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16. 容赦はしない
しおりを挟む───ベルクマン侯爵家の前当主。
私が聞いた話では、おばあ様とベルクマン前侯爵は夜会だか何かで出会って恋に落ちた。
当時、令嬢から大人気だったという彼をおばあ様は最初は敬遠していたと言っていたけれど……
(何がきっかけで恋に落ちるかなんて分からないものよね)
そんなおばあ様の出身は伯爵家。
当時、恋愛結婚は珍しかったけれど、伯爵令嬢のおばあ様がベルクマン侯爵家に嫁ぐのにさほど不都合はなかった。
そうして二人は無事に婚約したのだけど───結婚するはずだった年に大規模な災害や天候不良が起きてしまう。
このことが二人の運命を大きく変えてしまった。
それぞれの両家は大きなダメージを受けてしまっていた。
そのせいで結婚どころではなくなり、当然、結婚式も延期となってしまい……
(結局、それぞれ資金難で苦しんでいた領地を立て直すためにと政略結婚を強いられ、強引に別れさせられることに……)
二人は反抗してどうにか結ばれることを許して欲しいと両家に訴え続けたけれど……聞き入れられることはなかった。
そうして別れを選択した二人は最後に約束をした、と。
最終的に別れを選び、それぞれお互い伴侶が出来た二人は、誤解を招くことのないようにと直接会うことは控えていたとおばあ様は言っていた。
それは先に互いの伴侶が亡くなってしまっていても律儀に続いていたそうで───
「……あぁ、あなたがナターリエ…………よく似ている」
ここで誰と似ているか、を聞くのは野暮よね。
私は立ち上がりお辞儀をする。
「初めてお目にかかります───ナターリエ・ノイラートと申します」
私が物心ついた頃にはすでに侯爵位はハインリヒ様の父親……現当主に譲られていた。
前当主のこの方は基本的に領地に引っ込んでいたため、こんなに長くハインリヒ様と婚約していたにも関わらず私たちが顔を合わせる機会は訪れなかった。
けれど、さすがに結婚式には参加するつもりだったのだろう。
(だから今、王都にいる───)
いったいこの前侯爵は、私とハインリヒ様の婚約破棄騒動をどう受け止めているの?
そんな思いで私は次の言葉を待った。
「───ハインリヒが前世の記憶とやらを思い出したそうだな」
「……はい」
どうやら、その話は耳にしているらしい。
「その相手はハインリヒの前世の人物にとって憧れの人で、孫は再会に浮かれて君を蔑ろにしてその令嬢にかなりのめり込んでいる……そのことで揉めて結婚式は延期になった」
「その通りです」
私が頷くと前侯爵は悲しそうな表情で大きなため息を吐いた。
「いつの世も上手くいかないものなのだな……」
「……いえ。失礼ですが、ハインリヒ様の場合、事情が全然違うと思います」
「なに?」
怪訝そうな顔をする前侯爵に私は首を振ってはっきりと告げる。
「だって、ハインリヒ様のしていることはただの浮気ですから」
「……!」
前侯爵が息を呑む。
「ハインリヒ様は前世が~などと言っていますが、結局のところはご自分の“好みの相手”と出会って心が動いて浮気に走っているだけです」
「そ、れは……」
「ついでにその愛しい相手とは残念ながら身分が釣り合わないことを理由に、このまま愛してもいない私と結婚して正妻として据え置き、愛しの彼女は愛人として囲おうとしている最低男です」
「あい……」
私が明け透けに語るからか、前侯爵は完全に言葉を失っている。
一連の流れをこの方がどう思っているかは知らない。
それでも自分の孫がいかに酷いことをしようとしているのか客観的に知ってもらわないと困る。
だから、私は引かない。前侯爵だろうと言いたいことは言わせてもらうわ!
