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327. 最強のベビー・フルール
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「……」
お母様は無言でのっそり起き上がると、隣で未だに安眠中のお父様の顔をじっと見た。
そして、何やらポツリと呟く。
「フ、フルール……義母上のあの雰囲気、怒っていないか?」
「え? 怒っている?」
私の横でリシャール様が怯えた目でお母様を見ながら私にそう言った。
「うん。顔に落書きされたこと怒っているんじゃ?」
「そうだぞ、フルール! 母上に怒られる前に先に謝っておいた方がいい!」
「フルール様! お義母様の顔にも文字を書いていたのね!?」
なぜか、お兄様までプルプルして怯えた様子を見せている。
オリアンヌお姉様は、なんて書いたの? と興味津々の様子だったので“かっこいいおかーさま”だと話したら、ぴったりね! と笑ってくれた。
「フルール! オリアンヌと呑気に談笑している場合か!」
「お兄様?」
「母上の冷気がどんどん強くなっているじゃないか!」
横でお兄様がアタフタしている。
(お兄様は分かっていませんわね……)
「お兄様、心配ご無用ですわよ」
「え?」
「お母様は元々寝起きがよくありませんでしょう? 特に私の子守唄を聞いた後の覚醒はかなり苦労するそうですわ」
お母様曰く、目覚めの舞を踊らないと、しゃっきりしないそうです。
「あー……フルールの子守唄で違う世界の扉が開くからか」
お兄様が遠い目をしながら言った。
「違う世界……あ、私は目が覚める前に川が見えたわ! 流れが激しくて渡るのは断念したけれど」
オリアンヌお姉様はにこにこしながらそう言った。
目覚める前に川が見えたという話は、他の人からもよく聞きましたわ~
「えっと、フルール? つまり義母上の冷気は怒っているわけじゃ、ない?」
リシャール様に聞かれて私は頷く。
「違いますわ!」
「でもフルール。昔、俺たちに落書きした時は怒られただろ?」
「いいえ、お兄様。あれは、落ちにくいインクを使ったことを怒られたのですわ!」
なので、今回はちゃんと水で落ちやすいインクであることをしっかり確認した上で実施している。
一に確認二に確認、三四も確認、五に確認……ばっちりですわ!
「……フルール」
お兄様とリシャール様が何か言いたそうな目で私を見たのでにっこり笑い返す。
ちょうどその時、お母様が私の名前を呼んだ。
「……フルール、ちょっとこちらにいらっしゃい?」
冷んやりした空気を纏ったお母様がにっこり笑いながら手招きしているので、私は近寄った。
「お母様、おはようございます」
「……ええ、外は真っ暗ですけどね?」
チラッと窓の外を見たお母様。
これは、ぐっすり安眠した証拠ですわ!
「伯爵家にはちゃんと連絡が行ってますので安心してくださいませ!」
ちなみに、それを伝えに行った御者曰く、
シャンボン伯爵家は、“フルールお嬢様の子守唄が”と大騒ぎになったらしい。
(皆、久しぶりに聞きたいのかもしれませんわ~)
「そう……なら、今頃パニックね」
お母様は深いため息を吐いた。
「それより、お母様! 私の歌声は訛っていませんでしたわ!」
「……訛っていて欲しかったわ」
「ふっふっふ。これで赤ちゃんにもたっ~~ぷり歌ってあげられ……」
「フルール!」
お母様がガシッと私の両肩を掴んだ。
そしてじっと私の顔を見つめる。
「お母様……?」
「いいこと? よーーーーく覚えておきなさい。子守唄というのは最終手段よ!」
「最終……手段?」
お母様はコクリと頷く。
「寝かしつけようとこちらはありとあらゆる手を尽くしているのに、何が愉快なのかずっとキャッキャと笑って笑って笑って笑って笑いまくって、全く眠る気配を見せない……かと思えば突然、パタリと寝こけて、やった! 寝てくれたわ! と家族、使用人一同が感動した瞬間、パッと目を覚まして私たちのことを嘲笑うかのように、またキャッキャと笑い出す……それの繰り返しで全く寝てくれず……こちらはとうとう心身共に疲労困憊…………いい? そういう事態になった時にだけ使いなさい!」
「は、はあ……」
お母様の話のあまりの長さに私は眉をひそめる。
随分と笑ってばかりの赤ちゃんですわ?
(……? しかも、なんだか随分と具体的ですわね?)
さらにお母様は続けた。
「ハイハイを覚えて動き回れるようになったかと思えば、信じられないくらいの高速ハイハイで屋敷内を端から端まで元気に動き回り…………それで疲れて眠ってくれるどころか、テンションはますます爆上がりしてスピードもアップ……どうにか使用人総出で追いかけて捕まえて、ようやくベッドに寝かしつけるも、体力切れした大人の私たちの方が、ついついうたた寝なんてしてしまったら最後……瞬く間に脱走開始。キャッキャと楽しそうに笑いながら屋敷内をまた高速ハイハイ……のエンドレス! いい? 赤ちゃんがそういうことした時にだけ使いなさい!」
「は、はあ……」
お母様には申し訳ないですが、やっぱり長すぎて半分くらいしか理解出来ませんでしたわ!?
