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60. 伝わらない
しおりを挟むそれから───
ジョエルと公爵令息エドゥアルトの友情は、エドゥアルトの変わった性格もあってなかなか上手くいっているようだった。
そして、彼は彼はかなりの頻度でジョエルの元を訪ねて来る。
「やあやあやあ! ジョエル! きょうもあそびにきたぞ!」
「……」
ジョエルは訪ねて来たエドゥアルトを玄関で出迎えると眉をひそめた。
こんな表情で出迎えられると普通の人なら不快なのかと勘違いするところ。
しかし……
「なに? このボクにむかって、まいにちひまなのか、だと!?」
彼はジョエルの表情からそう解釈する。
コクリ。
そして、ジョエルも無表情のまま頷いた。
これも捉え方によってはバカにされていると思うはず。
しかし……
「なるほど! ジョエル。きみはボクがいそがしいのでは? としんぱいしてくれているんだな!? ははは!」
公爵令息エドゥアルトはとっても前向きで、そして都合よく解釈し正解に辿り着く出来る子だった。
「だが、いっておく! ひまなはずがないだろう! このボクはみらいのこうしゃくだ!」
「……」
「まいにち、まいにち、べんきょーべんきょーマナーマナー……つかれてるさ!」
「……!」
「だが、これはつまり、みらいのボクはとってもえら………………って、ボクのはなしをきけーーーー!」
「……」
公爵令息エドゥアルトが話をしている途中でくるりと背を向けるジョエル。
そして屋敷の奥に向かって駆け出した。
「え? ジョエル? あなた話の途中でどこに行くの?」
「……」
そのまま、トタトタと走っていってしまう。
(ジョエル……?)
私と公爵令息エドゥアルトは顔を見合せて首を傾げた。
「えっと、ジョエルがごめんなさいね?」
とりあえず、このままにはしておけないのでエドゥアルトをいつものように応接室に通して、ジョエルが戻って来るのを待つことにした。
「いえ! だいじょうぶです。おかまいなく、ふじん」
「!」
(突然、置き去りにされたのに……)
「ジョエル、なにかおもいついたようなかおをしていましたから!」
公爵令息エドゥアルトは何をされるのか楽しみだという顔で笑った。
(すごいわ、この子……)
ジョエルの突然の行動にもこの反応。
ジョルジュが“二人はいい仲間になる”そう言っていたことを思い出す。
あの時はどうしてとそう思えるのか不思議だったけれど……
「しかし、ふじん。ボクはしんぱいです」
「え?」
「せんじつ、ボクはれいじょうとのおちゃかいがありました」
「令嬢とお茶会?」
そう聞いて、ああ彼自身の婚約候補者とのお茶会のことかと思い至る。
(王族に連なる公爵家の嫡男だから、お相手選びがもう始まっているのね……)
「そこでジョエルのなまえがでました!」
「あら、そうなの?」
「はい……そのこはジョエルを“こわい”といっていました!」
「……」
ピシッ
私の笑顔が固まる。
(そうなるわよねーーーー)
怒っているわけじゃないけれど、あんな風に眉間に皺を寄せられたら……
加えて無口無表情……
表情筋も既に死滅してるから滅多に笑わない……
(そりゃ、怖い……わよねぇ?)
「ふじん。ボクはしんぱいだ……」
「え?」
「しょうらい、ジョエルのよさもわからない、みぶんにめがくらんだへんなおんなしかのこらなそう……!」
「変な……」
エドゥアルトはシャレにならなそうなことを口にした。
そんな話をしているとノックの音と共にガチャッと応接室のドアが開く。
「はい坊っちゃま! そうです、こぼさないようにお気をつけて!」
「……」
「ジョエル!」
部屋に入って来たジョエルは、使用人の代わりにジュースを持って現れた。
一生懸命、手をプルプルさせながら運んでいる。
脅かしたら一気にジュースの入ったグラスを倒してしまいそう。
これはどういうこと? という目を私は使用人に向ける。
「ジョエル坊っちゃまが突然、厨房に駆け込んで来て一言、ジュース! と……」
「ジュース?」
「はい。最近坊っちゃまがお気に入りの甘くて美味しいジュースをご所望されました」
「えっと、ジョエル? ……あなた……」
私がジョエルをじっと見つめるとジョエルは、さあ飲めと言わんばかりにエドゥアルトにジュースをグイグイと押し付けている。
「うぉっ!?」
グラスを押し付けられているエドゥアルトは戸惑いながらジョエルを見つめた。
「───あまい、おいしい」
「え?」
「つかれ……とれる!」
「ジョエル?」
「───のめ!」
(そういうこと!)