「侯爵夫人としての面倒な仕事は私に押し付けて、二人は時を超えて再会した愛を貫き仲良く過ごすつもりなんだそうですよ?」
「……」
「ああ、そうそう。跡継ぎも私ではなく彼女が生んでくれるそうです。正妻が名ばかりのお飾りとなっても跡取りには困らないでしょうから良かったですね」
「!?」
前侯爵はあんぐり口を開けたまま固まった。
私はにっこりした笑顔を浮かべたまま反応を待つことにする。
やがてどうにか動き出した前侯爵は頭を抱えてフラッとよろけながら私に訊ねる。
「……待っ……いや、待ってくれ……ハインリヒが本当にそ、そんなことを……?」
「はい! しっかりこの耳で聞きました。私以外にも一緒にその話を聞いていた方もいますよ?」
「なに……?」
その私以外に聞いていた方が“誰”なのかはここでは言わない。
リヒャルト様は切り札だから。
「不思議な話ですね。彼女とは縁を切らせた! 別れさせるからこのまま息子と婚姻を! と言ってベルクマン侯爵夫妻は私に懇願していたのに、当のハインリヒ様と彼女はこそこそ逢瀬を繰り返しているのですから」
「……嘘……か?」
前侯爵はまたまた口を開けてポカンとしている。
この様子……侯爵夫妻もハインリヒ様も都合の悪いことは伏せて話をしていたのではないかしら?
「ですから今、おばあ様にも話をしたところですが、ハインリヒ様との婚約は必ず破棄させていただきますので」
「こ、婚約破棄……だと?」
「ええ。しかし、それでもかなりベルクマン侯爵家の方々には、ごねられてしまいましたので……」
私はそこで一旦、言葉を切る。
そして、にっこり微笑んだ。
(少しでも妖しい雰囲気に見えますように……)
「それなりの方法を用いらさせてもらって、ハインリヒ様たちには婚約破棄に頷いてもらいます」
「そ、それなりの方、法……?」
どういう意味だ? そんな表情をしている前侯爵に対して私は、再び意味深に見えるよう微笑んだ。
「もちろん! そのままの意味です」
「……!」
お互いのことしか見えておらず、しかもどこか酔いしれている様子のハインリヒ様とヴァネッサ嬢。
これからもあの調子ならすぐに二人の関係は世間の噂になるはず。
なので、私は暗に告げている。
───あなたのお孫さんには、これから大きな恥をかいてもらいますよ? と。
(これは、警告───止めるなら今のうち)
「……ナ、ナターリエ嬢……き、君はいったい何者だ?」
「はい?」
ようやく前侯爵が質問を返してくれたと思ったのに、よく分からないことを聞かれた。
「何者ってノイラート家の令嬢ですけれど?」
「そ、そ、そうではない! そういうことでは……」
「?」
必死に首を横に振る前侯爵。その顔は青ざめている。
私には前侯爵が何を言いたいのかよく分からなかった。
「全然、物怖じしない様子に力強い瞳……孫と同年代の令嬢のはずなのに……この場に平伏したくなる……ほどの、オーラ……」
「あの?」
小声でブツブツ呟かれては何を言っているのか分からなくて困る。
でも、そんなことはどうでもいいわ、と思った。
てっきりこちらの前侯爵が本懐を遂げるため、絶対に破談なんて許さん! と言って聞かせているのかと考えたこともあったけれど、この様子は多分そうじゃない。
それが分かっただけでも充分だ。
(残念だけど、もう、この方にベルクマン侯爵家の中での権限はあまりなさそう)
そうなると、ごねにごねているのは、侯爵夫妻とハインリヒ様だけ。
「それでは……おばあ様にも報告はしましたので私はこれで帰ります」
「ナターリエ嬢……」
「おばあ様と積もる話もあるでしょうから…………失礼しますね」
「……っ」
なにか言いたそうな顔をする前侯爵を残して私はその場から立ち去った。
「───さぁて、証拠集めの続きをしないとね」
歩きながら私はそんな、独り言を口にする。
ハインリヒ様は『婚約破棄を考え直して欲しい』という宝石と共に届いたあの手紙の後、私が返信を焦らしているせいなのか頻繁に手紙を送って来るようになった。
中には『彼女のことは大切な思い出として、君を妻として敬い愛していく』と鼻で笑いたくなるような内容の手紙もあった。
(愚かよね。心にもないことは書くべきではないのよ)
なので、この間の発言を私が聞いていたことを知ったら……
「───恥をかくのはあなたよ、ハインリヒ様?」
その時が来て後悔しても……もう遅い。
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