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196. 甘く見ないで
しおりを挟む「待って! フ、フルールさん! あなた今、このお茶を……」
私が部屋を出た瞬間、中から慌てた様子のイヴェット様が私に声をかける。
その声に振り返った私はにこっと笑った。
「大丈夫ですわ、それ毒ではありませんから! 命に別状はありませんの。でも、飲んだら駄目ですわ」
「え……」
「それ……私は慣れていますのでご心配なくですわ───……」
「え? え? 慣れ……!? 何に!?」
「行ってきますわ、イヴェット様ーー」
目を丸くしているイヴェット様を置いて駆け出した私は目的のメイドを追いかける。
部屋の外に待機していた護衛がいるから、イヴェット様がこれ以上危害が加えられることはないはず。
なので、あとは思いっきりあの怪しいメイドを追いかけられる。
(───この私から逃げるですって? ふふん、逃がすものですか!)
ドーファン辺境伯の騎士たちともたくさん走り込み、それ以外にも毎日毎日走り回っているこの元気いっぱいな私の足を甘く見ないで頂戴!
そして、狙った獲物は───逃さないわ!
(さようなら、淑女!)
淑女を捨てた私は更に足を加速させた。
ようやく逃げていたメイドの背中を捉える。
「───お待ちなさい!」
「……え? ひっ!?」
私の発したその声にメイドの肩がビクッと跳ねた。
おそるおそる後ろを振り返ったメイドが小さく悲鳴をあげた。
「……え、え、なんで!?」
「……」
「貴女……の、飲んでいたじゃない! ……それも一気にグビッと……それなのに、なんで? あれには強力な即効性の───……」
メイドは怯えて逃げながらも何かごちゃごちゃ言っている。
「ごちゃごちゃはいいから、とにかくお待ちなさい!」
「──ひぃっ!? あ、足も早いの!? う、嘘っ……」
完全に怯えたメイドに追いつくのは簡単だった。
すぐに追いついた私はそのメイドの腕を掴む。
「ふっふっふ、捕まえましたわ。逃がさないですわよ」
「ひぃっっ!」
「このままアンセルム殿下の元に連れて行きますわよ? そこで洗いざらい知っていることは、吐いてもらいますわ!」
「ひぃぃぃっっ!」
「……!」
(あ!)
この人からも……だわ。
うーん、そうなるとやっぱり───……
私は、小さくため息を吐くとそのメイドの腕を掴んだまま、ずるずる引き摺って王太子殿下の部屋へと向かうことにした。
─────
ズルズル……
(うーん、困りましたわ……)
ズルズル……
私はこの捕まえたメイドをずるずる引き摺って王宮内を歩きながら途方に暮れていた。
このまま、アンセルム殿下の元に連れていくと威勢よく発したところまでは良かったのだけど……
(───ここはどこ? どこに行けば殿下の部屋に辿り着くの?)
よくよく考えれば当たり前なのだけど、昨日この国に到着し、初めて来たばかりの私にこの国の王宮内が分かるはずがなかった。
しかも、このメイドのみを目指して真っ直ぐ走って追いかけて来たからどこをどう走ったのかも覚えていない。
そして、もちろんだけど広い。
王宮内はとーーっても広い。
(うーん……本当に困りましたわ)
それならば、と思い、すれ違う人に訊ねようとするも皆、私の姿を見るなり話も聞かずに「ひっ!」と悲鳴を上げて一目散に足早に駆けていってしまう。
お仕事が忙しいのね、きっと。
そうして歩き回るうち、ついには人気の少ない所にまで来てしまった。
(本当にここはどこなの……)
「……あの?」
「ひっ! 痛っ……うぅ……お願いです、もう逃げません、逃げませんから離してぇーー……」
「……」
捕まえたメイドに訊ねようとしても、しくしく泣かれてこの繰り返しばかりでさっぱりお話にならない。
(仕方がないですわね……)
このままもう少し、適当に歩き続けてみましょうか。
そうすれば、見覚えのある場所に出るかもしれないわ!
そう考えた私は顔を上げてキョロキョロ左右を見回す。
「……」
(うん、あっちの方が陽当たりが良さそうね!)
偉い人の部屋はきっと暖かくてポカポカしているに違いない!
