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83. ガーネットの敗北
しおりを挟む「ホホ……ホホホ……」
(───な、なんてこと……なの!)
ガクリと私はその場に膝をつく。
「───ガーネット!?」
「母上?」
「お義母さま!?」
膝をついた私に皆が駆け寄ってくる。
私はそっと顔を上げた。
「……」
可愛い義娘、セアラさんの腕に抱かれているギルモア家待望のベビー。
ジョエルの子───ジョルジュと私の初孫……
ジョエルにそっくりな顔。
だから当然、愛しのジョルジュの面影もバッチリ。
けれど、ちゃんとセアラさんの面影も感じさせる……とても可愛い子。
“その子”もじっと私のことを見ている。
(ああ。まさか、まさかこの私が…………!!)
「……」
ガーネット・ウェルズリーとしてこの世に生を受けてから、私には何一つ怖いものなんてなかった。
幸い権力とお金のある家に生まれたし?
私自身、かなり行動力もあったし?
私のことを裏切りやがった親友も元婚約者の王子も容赦なくこの手で捻り潰して差し上げたわ。
唯一、私の心を揺らしたのはジョルジュ・ギルモア。
初めての恋心に戸惑いはあったものの、
無事に彼と結婚してガーネット・ギルモアとなり、
人妻、そして侯爵夫人となってからも私はやっぱり無敵だった。
無口無表情でも素直な性格の可愛い息子も授かって、可愛いお嫁さんも出来て?
……そう!
“敗北”
いつだって私はそんな言葉と無縁に生きてきた。
そ れ な の に !
ジョエルベビー……
まさか、まだまだこの世に生まれて数ヶ月の小さなベビーに……
このピー歳の私が敗北するなんて……!
“今度こそ────無表情ベビーをあの手この手を使ってキャッキャとたくさん笑わせてみせるのよ!”
あんなにも力強く宣言したというのに!
(うぅ、敗北なんて初めて……)
「…………ジョシュア」
「……」
じぃぃっ……と私に視線を向けているまだまだ小さな可愛い孫(♂︎) を見つめ返し、その子の名前を私はそっと口にした。
そして思った。
これは孫から私への宣戦布告?
(──この子、まさかお腹の中で“あの時”の話を──……)
───────
───……
先日、第一子の懐妊が分かったセアラさん。
同時に一気にセアラさんへの過保護っぷりに磨きがかかったジョエル。
───セアラ! 身体を冷やすのは良くないぞ!
そう言って、セアラさんを毛布でぐるぐる巻きにしたり……
───セアラ! 屋敷にこもってばかりではダメだ! 散歩だ!
私たちに十五分ほど近所を散歩して来ると言い残し、仲良く手を繋いで歩いて出て行ったら、
軽く一時間は帰って来なかったり……
ジョエルの過保護っぷりが続いてゆっくりセアラさんと話す時間が取れなくなった私はキレた。
「ジョエル! 邪魔をしないで頂戴! 今日のセアラさんは私とお茶をするの!」
「……!」
「それならば俺も参加するって顔をするんじゃないわよ! 駄目よ! 女同士の話をするから今日は男子禁制!」
「……!!」
クワッと目を大きく見開かせるジョエル。
切羽詰まった表情で私の顔を見つめてきた。
「あ? なら、女装して参加するですって? さすが親子。ジョルジュみたいなこと言うのね? でもね、そういうことじゃないの。却下に決まってるでしょ!」
「……」
駄目か……と肩を落とすジョエル。
「あなたは、ジョルジュの所にでも行って“父親になる心得”でも聞いてきなさい!」
「!」
その手があったかとハッとし、キョロキョロと辺りを見回すジョエル。
おそらくジョルジュの姿を探したと思われる。
そんなジョルジュは仕事中。
「父上───母上の近くにいない? …………となると、庭か」
ジョエルは大真面目な顔でそう言い切った。
「は? ジョルジュの行動範囲は、私の傍か庭で穴掘りかの二択しかないわけ!?」
「……」
コクリと頷くジョエル。
その表情は大真面目なまま。
「~~~~さすがのジョルジュも今は仕事中よ! 執務室を訪ねてらっしゃい!」
「!」
私はジョエルの背中を蹴飛ばしながら部屋から強引に追い出した。
扉を閉めるとセアラさんは言った。
「───ふふふ、今のお義母様の美しい蹴りを見たら、お義父様が悔しがりそうですね」
「……ホホホ、理解力が素晴らしくってよ、セアラさん!」
この発言を聞いて思った。
セアラさんもすっかりギルモア家の一員だわ。
「でも、ちゃんとお仕事もされていたんですね…………お義父様」
「……ホホホ、言うようになったわね、セアラさん!」
庭掘りばかりじゃないのよ!
やる時はやる男! それが私の夫よ!