どうやら、ジョエルはエドゥアルトの“疲れている”という言葉を聞いて、甘くて美味しいジュースで疲れを取ってもらおうと思って厨房に駆け込んだらしい。
「お、おう……?」
エドゥアルトもびっくりしながらもグラスを受け取る。
そしてゴクリとジュースを一口飲んだ。
その瞬間、顔がパッと華やいだ。
「なっ……ほんとうだ……! これはうまいな!」
「……!」
一口飲んで嬉しそうに綻んだエドゥアルトの顔を見たジョエルの眉がピクリと動いた。
ジョエルも喜んでいるわ!
(不器用だけど、こんな……こんな気配りが出来る素直な子なのに……!)
怖いと思われていることを歯痒く感じた。
「───ジョエルが令嬢から怖いと言われている?」
「ええ。今日、訪ねて来たコックス公爵令息にそう言われたわ」
その日の夜、エドゥアルトから聞いた話をジョルジュに伝える。
ジョルジュは不思議そうに首を捻った。
「あんなに素直なのにか?」
「そうよ……無口無表情が余計に噂の拍車をかけているみたい」
「無口無表情……?」
心で息子と会話するジョルジュにはよく分からない概念らしい。
「彼も少し特殊だけどコックス公爵令息を見ていれば違いが分かるでしょう? ジョエルは五語喋ればいい方よ?」
「…………そうか」
「顔だってあなたに似てかっこよく育っているのに…………」
私がそう口にしたらジョルジュは、得意そうに頷いた。
「当然だ! 俺と似ている顔は大事にしろとジョエルには口を酸っぱくして言い聞かせてきたからな!」
「なんでよ……」
「ガーネットが喜ぶ!」
「……なっ!」
その答えにドキッとした。
「俺は知っている」
「え?」
「ガーネットは俺とジョエルの似ているところを見つけると、それはそれは天使のように美しく、そしてとても嬉しそうに笑っ……」
「ジョルジューーーー!」
図星だったので顔を真っ赤にした私は慌ててジョルジュの口を塞いだ。
しかし、残念ながら……
そんなジョエルの“いいところ”はエドゥアルト以外には伝わることなく成長していき────……
「やあやあやあ! ジョエル。今日は僕とパーティーに行こうじゃないか!」
「……」
「ふむ、その眉間に皺を寄せたしかめっ顔……なるほど“面倒臭い”か? 君は相変わらずだな」
「……」
「そんな様子では、素晴らしい未来の侯爵夫人となる女性とは出会えないぞ?」
「……」
キュッとジョエルの眉間の皺の数が増えた。
(相変わらず、すっごい理解力だこと)
私はエドゥアルトに感心する。
今日もアポなしで突撃して来た彼は、ジョエルを少しでも社交界の輪に馴染ませようと必死だった。
「またか! そのどうでもよさそうな顔! 聞いたぞ、ジョエル。君はこの間お見合いをしたら挨拶しただけで相手の令嬢が泣いて帰ったそうじゃないか!」
「……?」
「もう何度目だ? その度にジョエル、君の噂が…………むっ、この菓子は上手いな?」
「……」
(さすが、詳しいわねぇ)
成長して、成人を迎えたジョエルの元にもいくつか縁談の手紙が届くようになった。
基本的には、本人の気持ちに任せたいし無理強いはしたくない。
けれど、ジョエルなりにギルモア侯爵家の未来を心配したのか、これまで数人とお見合いなるものを決行した。
───噂通りーーーー!
───わたくしではこの方の妻になるのは無理ですわーーーー
そう言って皆、挨拶だけで泣いて逃げていった。
そんな彼女たちの口からますますジョエルの噂は広がり……
(……どこが冷酷なんだか)
ジョエルは今も眉間に皺を寄せながらも、せっせとエドゥアルトが来た時に出そうと取り置きしていたとっておきのお菓子をウキウキで振舞っているというのに。
(うまく伝わらないものねぇ……)
どこかにこの表情筋が死滅していても構わないというガッツのある令嬢はいないかしら───
そんなことを私が願っていた中で唯一生き残った令嬢が、
シビル・ワイアット。
後に非常識な厄介事を引き起こすことになる、
でもある意味では息子の恋のキューピッドとも言えるワイアット伯爵家の令嬢だった─────……
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