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15. 親密な二人
しおりを挟む「令嬢の方はかなり図太い神経をしているようだな」
怒りのオーラ満載のリヒャルト様はそう口にするとヴァネッサ嬢に目を向けた。
そして、ほんの一瞬だけ眉をひそめる。すると何故かそこからしばらくの間、まじまじと彼女のことを見つめていた。
その表情は驚いているようにも見える。
(リヒャルト様?)
なぜ、そんなにじっくりヴァネッサ嬢のことを見つめるのかが分からず首を傾げていたら、リヒャルト様がヴァネッサ嬢を見つめたまま小さな声で呟いた。
「…………姫」
「え?」
姫? 今、姫と言った?
なぜ、リヒャルト様がヴァネッサ嬢のことをそう呼ぶの?
そのことを不思議に思ったけれど、よくよく考えれば先程からあそこの嘘つき浮気男のハインリヒ様がヴァネッサ嬢のことを“姫”と呼んでいる。
ハインリヒ様がどうして彼女のことを姫などと呼んでいるのかは、前世に関するゴタゴタ話を知らないリヒャルト様なら不思議に思うのも当然だ。
(ヴァネッサ嬢のことを凝視していたのと驚いていた表情は気になるけれど……)
「……ハインリヒ様はヴァネッサ嬢のことを“お姫様”のように思っているみたいなのです」
「お姫様のように?」
「はい。だから、ハインリヒ様はずっと彼女のことを姫と呼んでいるようです」
「…………お姫様」
そう呟くリヒャルト様はもう一度ヴァネッサ嬢のことを見る。
その表情は何か思うことがあるのか思案顔。
(どうしたのかしら?)
詳しく聞いてみたいけれど、誤魔化されてしまう気がした。
リヒャルト様は視線をこちらに戻すと深いため息を吐く。
「それにしてもあんなに堂々と……ハインリヒは随分と彼女にご執心のようだな」
「そうですね……」
チラリと視線を向けるとハインリヒ様とヴァネッサ嬢は完全に二人の世界にどっぷりと嵌っていた。
いくらこの辺りは人通りが少ないと言っても誰かに見られる可能性はゼロではないのに。
開き直ったのか、それともようやく折れて婚約破棄を受け入れてくれる気になったとか?
この時、家に届いた荷物と手紙のことをまだ知らなかった私はほのかな期待を抱いた。
「……姫」
「ねぇ、どうしてわたし……男爵令嬢なのかしら」
(……ん?)
ヴァネッサ嬢がハインリヒ様の胸から顔を上げながらなにか言い出した。
「僕は姫が姫ならどんな身分でも気持ちは変わらないよ?」
「ふふ、ありがとう。嬉しいわ。でも、やっぱり思ってしまうの。せっかくなら貴方と釣り合う身分だったら良かったのに、て」
「姫……」
そんな会話をしながら微笑み合う二人。
どんどん二人の雰囲気は盛り上がっていてなんだか、このままキスくらいしてしまいそう───
そんな思いで見ていたら……
「……あ!」
「どうした、ナターリエ?」
私が小さく声を上げるとリヒャルト様も釣られて二人に視線を向ける。
そして、リヒャルト様も同じようにあっ……と声を上げると頭を抱えた。
「ハインリヒ……こんなことまでしておいて、やっぱりナターリエと婚約破棄をしたくないと主張するなんて有り得ないだろう」
「……」
そう。
ハインリヒ様とヴァネッサ嬢……二人は互いの目を見つめ合った後、そのままそっとキスを交わしていた。
(なんだかとっても手慣れている雰囲気だわ……)
これ、絶対に二人にとって初めてのキスじゃない。
きっと、あの街での連日デート三昧の時から、もうとっくにそういう関係になっていたのでは?
(本当にふざけるなって話よ)
ここまでの裏切り行為をしておいてよくも平然と私にこのまま結婚しようなんて言えるわ。
これは───二人の関係を大勢の前で暴露させるくらいしないと私の気が済まない。
「リヒャルト様! これは婚約破棄を申し出てもおかしくない立派な不貞行為ですよね?」
「ああ」
「それでは、然るべき時が来たら今日のことは証言をお願いします」
「───わかった。約束しよう」
「ありがとうございます。それでは私は帰ります」
それだけ言って私は馬車まで歩き出す。
最後にもう一度だけ振り返って二人の方を見ると、うっとりした様子でまだキスをしていた。
そうして、帰宅した私を待っていたのは……ハインリヒ様からの贈り物と手紙。
まさか本当に婚約破棄を受け入れてくれるつもりになった?
そう思って先に手紙を開封して読んでみれば……
「───やっぱり考え直して欲しいですって? ハインリヒ様は阿呆なの?」
「ナ、ナターリエ、待て! や、破くな! その手紙だって後々の証拠になるかもしれん!」
「あ、そうよね……証拠!」
ハインリヒ様から届いた手紙を読んだ私はすぐに憤慨して手紙を怒り感情のままビリビリに破きそうになってしまった。
そこをお父様が慌てて止めに入ってくれる。
(確かに……王宮であんなキスを堂々と交わしておきながら、私にはこんな内容の手紙を送り付けて来ているのは後々追い詰める時に使える!)
「しかし、本当にいい性格しているわね」
気を取り直して次に贈り物だという箱を開けてみた。
「……これは、宝石? それと装飾品……」
「とりあえず必死さは伝わってくるな」
箱の中を覗いたお父様がそう言った。
「ねぇ、お父様」
「なんだ?」
「これ売ったら幾らになるかしら? あ、これまで貰った分も足して全て売っぱらいたいところなのだけど?」
「ナターリエ……」
さっそく処分する気満々の私を見てお父様が苦笑する。
「だってそうでしょう? これで、私の機嫌を取れると思っているなんて。ハインリヒ様は本っ当に私のこと何も分かっていなかったのね」
「お前の好きなのは宝石の類よりお菓子だからな」
「そうなのよ! それでいてこの宝石や装飾品が私の瞳の色なのがまた……」
すごく気持ち悪いの、と言いかけて今更ながらふと気付いた。
(───そういえば、ヴァネッサ嬢と私って“瞳の色”が同じだったわ!)
「そう思うと、ハインリヒ様はどんな気持ちでこれを送りつけてきたのやら……」
私はやれやれと肩を竦めた。
❈❈❈
「おばあ様……聞いてくれる? あなたの大事な人のお孫さん、とっっっても最低な男なの」
その日の私はお祖母様の墓参りをしていた。
どうしてもこの一連の騒ぎを報告しておきたかったから。
「申し訳ないけれど、ハインリヒ様との婚約は破棄させてもらう。許してね?」
そう言いながら手を合わせた時だった。
「……ん? 先客……か?」
「?」
知らない男の人の声だわ───
そう思って顔を上げる。
そこに居たのは歳をとった男性。
そしてここは、私のおばあ様のお墓の前。
おばあ様の眠るこの場所に墓参りに来るこの年代の人なんて一人しか知らない。
そう。
不思議と私とはこれまで全く会う機会が訪れなかった……
(ベルクマン侯爵家の前当主……!)
おばあ様と共に、私とハインリヒ様の縁談を強く望んだ相手───
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