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16. 私の方が良かった
しおりを挟む今、私の心は人生最大の局面に達していた。
(嘘でしょ……正気? これは正気なの……)
「ふ……ふふふふ」
「ガーネット! 笑っていないで踏んでくれ!」
「……笑ったわけじゃないわよっ!!」
まさかの三回目の“踏んでくれ”
私はジョルジュの目を見つめておそるおそる訊ねる。
「ふふ、踏んでくれ! ですって?」
「そうだ!」
「……」
一点の曇りもない眼差しで答えが返ってくる。
(なんてこと、酒……今すぐ酒が欲しいわ)
グビッと飲み干してヘロヘロになって記憶をもなくして、全てを聞かなかったことにしたい!
「ガーネット……」
「う、ぐっ!?」
なんと、ここでジョルジュが私の手を握って来た!!
本気……奴は本気!
「ガーネット───君しかいないんだっ!!」
「─────っっっっ!!!!」
カッと私の顔が赤くなった。
心臓も何だかおかしい。
トクンッ……じゃなくてドクドクと激しくってよ!?
「……」
(ホ、ホホホ、落ち着きなさいガーネット!)
深呼吸した私は自分に喝を入れる。
───私はガーネット・ウェルズリー。
これしきのことで動揺するような情けないそこらの令嬢とは格が違うのよ!
(ジョルジュが、こんな阿呆なことを言い出したのには必ず理由があるはず……)
そう!
山より広くて海よりも高い理由がねっ!(※絶賛混乱中)
「ジョルジュ? ……な、なぜ踏まれたいのかしら?」
「え?」
ジョルジュは目をパチパチさせる。
なんでそんな顔になるのかしらね!?
「よ、余程のことがないと人はね、踏まれたい……などと頭のおかしいことは思わないはずなのよ」
「……ああ」
素直なポンコツ男、ジョルジュはコクリと頷いた。
頭がおかしいと言っているのに怒りもしないってどういうこと?
「さあ、ジョルジュ! 理由は何!」
「───刺激が欲しい!!」
「しげ……き」
ギュッ!
ジョルジュの私を握る手に更なる力が込められる。
まるで、逃がさない! そう言われているよう……
「ジョルジュ……あ、あなた……」
どうしよう……ジョルジュは変な世界への扉でも開いちゃったの?
そう聞こうと思ったらジョルジュが語り出す。
「…………今日のガーネット」
「今日の私?」
「……かっこよかった」
「か……?」
まさかの素直な褒め言葉に私は少し照れる。
「あ、ありがとう?」
「隙のないターゲットの事前調査はもちろん、それを駆使しての交渉……」
ポツポツ語り始めるジョルジュ。
「どんな相手でも物怖じすることなく、堂々として偉そうにふんぞり返っていたあの姿……」
「…………ねぇ、一応聞くけどそれ褒めてる?」
「そんなガーネットの姿が俺にはとても眩しかった!」
「…………聞きなさいよ!」
私の発言を流してジョルジュはまだ続けた。
「だから、俺は思った」
「…………何をよ」
「俺もぼんやり生きているだけでは駄目だ!」
「!」
私は目を瞬かせる。
ジョルジュ……ぼんやり生きている自覚……あったのね!?
そしてこれは、ギルモア侯爵家の嫡男としての自覚も芽生え───
「───だから、ガーネット! 俺を踏んでくれ!」
「違うものが芽生えてるじゃない! どうしてそこに行き着いたのよっっっ!!」
「だって、ガーネット! 俺は君じゃなきゃ駄目なんだ!」
「……え?」
その言葉にはなぜだか胸が高鳴る。
(……そういえば、さっきも君しかいない……って言ってた、わね)
違う。
これは、ときめくところじゃない!
「えっと? よ、要するに? あなたの言いたいことをまとめると……ぼんやり生きていた自分の目? を覚ますために刺激が欲しい! ……であっているかしら?」
「そうだ!」
(あってたわ、さすが私!)
