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50. 血は争えない
しおりを挟む「───若奥様! ジョエル様が若君と邸内で共に失踪しました!」
「しっそ……えっ!?」
「全使用人、捜索に向かっています!」
その日の食後のお茶の時間。
慌てて飛び込んで来た使用人の言葉に私は優雅に飲んでいた紅茶を吹き出しそうになった。
私は勢いよく椅子から立ち上がる。
「どういうこと!? ジョルジュはジョエルを寝かしつけに一緒に部屋に行ったはずでしょう!?」
「そ、そのはずなので、我々も後からお部屋に向かいましたが……お二人ともい、いないのです!」
「なっ……!」
「そもそも部屋に辿り着いた形跡がありません」
(ジョルジューーーー!)
「まさか、食堂から部屋まで戻る慣れた道なのにジョルジュはジョエルを連れて迷子になったとでも言うの!?」
「………………お、おそらく」
「え? なんで? どこをどうしたら邸内でも毎日通る所で迷子になれるのよ!?」
「…………その……若君の行動は我々も昔から、よく…………分かりません」
「!」
使用人は頭を抱えながら大きく嘆いた。
(ジョルジュ……)
『ガーネット、たまには君もゆっくりしているといい。今日は俺がジョエルを寝かしつけてくる!』
昼食後、ふわぁ……と欠伸をした私に向かってジョルジュはそう言ってくれた。
表情筋以外はスクスクと成長中の我が子は最近、ハイハイを覚えて動き回る様になったから、少し疲れていたのかもしれない。
『え、でも……』
『大丈夫だ! 俺に任せろ』
ジョルジュは大きく胸を張った。
そして最も信用してはいけない言葉を私に向かって口にしていた。
『ジョルジュ……私、あなたと出会ってから、“俺に任せろ”って言葉が一番不安を煽る言葉になったのだけど?』
『なに!?』
驚いた様子のジョルジュは言った。
『そうか…………ガーネットにいつまでも心配ばかりかけるのは良くないことだな。何よりガーネットの美しい顔を曇らせるのも嫌だ……』
『ジョルジュ?』
ジョルジュは顔を俯けて何やらブツブツと呟く。
そしてパッと顔を上げた。
『やはり! 今日は俺がジョエルの面倒を見る!』
『は?』
目を丸くしている私にジョルジュは大きく頷く。
『使用人もいるから問題ない。ガーネットはゆっくり休んでくれ。行くぞ、ジョエル!』
『う』
『いいか? これからジョエルはお昼寝という大事な仕事をこなすんだ!』
『う!』
『たっぷり寝て早く大きくなって、共にガーネットを守るぞ!』
『う!!』
(えーー!?)
そう言ってジョルジュはハイハイするジョエルと共に意気揚々と食堂を出て行った。
そして、それから見事に期待を裏切らずに失踪したというわけで……
なんで!?
私は頭を抱えて反省する。
(……つい、うっかり最後の言葉に絆されてしまった私がいけなかったわ……)
「…………とりあえず邸内のどこかにはいるのよね?」
「外に出た形跡はございません」
「そう……」
とりあえず、邸内にいるなら大事にはならなそうね、とひとまず安堵する。
ジョエルが一人で迷子になったというなら、さすがに悠長にはしていられずハラハラもするけれど、一応大人のジョルジュがついているし……
(何より、ジョルジュは迷子のプロ……!)
どんなに迷っても決して取り乱すことのない心を持っている。
とはいえ、やはり心配なものは心配。
私は軽く息を吐いた。
(お義父様やお義母様もこんな気持ちでジョルジュのことをいつも心配していたのかしら……?)
「いいこと? ────おそらくジョルジュは、ジョエルを抱えてでもとにかく前へ前へと突き進むわ」
「は、はい!」
「ここはどこだ? おかしいな? そう思っても突き進むの。それがジョルジュよね?」
「は、はい!」
「───そういうことだから、お迎えに行くわよ! 目指すは屋敷の奥!」
そうして大捜索した結果、ジョルジュとジョエルは西棟(ギルモア侯爵家の屋敷の最奥)にて無事に発見。
「────見つけたわよ! ジョルジュ!」
「ガーネット?」
「う?」
(……!)