「───ま、男同士は男同士。私たちは女同士でお話しましょうか?」
「はい!」
可愛い義娘、セアラさんは天使のような笑顔で頷いた。
「え! 赤ちゃんの頃のジョエル様は“う”で、お義父様は“あう”ですか?」
「そうなのよ」
「とことん無口なんですね……」
「でしょう? だから、あなたたち二人の子が発する言葉がどうなるか注目しているというわけ」
昔懐かしジョエルの話をするとセアラさんがクスクス笑う。
「そうなると通訳はどうされていたのですか?」
「なぜかジョルジュが全部翻訳していたわ」
「ジョエル様の“う”をですか?」
「そうよ」
へぇ……さすがです、と驚きながらもあっさり受け入れている辺り、すっかりジョエル色に染まっている。
「やっぱり通じるものがあるのでしょうか?」
「そうねぇ……でも、何が大変だったかって無表情の“う”なのよ……」
「無表情……それは感情の判断が難しいですね」
セアラさんの表情が曇る。
「ふふ、安心してセアラさん!」
「え?」
キョトンとする義娘に私は再度宣言する。
「この私が、どんな無表情ベビーでも、あの手この手を使ってキャッキャとたくさん笑わせてみせるわ!」
「お義母様……!」
私は更にセアラさんのお腹に向かってビシッと語りかけた。
「いいこと? そこにいるベビーちゃん! “う”でも“あう”でもいいわ。お好きな言葉を発しなさい! この家の者たちは無口と迷子対策に関してはベテランですからね!」
「お義母様……頼もしいです……!」
ホホホ、と私はセアラさんとお腹のジョエルベビーに笑いかけた。
「オ~ホッホッホ! 私と勝負よ! ベビーちゃん!!」
───……
───────
(間違いないわ……この子、絶対あの時の私の宣戦布告を……)
だから、だから────
あれからセアラさんは無事に出産。
男の子だった。
名前はジョシュア。
ジョエルによく似ていて必要時以外は滅多に泣かないベビー……
いないいないばあ?
全身こちょこちょ?
どんなことをしてもこの孫を笑わせる……いえ、大爆笑させてみせる……!
そう決めていたのに!
「ジョシュア!」
私は立ち上がりもう一度名を呼ぶ。
じぃぃっと私を見つめていたジョシュアがようやく口を開いた。
「───あうあ!」
「!」
ジョルジュの“あう”とジョエルの“う”
しっかり二つを混ぜ込んだ言葉───“あうあ”
ここまでの返しは想定通り。
しかし……
「ジョシュア」
「あうあ!」
「……ジョシュア!」
「あうあ!」
「…………ジョシュア!!」
「あうあ!」
三連続で名前を呼んでみた。
全て“あうあ!”で返してくるベビージョシュア。
可愛い!
可愛いけど!!
「……」
やはり……とガクッと肩を落として再び、私は膝をつく。
「なあ? さっきからガーネットは立ったり膝をついたり……何を遊んでいるんだ?」
「……ジョルジュ、これが遊んでいるように見えて?」
「ああ」
再度、膝をついた私に不思議そうに声をかけてくるジョルジュ。
私が一人で遊んでいると判断したらしい。
「母上? もしかして、それはハイハイごっこの先取りか? ジョシュアにはまだ早くないか?」
「……ジョエル。これがハイハイごっこ、ですって!?」
ジョエルがキュッと眉根を寄せる。
そしていつもの無表情で息子に声をかけた。
「な、ジョシュア。君がハイハイするのはまだまだ先だろう?」
「あうあ!」
「なに? でも、ばあば……母上といつかハイハイ勝負はしてみたい?」
「あうあ!」
「そうか……お前は随分と闘争心……血の気が多いのだな……誰だ? 母上に似たのか?」
「あうあ!」
「そうか! やはり母上か! よく似てる!」
(この光景、どっかで見たーーーー)
スラスラと父親……ジョエルの質問に“あうあ”で、答えていくジョシュア。
なんの疑問も抱かず会話をどんどん進めるジョエル。
「───ジョエル様、凄いです。なんでそんなにジョシュアの言葉が分かるのですか?」
「?」
「私には“あうあ”にしか聞こえませんよ? やっぱり通じるものがあるんですね!」
「??」
感心するセアラさんに首を傾げるジョエル。
その光景にものすごい既視感を覚えつつ、私はどうしても敗北感が拭えない。
(なぜ、なぜなのよ、ジョシュア……)
「あうあ!」
ニパッ!
ジョシュアが私に向かって手を伸ばす。
「ばあば? そうか。ジョシュアは母上が大好きなんだな? 性格が似てるからだな!」
「あうあ!」
ニパッ!
(嬉しいわ! けどね? なぜこの子は、ずっと……ずっと笑っているの……?)
そう。
先程から“あうあ”と言いながら、ジョシュアはずっとキャッキャと笑っている。
今もずっとニッコニコ。
と、いうかこの子、常にいつでもどこでもニッコニコ。
え? 涙どこ?
産まれた時のオンギャー以外に泣いたかしら?
───ジョルジュの孫でジョエルの息子なら無口無表情じゃないの!?
(この私が戦わずして負けるなんて……)
あの手この手で絶対に笑わせてやると決めていた待望の孫は、いったい何の変異を起こしたのか……
私が何かする前から、
とにかくずっとずっとキャッキャッキャッキャと笑ってばかりのベビーだった。
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