私はホッと胸を撫で下ろす。
なんで、そこで踏みつけられたい……に走っちゃうのかがジョルジュの謎だけど。
しかし……
そんな安堵していた私に更なる爆弾発言が降りかかった。
「……他の人じゃ駄目だった」
「へぇ、他の人……」
「他の人では何度踏まれても朝、目覚めることすら難しかった」
「へぇ、朝の目覚め……」
そこまで言いかけて私はピタッと止まる。
「───あぁ?」
またしても令嬢らしからぬ、今度はドスの効いた声が私の口から飛び出す。
「どうした? ガーネット」
「…………あ、あなた今、“他の人”と言ったかしら?」
「ああ!」
「……ふ、踏まれた、いえ……踏んでもらった……の?」
「ああ! 家族と使用人に俺を起こす時は踏んでみてくれと頼み込んだんだ」
(ギルモア侯爵家ーーーーーーーー!)
今すぐ見舞い金を包んで持っていきたいくらいの衝動に駆られる。
起こす時に踏んでみてくれ……?
そんなことをお仕えする坊ちゃんに言われた使用人たちの困惑と動揺と恐怖を想像したら……
「さすがに使用人は躊躇っていた……が、両親は快く踏んでくれた……」
(ギルモア侯爵夫妻ーーーーーーー!!)
パーティーでジョルジュを踏みつけたことの謝罪に伺った時、
「そんな所で転がっていた息子が悪い」
と言って何故かあっさり許された。
ちょっとズレている方々だとは思っていた。
けれど!
まさかここまでだなんて……
「……だが、やはり違うんだ。あのじわじわくる刺激はガーネットにしか出せない! やはり君が良い!」
「……」
「さあ、ガーネット!」
「…………っ!」
究極の選択を迫られている今、私は思った。
公の場でいきなり冤罪を突きつけられて王子から婚約破棄を言い渡されることなんて、この究極の選択に比べたら、全っっ然、大したことじゃなかったわと────……
✤✤✤✤✤
「……なぁ、ラモーナ。あの話はどうなった?」
「!」
午後のお茶の時間。
公務で忙しい殿下との大事なひととき。
しかし、エルヴィス様のその言葉にギクッと私の身体が震える。
(あの話───つまり、お金……)
あれから実家に「お金が必要」と手紙を送ったものの、まだ返事が来ていない。
「実は、隣国の要人たちへの接待なんだが、このままでは人が足りなくなりそうだ」
「ひ、人が……」
そうよね?
未来の妃に付けられる侍女が一人だけなんだもの。
それも、何か仕事の掛け持ちでもしているのか呼んでもなかなか来ない……
それくらい今、王宮の人手は足りていない。
「……やはり人は集まらない……のですか?」
王宮で働けるなんて夢のようだと応募が殺到してもおかしくないのに。
私がそう訊ねると、エルヴィス様は大きなため息を吐いた。
「増えるどころか、どんどん減っている」
「え!?」
(へ……減っている?)
「あの大量の退職者が出たあと、一旦は落ち着いたんだが……また減り始めた」
「……そ、そうなんですね? でも、ごめんなさい。イザード侯爵家からはまだお返事が……」
「───そうか」
エルヴィス様はそれだけ言うと、残りのお茶を一気に飲み干して立ち上がってしまう。
「え、エルヴィス様? もう行ってしまうのですか? まだ一杯目……」
「人手が足りないと言っただろう? 時間が無いんだ」
「あ……でも、もう少しだけ……もう一杯だけでも……ダメ、ですか?」
私は目を潤ませて可愛く、こてんと首を傾げて訊ねる。
だってここ数日。
ずっとこんな状態でまともに会話も出来ていない。
そう思って引き止めようとした。
しかし、エルヴィス様はまたしても深いため息を吐いた。
「ラモーナ……君が必ず、午後のお茶の時間は僕と一緒に過ごしたい! と言うからこうして一杯だけでも付き合ってやっているんだ。これ以上は我儘を言わないでくれ」
「……エルヴィス様!」
(いつもなら、こうして可愛くすれば私のことを優先してくれたのに!)
エルヴィス様はそう言ってスタスタと扉に向かってしまう。
私の声に振り向くこともしない。
そして部屋を出る瞬間、とてもとても小さな声で呟いたのが聞こえた。
「ガーネットは、こういうことはきちんと弁えていてくれたんだけどな…………」
(────なっ! なんですって!?)
「ガーネットの方が…………良かったな」
よりにもよってガーネットと私を比べるなんて!
ギリッと唇を噛んで私は慌てて立ち上がって後ろを振り向いた。
「あ……」
けれど、エルヴィス様の姿はもうそこには無かった。
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