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92. 行き着く先は……

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 その日の午後は、ハイハイするジョシュアと私は邸内を散歩することにした。

「さあ、ジョシュア!  もう一周、邸内をぐるっと回るわよ!」
「あうあ!」

 ペタペタペタペタ……

「そうそう。体力はしっかりつけましょうね」
「あうあ!」
「そして将来、あなたが見つけた大事な人にしっかり自分の足で会いに行くのよ!」
「あうあ!」
「……」

 ニパッ!
 この可愛い笑顔に不安が募る。

「コホン……いいこと?  大事な人というのは不特定多数のことではなくってよ!」
「あうあ!」
「───いい返事ね!  その心意気よ!」

 ペタペタペタペタ……  

 ニコニコしながらジョシュアが元気よく前へと進む。
 そして、これから邸内を回ると言ったのに元気よく玄関へと一直線に向かっていった。

「んぁ?」

(な  ん  で  !)

 変な声を出した私は慌ててジョシュアを追いかける。

「ジョシュア!  邸内を回ると言ったでしょう!  そっちは玄関、その先は外!」
「あうあ!」

 ニパッ! 
 振り返ったジョシュアはまたしても可愛く笑う。

「……くっ!  まるで愛しいジョルジュと最愛の息子ジョエルが笑ったかのような錯覚を覚える……けど、その笑顔には騙されないわよ?」
「あうあ!」

 もう一度笑ったジョシュアは、玄関口でピタっと止まった。
 そして、顔を上げると私が描いて飾ったばかりの【ギルモア家の珍名物・置物三体】の絵をじっと見つめた。

「ジョシュア?」
「あうあーー!」

 絵に向かって元気に何かを叫ぶジョシュア。

「あら、もしかして玄関に来たのはこの私の最高傑作をもう一度見たかったのかしら?」
「あうあ!」

 ニパッ!

「ふふ、いい笑顔じゃないの。そんなにこれを気に入ってくれた?」
「あうあ!」
「実はね、絵はかなり久しぶりに描いたのよ。だけど、腕はなかなか落ちないものね!」
「あうあ!」

 ジョシュアは再びじっと絵を見つめている。
 そんなジョシュアを見ながら私はホホホと笑う。

「昔から色々な教育を受けてきた私だけれど……絵画のレッスンが一番早く習得……終わったのよ」
「あうあ!」
「だって先生ったら、毎回私の絵に感動して泣いてばかりなんだもの」
「あうあ!」

 そんなこともあり、レッスンは早期終了。

「ただね、すぐに辞めちゃう先生が多くてね……」

 短い期間に入れ替わり立ち代り……

「あうあ!」
「でも、私を指導してくれた先生たちは軒並み今じゃ有名画家まで登り詰めてるのよ」
「あうあ!」
「皆、口を揃えて語っているそうよ。昔、声を失うくらい凄い才能の持ち主の令嬢を指導したって。その出会いがあったからこそ己の至らなかった技術を磨き、今の自分がいるとか何とか───」

 先生だけじゃない。
 お父様もお母様もお兄様も……
 皆、私が描いた絵を見せるとハッと息を呑んで黙り込んでいた。

「ふふふ、才能が有り過ぎるのも考えものよねぇ……」
「あうあ!」
「いいこと?  ジョシュア。あなたはそんな私の血を引いた孫なのよ」
「あうあ!」

 私はその場に屈むとそっと腕を伸ばしてジョシュアの頭を優しく撫でる。

「私のこの素晴らしい“才能”をあなたも引き継いだはずよ。感謝なさい!」
「……あうあ!」
「ホホホ!  さあ、ここは玄関。邸内お散歩コースはこっちよ!」
「あうあ!」

 ペタペタペタ……
 私の誘導に従い、再びハイハイで廊下を進み始めるジョシュア。

「そうよ!  いい子ね、ジョシュア」
「あうあ!」

 そして調子よく進んだ先に見えて来たのは突き当たりとなる物置部屋。
 さっきはここを右に回って邸内を散歩した。
 なので次は左にしようと思い、後ろから声をかける。

「ジョシュア!  今度はそこを左よ!  左に曲がって邸内をぐるっと回るわよ!」
「あうあ!」

(んあ!?)