とりあえず、元気な赤ちゃんですわ?
(しかし、なんでそんなに具体的なんでしょう?)
私は首を傾げる。
リシャール様は今のお母様の話、理解出来たのかしら?
そう思ってチラッと振り返った私はギョッとした。
すると、なぜかお兄様がその場に膝から崩れ落ちていて、オリアンヌお姉様とリシャール様に支えられていた。
(こっちはこっちで私を除け者にして、いったいなんの遊びをしているんですのーー!?)
お母様が崩れ落ちているお兄様を見つめて呟いた。
「ああ……アンベール。あの日々を思い出してしまったのね? ええ、小さかったあなたも苦労したものね…………最強のベビー・フルール……」
「お母様? なんの話です?」
私が聞き返すとお母様は軽く咳払いをした。
「……コホンッ、なんでもない。こっちの話よ」
「そうですか?」
「いいこと? あなたのその音……ケホッ……尋常ではない独特の音……とにかく、人間離れした個性豊かな凶……歌声の乱発は禁止! どんな時も夫のリシャール様の指示を仰ぎなさい!」
「リシャール様の?」
お母様は大きく頷く。
「母親が子どもに歌う子守唄は夫である父親の許可制よ!」
「まあ!」
そんな話は初めて聞いたけれど、母親の先輩であるお母様がそう言うなら間違いない。
(では、歌いたい時は、リシャール様に相談ね……!)
私が内心で大きく頷いていると、お母様の声色が変わった。
「さて、フルール。子守唄に関しての取り決めはこれでいいとして───これは何?」
お母様が未だにすやすや安眠中のお父様の頬に向かってピシッと指をさす。
「とっても見覚えのある字よね? ご丁寧にチビフルールだった頃と同じ書き方……」
「はい! 昔の再現ですわ!」
「そう……あの落ちないインクを使った時の……ね?」
「安心してくださいませ! 今回は水で落ちますわ!」
私がどーんっと胸を張るとお母様がフッと笑った。
「鏡を見ていないけど……私の頬には、あの時と同じでかっこいいおかーさま……かしら?」
「そうですわ!」
お母様はいつもかっこいいです!
「アンベールには、おにーさま、大スキ、ね?」
「はい! そして今回、オリアンヌお姉様には“肉”と書かせて頂きましたわ!」
「にっ!」
肉……と言った瞬間、お母様が軽くむせた。
「フルール……あなた、義姉にまで……」
「喜んで貰えましたわ~」
「……さすがね」
お母様は頬をピクピクさせてそう呟いた。
「───そんなことより、フルール! 私はね昔、あなたが私たちの顔に落書きした時からこれだけは、と言いたかったことがあるのよ!」
「え? もう十年以上経ちますわよ? お母様」
「そうね……機会があればずっとフルールに言いたいと思っていたわ」
そんな十年以上も前から言いたかったこと?
お母様の真剣な顔、声……
───これは、かなり重大な話に違いありません!
私はピンッと姿勢を正す。
心なしか、お母様の様子に後ろのリシャール様たちもハッとした気配がする。
「な、なんですの?」
「あなた、今も昔も私の旦那様の頬に“すてきなおとーさま”と書いているわよね?」
「はい!」
お父様はとっても素敵ですもの。
私が満面の笑みで頷いた瞬間、お母様の目の奥がキラリと光った。
「───甘い! 甘いわ! フルール!! 私の旦那様……エヴラールの“素敵なところ”は、たったこんな一言で済ませられるものではありません!!」
お母様の目が……本気ですわ!?
「……お座り」
「え?」
「え? ではありません! フルール! 今すぐここ……私の目の前にそのままお座りしなさい!!」
その言葉にハッとする。
チビフルールの頃から聞きなれたセリフ。
条件反射で私の身体がピクリと動く。
(こ、これは……)
「グズグズしない! 両脚をそろえて膝を折る! それから足首からかかとの上にお尻を乗せるのよ!」
(やっぱりですわーーーー!)
「愛する旦那様の素敵なところをたっぷり話してあげるから、あなたはここに座ってよーーーーく聞きなさい!!」
「お、お母様……? もう、結構昔からたくさんお話は聞いていると思っ……」
「甘い! あんなもの! まだまだ素敵な旦那様のほんの一部に決まっているでしょう!」
「い、一部でしたの!?」
一度火がついたお母様は止まらない。
特にお父様に関しては。
そんなお母様は後ろのリシャール様やお兄様、オリアンヌお姉様まで手招きする。
「───あなたたちもよ! さっさとこっちに来てフルールの横に並ぶ!」
「は、母上!? なんで俺たちまで……!?」
「アンベール、グダグダ言わないの! あなたもきっとこれから父親になる時が来るでしょう? だから、私の素敵な旦那様の話をよーーーく聞いて今後の参考にでもなさい!」
「ひっ!?」
こうして私たちは横一列に並んで座り、足の痺れと懸命に戦いながらお母様の“素敵な旦那様とは”という惚気話を延々と聞くことになった。
「あ? ブランシュ? え? 皆……な、何をしている、んだ?」
途中、誰よりも遅れて目を覚ましたのんびりなお父様はこの光景を目撃して目を丸くしていた。
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