誕生日当日、親友に裏切られて婚約破棄された勢いでヤケ酒をしましたら

Rohdea

文字の大きさ
上 下
4 / 119

誕生日───当日 ②

しおりを挟む
艶めいた様子でしなだれかかるように酌をしているのは、まだあどけない娘のようにしか見えなかった。
わざと大きく襟を抜いた振袖姿はむしろ不調和ともいえるが、それが皮肉なことに得体のしれない色香となって匂い立つ。

買われたこの時間は従順であるように演じつつ、その実は男という生き物を蔑んでせせら笑う本心を隠す気はないようだ。
男を気持ちよくさせる嘘の睦言を囁いているのか、珠のような口唇がふるふると揺れては弾んでいる。

小さな料亭の二階、赤み勝ちの灯りが否が応でも淫靡な空気を醸し出す。

自分はいったい何をしているのだと思いつつ、草介は息を殺してその様子を小さな穴からずっと覗いている。
酌を受けているのは、羽織袴で端座する燻銀色の髪をした男。
後姿しか見えはしないが、とても寛いでいるような雰囲気ではない。

と、酌婦がふいにこちらを見た。

潤みを帯びた大きな双眸がじっと注がれ、ほんの少し小首を傾げるように気配の元を探っているのだ。
透き通るような肌。
白玉や白磁が月並みな喩えだとしても、それ以上の言葉を草介は見つけられない。

切り揃えた前髪がさわりと揺れ、すうっと目が細められた。
嗤っているのだ。

思わず寒気を覚えるほどに凄艶な美少女。
そう、少女としか思えない。

あらかじめ草介には、その佳人が美しい少年だとわかっていたとしても――。



――大阪、道頓堀。

かつての「大坂」という表記との混在も落ち着いてきたこの街を、隼人と草介は連れだって歩いていた。

芝居しべえ小屋がたくさんあらぁ。むかしの猿若町みてぇだぜ」

草介がおもしろそうにきょろきょろと見回す辺りは、江戸の早い時期から既に芝居小屋が立ち並んだ界隈だ。
大阪が食道楽の街として栄えた背景には、こうした芝居見物の客を相手に商ってきた歴史があった。

「なにもここまで付いてくることはなかったのだぞ」

傍らの隼人は迷惑そうというより、むしろ申し訳なさそうに眉尻を下げている。
この男にしては珍しい表情で、草介は隼人のこうした顔を見ると何やらしてやったりという気持ちになるのだった。

「あぁに、どうせしまだしよ。それによ、ほら。あの新しいM卿のおっさんにも、はーさんのことしっかり見ててやれって言われてんだよ」
「なに、三浦卿にか」
「おうさ。はーさんもうお年寄りだからって……っていてえ! いてえって! おいらが言ったんじゃねえよう!」

隼人の鍛え上げられた指で耳を摘ままれた草介は、伸び上がるように体を傾けて許しを乞うた。
傍からは仲のよい親子がじゃれ合っているようにも見えるだろう。

隼人と草介が務める御留郵便御用の統括組織であるM機関。
Mのイニシャルを持つ幹部で構成される特務機関だが、かつて直接の上官であった陸奥宗光は今や宮城監獄に収監されている身だ。
西南戦争の動乱に紛れ土佐派の運動家らと通じて政府転覆の挙兵を図ったとし、1877年(明治11年)に逮捕されたのだ。
世にいう「立志社の獄」の関連である。

これに先立って長州の前原一誠、薩摩の村田新八と次々にM卿の椅子が空席となっており、陸奥卿の後任に就いたのが元紀州藩公用人・三浦休太郎だった。

戊辰戦争時には捕縛されたものの、いまは「やすし」と名乗って明治政府に出仕する身だ。
それに三浦卿は幕末の天満屋事件で陸奥宗光を含む海援隊・陸援隊の襲撃を受けており、その護衛任務に就いていた隼人とは面識があったのだ。

「片倉さん、えらい律義なこっちゃ。休暇申請ら書面だけでええんやで」

福々しい面相に二重ながらどこか眠そうにも見える目を向け、三浦卿が気のない声を出した。
草介を伴って新任のM卿への挨拶に向かった隼人が次に出したのは、休暇願だったのだ。
天満屋事件で顔に受けた傷が引きつるのか、三浦卿は片目を顰めるようにしている。
十津川郷士の中井庄五郎に斬られた跡だ。

「はっ」

直立する隼人をぎょろりと見上げ、許可の判を捺した書類を返す。

「まあゆっくりしてきなはれ。せやけど騒ぎだけは起こすんちゃうで」

猜疑心の強そうな目は、動乱の時代を生き抜いてきた武器の一つなのだろう。
三浦卿の部屋を退出しつつ、草介はやはり隼人の旅にくっついていくことを決めていた。

珍しく休暇を取って向かうのは大阪。

御留郵便ではない、隼人個人の届け物があるのだという。
しおりを挟む
感想 394

あなたにおすすめの小説

妹が私こそ当主にふさわしいと言うので、婚約者を譲って、これからは自由に生きようと思います。

雲丹はち
恋愛
「ねえ、お父さま。お姉さまより私の方が伯爵家を継ぐのにふさわしいと思うの」 妹シエラが突然、食卓の席でそんなことを言い出した。 今まで家のため、亡くなった母のためと思い耐えてきたけれど、それももう限界だ。 私、クローディア・バローは自分のために新しい人生を切り拓こうと思います。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

初耳なのですが…、本当ですか?

あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た! でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

王太子妃候補、のち……

ざっく
恋愛
王太子妃候補として三年間学んできたが、決定されるその日に、王太子本人からそのつもりはないと拒否されてしまう。王太子妃になれなければ、嫁き遅れとなってしまうシーラは言ったーーー。

私だけが家族じゃなかったのよ。だから放っておいてください。

恋愛
 男爵令嬢のレオナは王立図書館で働いている。古い本に囲まれて働くことは好きだった。  実家を出てやっと手に入れた静かな日々。  そこへ妹のリリィがやって来て、レオナに助けを求めた。 ※このお話は極端なざまぁは無いです。 ※最後まで書いてあるので直しながらの投稿になります。←ストーリー修正中です。 ※感想欄ネタバレ配慮無くてごめんなさい。 ※SSから短編になりました。

皆さん、覚悟してくださいね?

柚木ゆず
恋愛
 わたしをイジメて、泣く姿を愉しんでいた皆さんへ。  さきほど偶然前世の記憶が蘇り、何もできずに怯えているわたしは居なくなったんですよ。  ……覚悟してね? これから『あたし』がたっぷり、お礼をさせてもらうから。  ※体調不良の影響でお返事ができないため、日曜日ごろ(24日ごろ)まで感想欄を閉じております。

結婚が決まったそうです

ざっく
恋愛
お茶会で、「結婚が決まったそうですわね」と話しかけられて、全く身に覚えがないながらに、にっこりと笑ってごまかした。 文句を言うために父に会いに行った先で、婚約者……?な人に会う。

処理中です...