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第9話
しおりを挟む「明るい……」
数年ぶりにばっさり前髪を切って口から出たのはそんな言葉だった。
「どう? すっきりしたんじゃない?」
「そう……ですね」
「うん、この方がいいと思う。やっぱりその瞳、綺麗だね」
「!」
エリオス殿下が私の瞳を覗き込みながら言った。
(そうだったわ。初めて会った時もエリオス殿下は心の中で私の瞳を綺麗だと言ってくれていた)
「……でも、やっぱり不思議だよね」
「? 色が珍しいからですか?」
私はこれまで同じ瞳の色を持った人と出会った事がない。
「いや、そうじゃなくて」
「?」
「……上手く言えないけど、見ていると惹き込まれそうになるんだ」
そう言ってエリオス殿下はじっと私の瞳を見つめた。
「……!」
「……」
私達は少しの間、無言で見つめ合う。
(な、何でドキドキするの!? 私の心臓、落ち着いてちょうだい……!)
私が内心で困っていると、殿下が可笑しそうに吹き出した。
「はは、ごめん、セシリナが分かりやすく固まってる」
「~~! それは、殿下が!」
「だよね、ごめん、ごめん。それじゃ行こうか。今日はよろしくね?」
「は、はい……!」
今日、エリオス殿下が私を呼び出したのは殿下と2人で出かける予定だったからだ。
前髪の事は本当に聞いていなかった。
いわゆる、デート……となるわけだけど、その目的はエリオス殿下の“恋人”と言う存在を周りにアピールする事らしい。
しかし、行き先を聞いていなかったのでどこに行くのか気になっていた私は馬車に乗り込んだ後、聞いてみた。
「ところで、今日はどこに行くのですか?」
「買い物だよ。セシリナに贈りたい物があって」
「えっ!?」
エリオス殿下の言葉に私は驚きの声をあげる。
「何でそんなに驚くの?」
「驚きますよ……」
「どうして? 恋人に何か贈りたいと思うのは普通の事だと思うよ?」
「で、ですが! その、一体何を私に?」
私は宝石もドレスも興味が無いのだけれど。
「手袋だよ」
「……え?」
「だから、手袋」
「え、え?」
思わぬ言葉に動揺する私にエリオス殿下は、優しく微笑みながら答える。
……いや、本当にその顔はずるいですって!
「セシリナにとって、手袋着用は大事な事なんでしょ? だったら、普段使いも出来てかつオシャレな手袋を贈りたいと思ったんだよ」
「……殿下」
「無茶なこっちの願いを聞き入れてくれたお礼だから、素直に受け取って?」
そう言ってまた微笑んだ。
何その微笑み。
美男子、ずるいわ……
私が噂で知っていたエリオス殿下は奔放な性格な王子という話だったのに。
(やっぱり全然、違う気がする)
「あ、ありがとうございます」
お礼とは言え、世間では薄気味悪いと言われる私の手袋を認めてくれただけでなく、新しい物を贈りたいと思ってくださるなんて。
本当にエリオス殿下という人が分からない。
「さ、着いた! ここだよ」
そう言って殿下に案内されたのは、王族や上位貴族が御用達にしそうな洋品店。
そうでした、そうでした。この人王子様……でした……
「………」
中流貴族の娘で引きこもりだった私には全く縁のなかった場所。
場違いもいい所だわ。
「どうかしたの?」
私が呆然とお店を見上げていると、エリオス殿下が不思議そうに訊ねてくる。
きっと殿下には私が今、何を思ってるか分からないだろう。
「さ、入ろうか」
「……はい」
内心ビクビクしながら店内に入ると、数名のお客さんがギョッとした顔で私達を見てくる。
「え、エリオス殿下!?」
と、話しているのが聞こえてくる。
そんな声を聞きつけた店員さんも、慌ててやって来た。
「これはこれは、エリオス殿下! 本日は何をお求めでしょうか!?」
