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26. 本物のお姫様
しおりを挟むもう、頭痛は起きなかった。
あれはきっと思い出すことを本能で怖がっていた私への警告───
これ以上、踏み込もうとすると記憶が溢れるぞ、そんな警告だったのだと思う。
(思い出すことが……怖かった)
だって、ハインリヒ様は前世の記憶を取り戻してから、かなり変わってしまった。
前世を思い出すって自分自身が変わってしまうことなのかも……
そう思うととても怖かった。
そして、怖がっていたもう一つの理由は……思い出したくないことがあったから。
───かつての私の名前はヘンリエッテ。
小さな国の王女だった。
王女という立場ながら、のびのび育てられた私は確かに自他ともに認める“お転婆”だった。
そうして今も醜い罵り合いを繰り広げている二人に視線を向ける。
───ハインリヒ様。
ああ、確かに彼はアルミンの面影が残っている。
確かにアルミン──彼は私の護衛騎士だった。
だけど……
「……」
私は彼から目を逸らし、ヴァネッサ嬢に目を向けた。
まだ、ハインリヒ様に向かって「どうしてわたしじゃダメなの?」と詰め寄っている。
(コルネリア……)
怖いくらい“ヘンリエッテ”の顔とそっくり。
ここまで似てしまったのは彼女のヘンリエッテへの執着心ゆえ……そんな気がしてならない。
だって、コルネリアは何でも“ヘンリエッテのもの”を欲しがった。
───何でも持っていていいわよね、ヘンリエッテ王女さまは。わたしとは従姉妹のはずなのに。
───ヘンリエッテさまはテオバルト様を選ぶのでしょう? それならあのかっこいい騎士さまはわたしが欲しいわ。
アルミンを見ながらそんなことを呟いていたっけ。
そして───
私の視線はリヒャルト様に向かう。
(テオバルト……)
ヘンリエッテの婚約者。
幼なじみで子供の頃から一緒に過ごして来た。
ヘンリエッテのことなら何でもお見通し。
……勉強が嫌だと言ってどこに隠れてもどこに逃げても、ヘンリエッテを見つけるのはいつだってテオバルトだったわ。
(ああ、だからリヒャルト様は私を見つけるのが上手かったのね?)
「───ナターリエ」
甦った過去の記憶と現在の中で心を揺らしていたら私の隣にリヒャルト様がやって来た。
そして、私に頭を下げた。
「ナターリエ……ごめん。色々と驚いただろう?」
「ええ」
「君がパルフェット王国のことを知りたがっていた時も……俺は」
リヒャルト様はそこまで言うとさらに深く頭を下げる。
彼は悪くない。確かに本当はもっと色々なことを知ってはいただろうけど、ちゃんと言える範囲で教えてくれた。
(……やっぱり、あの時のリヒャルト様は動揺していたんだ)
「リヒャルト様! 頭、頭を上げてください!」
「……」
だって皆がまだ見ている。
これでは変な誤解が生まれかねないわ!
リヒャルト様は私の婚約破棄に力を貸してくれたから、
───ノイラート侯爵家の令嬢は王子を従えている……とか!
やめて! 大誤解!!
「ナターリエ……」
リヒャルト様は申し訳ない……そんな表情のままゆっくり顔を上げる。
その表情はどこか泣きそうにも見える。
そんな様子に私の胸がキュンとなった。
(私もそうだけど、リヒャルト様にテオバルトの面影は全くないわね)
純粋に今の彼の容姿は国王陛下にそっくりだ思う。
私だってお母様似。
ヘンリエッテを彷彿させるのは、デリカシーに欠けたあそこの男……ハインリヒ様が口にした“瞳の色”だけ。
きっとこれが普通のことで……あそこの二人が異常なんだと思われた。
「リヒャルト様……」
私はそっと手を伸ばしてリヒャルト様の頬に触れた。
「ナ、ナターリエ!? な、な、何を!?」
私に触れられて焦る様子のリヒャルト様が面白くて思わずクスクス笑ってしまう。
これは、ハインリヒ様との婚約破棄が実現するからこそ出来ること。
そうでなくては他の男性になんて触れられない。
「ナターリエ……」
その瞬間、泣きそうだったリヒャルト様の表情が何かに気付いたかのように引き締まった。
たったこれだけの仕草や行動だけで言葉にしなくてもリヒャルト様には伝わる。
リヒャルト様がグッと何かを堪える表情になった。
そんな彼に私は優しく微笑んだ。
「リヒャルト様……私、今あなたに初めて触れました」
「うん。俺もナターリエに初めて触れられました」
「……ふ」
その返しが可笑しくてやっぱり笑ってしまう。