なんの根拠もないけれど、そう考えた私は、それからもメイドをずるずる引き摺りながら手当り次第歩き続けた。
でも、どうやらそれは逆の方向だったらしく……
結果として、私はこのメイドを引き摺った姿を多くの人に晒したまま、このだだっ広い王宮内を周回することになった。
「……なるほど。それでフルールは王宮内をぐるぐるし、ようやくここに辿り着いた、と」
「ええ。メイドはすぐに捕まえられたのですけど、戻るのにすごーーく、すごーーーーく遠回りしていたみたいですの」
「……」
「さすが王宮……広いですわね」
私の話を聞いたリシャール様が頭を抱える。
大変! 頭痛かしら?
愛する旦那様の健康がとたんに心配になる。
「…………イヴェット妃から話を聞いて、慌ててフルールを探しに出たのに、全然見つからなかったんだよ」
「それは、私が見当違いのところをグルグルしていたからですわね!」
「……うん」
ガクッとリシャール様が肩を落とす。
「申し訳なかったですわ……誰に話しかけても皆、忙しかったのか慌てていらしたので」
「うん……まあ、それが普通の人の反応だよね、仕方ない…………笑顔で人を引き摺って歩いていたらさ……普通は…………関わりたくない。通報一択だよ」
「だって、犯人のメイドに手を離して逃げられたら困りますもの、暴れていましたし」
「うん……それも間違ってはいない……」
リシャール様の肩がますます沈んでいく。
その横でアンセルム殿下が深刻そうな表情で口を開いた。
「……満面の笑顔の美女が人を引き摺りながら王宮内を闊歩している、危険、怖くて近寄れない───……そんな目撃情報を聞く度に、リシャール殿が夫人に違いないと言うから追いかけさせたのに……」
「まあ!」
「そなたはどんどんどんどん移動するから全然見つからず……ただただ目撃情報が増えるばかり!」
アンセルム殿下の顔がピクピク引き攣っている。
「あー……」
「しかも、そなたはかなり足が早い」
「ふふ、ありがとうございます、自慢の足ですの!」
これもある意味、追いかけっこですわね?
口には出さないけど内心でそう思った。
お兄様が知ったら他国でも追いかけっこしたのか! と怒るかしら?
(でも、お酒は飲んでいないから平気よね。“あれ”は飲んでしまったけど……)
しかし、久しぶりに飲んだわ……
そう思った私はそっと自分のお腹を押さえる。
「…………ははは。我々がどうすれば……と、頭を悩ませていたら……こうしてケロッとした顔で戻って来た……」
「とってもいい運動になりましたわ!」
「…………ははは。だが、実行犯? のメイドは瀕死だよ……」
アンセルム殿下がチラッとベッドに視線を向ける。
そこには私にたっぷり引き摺られてボロボロになったメイドの姿。
悪い夢でも見ているのか、顔色が悪くずっと「ごめんなさい、ごめんなさい、もう悪いことはしません……」と、魘されている。
(今さら遅いです、自業自得ですわ!)
私はキッと睨みつけておく。
黒幕も含めて絶対に許しません!
「そうそう! それであのメイドを含めた犯人のことですけれど──」
「……フルールさん! 犯人のことも気になるけど、身体は? あなたの身体は大丈夫なの!?」
「え?」
イヴェット様が泣きそうな顔で私に駆け寄る。
「アンセルム様がすぐに調べてくださいました。あのお茶には……かなり強力な即効性の……」
「そうだよ、フルール! 君は一気飲みしてしまったんだろう!?」
「それは私も気になる。何故、そなたはピンピンしていて王宮内を人を引き摺りながら闊歩出来たんだ? 大丈夫なのか!?」
イヴェット様だけでなく、リシャール様も殿下も私のお腹を心配してくれている。
「医者は呼び出したからもうすぐ来るはずなのだが……遅いな」
「え?」
なんと殿下はお医者様まで呼んでくれていたらしい。
(皆、なんて優しいの……でも……)
「ふふ、ご心配ありがとうございます、でも、私は大丈夫ですわ」
「フルール? 本当に?」
怪訝そうなリシャール様に私は笑顔を向ける。
「ええ、旦那様────この私のお腹を甘く見ないでくださいませ!」
私は大きく胸を張ってポンッと自分のお腹を叩いてみせた。
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