「あぁ、事前に連絡をせずに申し訳ない。今日は彼女の物を見繕って貰いたいんだ」
「彼女?」
殿下の言葉を受けて店員さんが、チラリとこちらを見る。
「……」
心の声が聞こえなくても分かる。
その目は“お前は誰だ? ”と言っていた。
「……お連れ様の、何を見繕いましょうか? ドレスですか?」
「いや、手袋だ」
「は? 手袋、ですか??」
店員さんの目が驚きで大きく見開かれる。
今度は“お前は何なんだ?” という視線が送られる。
聞き耳をたてていたであろう、他の客の中からもどよめきが起こっていた。
「手袋? 手袋と言ったら……」
「え? でも、まさか!」
「前髪……顔が……」
「それより何で、エリオス殿下と!?」
ヒソヒソ喋っているつもりなのだろうけれど、全て丸聞こえだ。
店員さんも全身で困ったオーラを出しているけれど、そこは販売のプロ。
笑顔で訊ねてきた。
「承知しました……それではどのような手袋をお求めなのでしょうか?」
「普段使いの出来るやつ。後、正装時にも使えるものもお願いしたい」
「え!?」
ビックリして思わず会話を遮ってしまった。
だって、正装時の物もって聞こえたんだもの。
「で、殿下? 普段使いの物だけでは無かったのですか?」
「ん? あぁ、そのつもりだったんだけど、よく考えたら正装時の物も必要かなって思って」
「えぇ!?」
「だって、これがないとセシリナは僕のエスコート受けてくれない気がする」
「!!」
あぁぁ……しまった。
全く考えていなかったわ。
恋人(仮)となった以上、舞踏会や、夜会などには殿下のパートナーとして参加する事は当たり前……それ相応にふさわしい物を身につけていないといけない……!
今、私が持っている物は相応しいとは言えない……
青くなった私を見て色々察したらしい殿下が、小さく私の耳元で囁いた。
「すっかりその事、頭から抜けてたでしょ?」
「……」
私は無言で頷く。
「だと思った」
殿下はまた優しく微笑んでいた。
結局、エリオス殿下は普段使い用の物を2つと、正装時用の物を1つ購入しプレゼントしてくださった。
本当は、もうワンセットずつ買いたそうにしていたけれど、そこは固辞させてもらった。そんなに貰えません!
なんと言っても、普段使い用ですら今まで使っていたものとは大違いなのだ。
生地の素材からデザイン、刺繍と何から何まで桁違い。
「ありがとうございました。本当に何から何まですみません……」
私が改めてお礼を言うと、殿下が目をしばし瞬かせた後クスリと笑った。
「お礼だと言ってるんだからそんな遠慮しないでいいよ。セシリナが使ってくれれば僕はそれだけで嬉しい」
「は、はい……」
それでも、どこか申し訳ないという思いが消えず俯いていたら、その声は突然聞こえてきた。
《それに、僕の恋人のフリなんて引き受けたせいで、ますます社交界でのセシリナの立場は微妙になってしまう可能性が高いんだから。むしろ迷惑料にしても安すぎるくらいだろうな》
私は突然聞こえて来た声に驚き思わず顔あげる。
「ん? どうかした?」
「いえ……」
エリオス殿下は、無意識なのか私の頭を撫でていた。
だから、心の声が流れてきてしまったようだ。
手を離してくださいとも言えず、殿下の心の声はどんどん流れてきてしまう。
《“僕の恋人”だもんなぁ……本当に申し訳ないよ》
《セシリナを僕から解放する時は、彼女にとって絶対いい嫁ぎ先を見つけようと思っていたけど、結婚より仕事か……何がいいかな? 希望もあるのか聞いてみないとな。なるべく早めに働きかけて……》
《別れる時は、僕に全ての非があるようにするつもりだけど……それまでは僕の目的の為に協力してもらわないと》
「………」
今日の殿下の心の中は雄弁だ。
そして、こちらが申し訳なくなるほど相当私を気遣っているみたい。
(凄く色々考えているのね)
──それよりも。
“目的”とは何だろう?