また私がクスクス笑っていると、リヒャルト様の真剣な声が降ってくる。
「ナターリエ、さっき俺が言った言葉を覚えている?」
「え?」
「ナターリエはナターリエだ、と言っただろう?」
───君は、侯爵令嬢のナターリエ・ノイラート。俺はこの国の王子リヒャルト……それ以外の何者でもない──そのことを忘れないでくれ
「……!」
ようやく理解した。
リヒャルト様は、自身の前世を明かすことで私の記憶まで呼び起こしてしまう───こうなるかもしれないということを予測していたんだわ。
だから、あんなことを私に……
「……私は私。そう! 私はナターリエ……侯爵令嬢のナターリエ・ノイラートよ!」
私がそう口にすると、リヒャルト様は安心したように笑った。
その目が“それでいい”と言ってくれている。
(ハインリヒ様とは全然違う……)
前世を思い出したハインリヒ様は、姫、姫と過去の記憶に囚われて姫を追い求めた。
ヘンリエッテ王女の容姿を持ったヴァネッサ嬢への執着ぶりだけでも相当だ。
……結果、騙されたわけだけど。
一方のリヒャルト様は、いつから記憶があったのかは聞いてみないと分からない。
どうして“私”を分かったのかも。
けれど、これまで全く前世のことは口にせず、ただ静かに見守ってくれていた。
「───リヒャルト様」
「うん?」
「裏切り者は……アルミン、だったのですね?」
リヒャルト様が静かに頷く。
「……ただ、ハインリヒのあの無自覚な反応。アルミンのあれは自分が裏切ったとはまるで思っていない」
「アルミンはそこまでしてヘンリエッテのことを……」
「それもあるが、俺の……テオバルトのことも憎かったんだろう。だから……」
だから───
──────
───……
『えぇぇ!? また、見つかっちゃった!』
『ヘンリエッテ様! 何度逃げても無駄です!』
子供の頃から全然変わらないやり取りを続けているヘンリエッテとテオバルト。
テオバルトは伯爵家の令息だった。
けれど、王族とも縁の深い家柄で年頃も近かったことで、将来はヘンリエッテの筆頭専属護衛騎士となることを前提として側におかれた。
ヘンリエッテは、そんなテオバルトが昔から大好きだった。
それはテオバルトも……
ただし、テオバルトはその恋心を隠してヘンリエッテの側にいることを選んだ。
『ヘンリエッテ様! 今日はどこぞの侯爵令息とのお見合いではなかったのですか?』
『えへへ』
ヘンリエッテが笑って誤魔化そうとすると当然、テオバルトは姫を叱った。
こういう時もテオバルトは容赦しない。
『だって、その令息。少し前にパーティーで初めて顔を合わせて挨拶された時……』
『な、なにかされたのですか!?』
『……!』
お見合いから逃げ出したことを叱っていたはずのテオバルトが一気に心配そうな表情に変わる。
ヘンリエッテはこうして自分のことを心配してくれる彼の表情が好きだった。
『……なんて言うのかしら? すごくジロジロ見て来て……それがねっとりした視線って感じで……その』
『あー……』
ヘンリエッテの話を聞いたテオバルトが頭を抱える。
それは、おそらくその男の下心が盛れ出していたのだろう。
美しく気高く、それなのに可憐な要素も含んだ王女の見た目に懸想する男は多い。
中身はただのお転婆なのだが。
『それで会わずに逃げ出した、と』
『いけないとは分かっているわ。でも……一度会ってしまうと変な期待を持たせてしまう気がして』
『……』
テオバルトは思った。
おそらくヘンリエッテ様が“会いたくないからその話は断って”とはっきり言っても周囲は強引に会わせることはしただろう。
それを分かっているから姫は……
『……とにかく、こんな所で一人隠れんぼしていないで、行きますよ。ヘンリエッテ様』
『どこに? お見合いは絶対に嫌よ?』
ヘンリエッテの言葉にテオバルトは苦笑する。
本当に強情な姫だ。
『国王陛下に説明しに、ですよ』
『怒られるわ!』
『そこは受け入れて諦めましょう。俺も一緒に行きますから。そうですね……陛下のお小言を横で聞いてて差し上げますよ』
『…………それなら、行く』
ヘンリエッテはそう言って渋々、テオバルトの手を取った。
───この時のヘンリエッテは知らない。
この日、お見合いをすっぽかされ結婚をお断りされた侯爵令息が、どうしても一目惚れした姫のことを諦められず、その後、護衛騎士として自分のそばにやって来ることを────
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