった。
どうして今世はこんなに身分が低いんだ! 僕は少しだけ運命を恨んだが……
だけど、そこで思った。
それならナターリエと結婚してやればいい!
おじい様の悲願も達成されるし、ナターリエも路頭に迷うことはなくなる。
何より、ナターリエが金を持って嫁いで来てくれれば負債を背負った我が家の資金の足しにもなる。
いいことづくしだ!
侯爵夫人の面倒な仕事は全部ナターリエにやらせておけば僕は姫(と思っていた女)との生活を満喫出来る。
姫(と思っていた女)もその提案を喜んで受け入れた。
ナターリエはとにかく便利な女。
そういう意味でナターリエのことは手放せず、婚約破棄に頷くことは出来なかった。
(それが───)
ナターリエにこんな大勢の前で浮気だと騒がれ、婚約破棄を迫られたあげく、憎くて憎くて仕方がなかった“テオバルト”まで現れ殴られた。
そして、姫(と思っていた女)が偽者だと知った────
(悪夢だ……こんなの悪夢としか言いようがない!)
再会した時から姫(と思っていた女)は積極的だった。
僕への好意を隠そうともしていなかった。
姫の顔で「あなたと再会出来て嬉しい! 幸せだわ」と可愛らしい笑顔で言われる度に心が弾んだ。
ようやく、ようやく僕の……アルミンの気持ちが届いたのだと……
姫(と思っていた女)が語るパルフェット王国の話に違和感はなかった。
王宮の話、陛下や王妃様の話。おかしな所はなかった。
憎きテオバルトの話が出ないことが、少しだけ気にはなったがきっと気を使ってくれているのだろう。そう思って深く考えることはやめた。
(なぜ僕は偽者だと気付かなかったんだ……)
殿下……テオバルトですら気付けたことだったのに。
畜生!
僕は偽者に愛を囁き続けたというのか……
「……っっ」
そこにナターリエに言われた“責任”という言葉がのしかかって来る。
昨今は自由恋愛が増えて来たとはいえ、婚前交渉まで解禁になったわけではない。
正式に結婚出来ない姫(と思っていた女)を他の男に取られたくなくて……それで……
まさか、このまま僕を騙したあの偽者と結婚させられる……のか?
顔だけ姫で中身は別人のあの女と?
(そん……な)
それで、本当の姫……ナターリエ……は……この先を誰、と生きようとしているんだ?
そう思って顔を上げる。
「……!」
ナターリエとリヒャルト殿下が顔を見合せて、目で会話をしていた。
───そうだ。こんな光景は前世でも見た……
姫とテオバルトは、二人だけの世界を作ってよく目で会話をしていた。
その光景を見る度に僕は嫉妬して…………それと同じ光景が今も目の前で繰り広げられている。
「……ぅ、くっ……」
同じ護衛騎士のはずだったのに!
なにより僕より下の身分──伯爵令息のくせに、テオバルトだけが姫に信頼され特別扱いされていたことがずっとずっと悔しくて許せなかった。
そんなある日……二人の婚約が発表された。
その二人の婚約が世間に発表された日。
僕の姫は嬉しそうに幸せそうにテオバルトの横で笑っていた。
(僕との縁談の時は顔すら見せなかったのに───その顔はなんだ!)
「なんでだ! なんでなんだよ…………!」
「ハインリヒ様……?」
僕は顔を上げてナターリエに向かって叫ぶ。
「……ナターリエ! 僕の運命の人……どうか謝らせてくれ。そしてもう一度! もう一度だけチャンスを僕に──」
「あ、そういう気持ち悪い話は聞きたくないので遠慮します!」
「きも……!?」
ナターリエが気持ち悪いと全力で拒否をしてきた。
(何故だ……心から謝ろうとしているのに!)
「ハインリヒ様。本当にいい加減にして。これは全てあなたの自業自得───もう遅いの」
───もう遅い。
その言葉がズンッと心にのしかかって来て、僕の目の前が真っ暗になった。
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