 ジョシュアは元気いっぱいの声を上げながら、左右どちらにも曲がらず真っ直ぐ進んで堂々と物置部屋へと侵入して行った。


────


 それから、私とジョシュアの邸内散歩は毎日の日課となり───

「やあやあやあ!  お邪魔するよ!」

 その日の午後。
 突然訪ねて来たのはすっかり我が家に慣れ親しんでいるエドゥアルト。
 安定の先触れなしの登場。

「あうあ!」
「ジョシュア!」

 ペタペタペタペタ……

 エドゥアルトの姿を見つけたジョシュアは、ニパッと笑うと私との邸内お散歩を中断して凄い勢いでエドゥアルトの元へと這って行った。

「おお!  ハイハイのスピードも早くなっているじゃないか……!」
「あうあ!」
「ふむ……毎日、欠かさず邸内を散歩しているから体力がついた?  なるほどな!」
「あうあ!」
「最近はおばあさまとの散歩が日課なんです……へぇ、そうなのか」

 エドゥアルトはとても滑らかにベビージョシュアとの会話を繰り広げ、ウンウンと頷いている。
 そんな彼の声を聞き付けたのか奥からぞろぞろと皆も現れた。

「やあやあやあ!  これはギルモア家の皆様、お揃いで」

 いつもの明るい笑顔を向けたエドゥアルトにセアラさんが答える。

「エドゥアルト様の声はよく通りますからすぐに分かりました」
「あうあ!」
「ふふ。それに、今みたいにジョシュアのはしゃいだ声も聞こえましたから」
「そうなのか!」

 エドゥアルトはそれを聞いて嬉しそうに笑った。
 そして、ジョシュアを抱っこする。

「おお、身体も重くなっているじゃないか……!  ハイハイもそうだが、やはり子どもの成長というのは早いものなんだな」
「あうあ!  あうあ!」
「なに?  早く大っきくなっておじい様やお父様のような立派な男になるんです!  か。それはいい目標だ。僕も応援するぞ」
「あうあ!」

 ニパッと笑うジョシュア。

(立派な男……ねぇ)

 私はチラッと夫のジョルジュを見た。
 ジョルジュは特に表情を変えずに腕を組んで話を聞いている。
 ジョエルもジョエルで無表情。
 この間のエドゥアルトとの間の胸が熱くなる友情はどこへ行ったのやら。

(でも……)

 こんなヘンテコな二人でもきっとベビーなジョシュアの目には輝いて見えているに違いない。
 私はパンパンッと手を叩く。

「はいはーい。とりあえず、こんなところで立ち話していないで中へ入るわよ」

 エドゥアルトを招き入れ、使用人にもてなしのお茶を準備するようにと命じた。


 そうして部屋に向かうことになった。
 けれど、なんと真っ先に動いたのは床に降ろされたジョシュアだった。

「───あうあ!」
「ん?  今日はジョシュアが先頭を切って僕を部屋へと案内してくれるのか?」
「あうあ!」

 張り切って私たちの先頭でハイハイし始めたジョシュア。
 どうやら、ボクが部屋まで案内する!  と言っているらしい。

 こんなにも張り切っているジョシュアの邪魔をするのはよくない。
 なので私たちは黙って後ろからゾロゾロついて行く。

 ペタペタペタ……

「あうあ!」

 ペタペタペタ……

「あうあ!」

 ご機嫌な様子のジョシュアは迷う素振りも見せずにどんどん進んでいく。

(うーん……)

 ジョルジュとジョエルはきっと分かっていない。
 けれど、私とセアラさんには分かる。

(…………この先に応接室なんて無い!)

 察したセアラさんが小声で私に話しかけて来た。

「お……お義母様……」
「しっ!  無理よ。あの張り切った顔のジョシュアは止められないでしょ。私たちはもうあの子に着いていくしかないのよ」
「…………ですよ、ね」

 そして───

「あうあ!」

 この部屋へどうぞ、と言わんばかりに満面の笑みでクルッと後ろを振り返ったジョシュア。
 エドゥアルトは感心したように頷く。

「ジョシュア──凄いな!  君は全く迷いのない足取りだった」
「あうあ!」
「なるほど。これが毎日ボクが欠かさずおばあさまと邸内を散歩し続けた成果です!  か。どうやら日々の鍛錬で方向音痴は緩和さ……」
「あうあ!」

 エドゥアルトが顔を上げて部屋を見ながらハッハッハと笑った。

「…………れていなかったな!  やはり君はジョエルの子だ!」

(ええ。まだまだ、先は長そうね……)

「あうあ!」

 にっこり笑顔でやっぱり物置部屋へと案内していたジョシュアだった。




 気を取り直して、エドゥアルトをきちんと応接室へとご案内。

「───ところで、本日……訪問した時に気づいたのだが」

 一息ついたところでエドゥアルトが口を開く。

「────玄関に絵が飾られていた。あれは前には無かったと思う」
「「「「!」」」」
「あうあ!」

 エドゥアルトのその言葉に私も含めた皆がハッと顔を上げる。

 私があの絵を玄関に飾ってから数日。
 それまでも訪問者はいたけれど、あれに言及するのはエドゥアルトが初めてだった。

 そんなエドゥアルトは真剣な顔で続ける。

「……僕はあの絵を見てとても驚いた。あれは──天才だ! あの絵はまさに天才の描いた絵だと僕は思うんだ!!」

(まあ……!)

 エドゥアルトのその力強い言葉に皆が息を呑んだ。
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