私の声に振り返った二人はきょとんとした表情をしていた。
あまりにも緊張感の無いその顔に脱力しながら私は二人の元に近付く。
「ジョルジュ! ジョエルを寝かしつけてくれるのではなかったの?」
「もちろん! そのつもり、だったんだが……」
「だが?」
ジョルジュはうーんと首を捻った。
「聞いてくれ、ガーネット! 部屋の扉を開けたら、そこはなんと物置部屋だったんだ!」
「物置部屋…………目的の部屋の真向かいにあるわね……?」
さすがジョルジュ。
期待を裏切らない男。
あと、物置部屋への到達率が高すぎる。
「これはおかしいぞ? と思っていたら、ジョエルが“こっちだよ”って目で俺に訴えてきた」
「え? 目で?」
「ああ。目だ。さすが俺たちの息子だと感心し、俺はジョエルについて行くことにした!」
「……なんでよ。まずはジョエルを信じる前に後ろを振り返りなさいよ」
ジョルジュは私の話を聞いてるのかいないのかそのまま話を続ける。
「そこからの俺はジョエルに導かれるがまま────気が付いたらここに到着していた」
「……ジョルジュ」
「────それで、ガーネット……」
そこまで言い切ったジョルジュは少し困った顔を浮かべる。
ああ、お決まりのセリフね?
「……やはり分からん。ここは、どこなんだ?」
(やっぱり出たーー! お決まりのセリフ!)
「ジョエルに何度聞いても“う”しか言わないんだ」
「……」
私はチラッとジョエルに視線を向けた。
「う?」
そんな邸の再奥まで、休むことなくハイハイし続けたであろうジョエルは、疲れている様子もなくきょとんとした顔をしている。
(た、逞しい子ね……)
私はジョエルを抱っこしながらじっと目を見つめながら訊ねる。
「ジョエル……あなたジョルジュを引き連れて冒険でもしたかったのかしら?」
「う」
どうやら、ジョエルは私たちに似て行動力がとても抜群なのだと思った。
────
「あー、うーあ!」
「どうしたの? ジョエル?」
「どうやら、馬車に興味を示しているみたいだな」
それから、ハイハイしか出来なかったジョエルも、気づけば掴まり立ち、よちよち歩き……と成長し、自分の力で歩けるようになると外を散歩するようになった。
さすが冒険好き。
すぐに外に行きたがる。
しかし、邸内はともかくジョルジュに任せると、本格的な失踪事件が起こりかねない。
なので外を散歩をする時は三人で行うように徹底した。
そして、今日もいつものように三人で散歩していると、ジョエルが馬車を見ながらしきりに何か訴えている。
「この反応……これは、乗ってみたいのかしら?」
「あーうー」
馬車を指さして、まだ何かを訴えている。
基本、何事にも淡白なジョエルにしてはかなり珍しい。
「そういえば、昨日の夜に読み聞かせた絵本に馬車が出て来ていたわね?」
「あう、あ」
「なるほど。それで、興味がわいたのかもしれないぞ」
ジョルジュも、なるほどなと頷いた。
「……そういえば、ジョエルを馬車に乗せて出かけたことはなかったな」
「そうねぇ、だから余計にどんな物か気になるのかしら?」
「うあうー、あー」
気のせいでなければ、馬車を指さすジョエルの声もいつもより弾んでいる気がする。
「かなり興味を示しているな。よし、ガーネット! 今度ジョエルも連れて出かけてみるか」
「え? でも街は…………迷子になる危険があるわよ?」
「迷子? 護衛も連れていくし、俺たちがしっかり見ていれば大丈夫だろう?」
「……」
迷子常習者が何か言っている。
「凄いわね……なんてこの世で一番説得力のない言葉なのかしら」
「説得力? 何を言っているんだ、ガーネット?」
さすが無自覚ジョルジュは大真面目に不思議そうな顔をしていた。
その後、使用人も含めたギルモア侯爵家の面々による深刻な会議が開かれた。
やはり人の多い街では人に揉まれて(ジョルジュが)迷子になる危険が高いと反対意見が続出。
結果、人の少ない近くの公園ならどうかという結論が出た。
そして……
「ううあー」
「さあ、ジョエル。今日は馬車に乗って公園にお出かけするわよ~」
ジョエル・ギルモア。
遂に馬車と初めての触れ合う時が訪れた─────……
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