エリオス殿下の此度の申し出にはやっぱり何らかの目的があるみたい。
だから、殿下が私に打ち明けた、ただの女避け、縁談避けだけでは無いのだと改めて思わされた。
殿下は何を考えているのかしら?
「セシリナ?」
《あぁ……さすがに、その目でじっと見つめられると……その……照れるな……》
「っっ! あ、申し訳ございません!」
私は聞こえて来る声に反応しながら考え事をしてしまっていたから、無言のまま殿下と見つめ合っていた。
不快な思いをさせたかと思って謝ったけれど……照れると言った?
「あ、いや、こっちこそごめん、思わず頭を撫でていた……」
「い、いえ、大丈夫です……」
殿下が慌てて手を離した。
本当は大丈夫では無いけれど、そんな事はもちろん言えない。
不快でなくて照れ?? が分からず困惑した。
「…………本当にセシリナの目は不思議だね?」
「はい?」
「珍しい色だから、というのもあるんだろうけど、何だろう? 見ていると吸い込まれそうになる。まるでこっちの気持ちが全部見透かされてしまうような」
「!?」
「うーん。前髪は短い方が可愛くて似合ってるけど、ちょっと失敗だったかな?」
心臓に悪い事を言う。気持ちを見透かすって。
私はたった今、あなたの心の中を読んでしまったのに。
その後は、流行りのカフェでお茶をした。
店内のお客さん(主に令嬢達)が、ここでもギョッとした目で私達を見ていた。
「んー、とりあえず、今日はこんなもんかなぁ」
「あまりたくさん顔を出せませんでしたが?」
「最初はこれくらいで大丈夫だと思うよ? それに勝手に噂は広がっていくだろうしね。セシリナもそれは分かっているだろ?」
「……そうですね」
社交界の噂の広がり方は、私自身がよく分かっている。
おそらく数日の間に、王子と薄気味悪い令嬢の噂が瞬く間に流れる事となるだろう。
****
「殿下に、何を買って貰ったのよ?」
「お姉様?」
屋敷に戻ると、部屋の前でお姉様が怖い顔をして立っていた。
「とぼけないで!! 今日、殿下と出掛けた事は分かっているのよ!!」
「え? あの?」
「どうせ、高級品を強請ったりしたのでしょう? セシリナの物は私の物よ! 出しなさい!!」
どんな理屈なの!?
そして、お姉様は私が贈り物を強請ったと思っているらしい。しかも高級品を。
「……お姉様には必要ない物かと思うのですが?」
「どういう意味よ!? 勿体ぶるんじゃないわよ!」
「いえ、そうではなく。私が殿下に頂いた物はこれですから」
そう言って手袋を見せると、お姉様の顔は盛大に引き攣った。
「そんなものいらないわよ!!」
「……」
だから初めからそう言ったのに。と、口にしたい気持ちを私は押し込む。
「ふん! さすが、薄気味悪い令嬢と噂されるだけあるわね! 殿下が、あなたに興味を持ったのもそのせいよ! 毛色の違う女性を試してみたくなっただけ。調子に乗らない事ねっ!!」
そう言いたい事だけ言ってお姉様は自分の部屋に戻ってしまった。
残された私はもはやため息しか出なかった。
「毛色の違う、ね」
あながち間違っていないけれども、私と殿下の関係はあくまでも契約に基づいたもの。
そこに恋愛感情がある訳では無いから別に傷つく事も無い。
だけど、私は噂とは違う様子を見せるエリオス殿下の事が何だか気になってしょうがなかった。
軽口とは別に心の中で思っている事はだいぶ紳士的だし、私の事もかなり気遣ってくれている。
「手袋を否定しないだけでなく買ってくれたから絆されちゃったのかしら? ……だとしたら私って単純ね」
幼い頃から人との接触を避けてきた私の胸には、よく分からない感情ばかりが浮かんでいた。
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