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194. 事件
しおりを挟む「騒がしくしてしまって申し訳ございません」
「……イヴェット! なんで君はそんなに冷静なんだ!」
「アンセルム様? 落ち着いてくださいませ」
アンセルム殿下が慌てて部屋を飛び出したので私たちも慌てて追いかけた。
イヴェット様の部屋の前に到着し中に入る。
怪我などしている様子はない。
けれど……
「これが落ち着いてなどいられるか! 君のドレスがズタズタなんだぞ!?」
「ええ、まあ……そうなんですけども」
「イヴェット!?」
イヴェット様の手にはズタズタに切り裂かれたドレスが数着。
見るも無残な状態となったそれを見て殿下は大きく慌てていた。
(……? イヴェット様が随分と冷静だわ)
私は不思議に思う。
これは明らかに異常事態なのに───……
さすがに殿下みたいに慌ててもおかしくないと思うのだけど。
(まさか……)
私はハッとする。
そっと隣に並ぶリシャール様の服の裾を掴んで引っ張った。
「フルール? どうした?」
険しい表情で部屋の様子を見ていたリシャール様が私の顔を覗き込む。
「……もしかしてあのドレス、イヴェット様がご乱心あそばせて自分で引き裂……」
「フルール!? フルールも落ち着いてくれ」
リシャール様が私の両肩をガシッと掴んだ。
「たとえ、あれが彼女のご乱心だったとしても、だ! あんな手で引き裂きにくいものは選ばないと思うよ?」
「え?」
「あんなわざわざ刃物を用意して切り裂くくらいなら、もっと簡単な物に当たるから!」
そう言われて、それもそうね……と思い直す。
「確かに……そういえば私も子どもの頃、よく紙を手で破ってちぎっていましたわ」
「うん?」
「興奮すると不要な紙を与えられて、破ったりちぎったりして発散していましたの」
「それはまた───掃除が大変そうだね」
「ええ……メイドはいつも嘆いておりましたわ」
確かに。
あれをわざわざ刃物で切っていたなら、あまり発散にはならなかったわね、きっと。
「ちなみに、その楽しさに目覚めた私はそのままお父様の書斎に忍び込んで……」
「…………え」
リシャール様の顔が青ざめていく。
「紙がたくさん! と目を輝かせて散り散りにしましたところ……」
「……」
「人の気配に振り返ったら涙目になったお父様と見たことがないくらいに怒った顔のお母様がいましたわ」
「フルール……そ、それは……」
ヒクヒクとリシャール様の顔が引き攣っている。
懐かしいわ。
特にあの時のお母様……とってもとっても怖かった。
確か、散々怒られたこの後、怒りの舞よりも格上の“憤怒の舞”を初めて見た覚えがあるわ。
「罰として一週間のおかわりとおやつの禁止命令と、散り散りにした紙の破片を集めて繋げて貼り付ける作業を言い渡されましたわ」
「そ……それは……なんてキツい」
リシャール様が目を大きく見開いて息を呑む。
私もうんうんと頷く。
「ええ、とてもとても辛い罰でしょう? おかわりとおやつの禁止はとてもとてもとても堪えましたわ……」
「そっち!? フルールの辛かったのはそっち?」
なぜかリシャール様が目を丸くして驚いている。
私は首を傾げた。
「当然ですわ? 死活問題ですもの」
「いや……普通はさ、散り散りになった紙の破片を集めて繋げる方が……辛いと思う、んだけど?」
困惑した表情でリシャール様はそう言う。
「確かにあれは、なかなか根気のいる作業でしたわね。ですが、おかげでパズルが大得意になりましたのよ」
「いや、パズルって……うん……あ!」
「どうしました?」
何かを思い出したように口元を押えるリシャール様。
不思議に思っているとじっと私の目を見つめて来た。
「前に……僕が父親だったあの人──前公爵と対峙した時……」
「した時?」
「報告書の複製を奪われてビリビリに破かれた時だよ」
「ああ、あのお兄様が書いていた……?」
リシャール様がうん、と頷く。
「あの時のフルール、破かれた破片をいくつか拾っただけでアンベール殿が書いた字だって即座に断言していたけど」
「ええ! だって私、お兄様の字が大好きですもの」
「もちろん、それは知っているよ」
それを聞いたリシャール様は小さく笑う。
そして優しく私の頭を撫でた。
「それもあるんだろうけど、あんな破片だけでそれをすぐに理解出来たのはその散り散りパズルの経験があったからなのかなって今、思ったんだ」
なるほど、と私は目を瞬かせた。
私はニコッと笑う。
「つまり、あの時の“おとーさま書斎の書類散り散り事件”は無駄ではなかった、ということですわね?」
「事件に名前ついてた! ところでフルールっていくつ事件を持っているの?」
「数えたことが無いので分かりませんわ!」
「……」
リシャール様もニコッと笑い返してくれた。
そんな昔話でついほのぼのしてしまったけれど、イヴェット様の引き裂かれたドレスは、ほのぼのしている場合ではないと思い直す。
(いったい、誰がこんなことを……)
もしも必要なら、この場で名探偵フルールが登場……
「───アンセルム様、わたくしが落ち着いているのはすでに犯人が分かっているからです」
「え?」
そう思ったけれど、どうやら名探偵フルールは必要なかったらしい。
イヴェット様は部屋の中を見回すと静かに息を吐いた。
「この騒ぎでわたくし付きの使用人がみんな集まっていますけど、朝には居たはずなのに今は姿を見せていない者がおります」
「なんだって!? 誰だ!」
アンセルム殿下が集まった使用人たちに目を向ける。
「おそらく今頃、逃亡しているところでしょう……もっと使用人を雇い入れる場合は審査を厳しくしなくては……今回は甘かったみたいですね」
「くっ……」
イヴェット様が目を伏せながらそう言った。
アンセルム殿下が、悔しそうに唇を噛んだ。
「だが、イヴェット。君のその落ち着きぶり……これは初めてのことではないな?」
「え?」
「犯人が分かったにしても落ち着きすぎだ! 実はずっと嫌がらせを受け───」
目が据わって興奮し始めた殿下をイヴェット様が慌てて止める。
「落ち着いてくださいませアンセルム様! いえ……王宮でのドレスの切り裂きは初めてですけれど……別にわたくしのドレス自体が切り刻まれるのは初めてではありませんし……」
「は? イヴェット? 君は何を言っている?」
「実家───公爵家ではよくあることでしたから」
「……え」
今度は目を丸くする殿下に、落ち着いた様子のイヴェット様は淡々と言う。
「ですが、今のわたくしはもう王太子妃……さすがに無かったことには出来ません」
「イヴェット!?」
二人の会話を聞きながら思う。
ドレスがよく切り刻まれる家ってどんな家?
以前のイヴェット様は、大親友のアニエス様をも超えるほどの恥ずかしがり屋を発揮していた。
そのせいで敵が多かったのかも。
(言動も危なっかしいものばかりだったものね……)
それを思うと今のイヴェット様は別人のように落ち着いている。
「いくら、わたくしのことが気に入らないにしても、さすがにこれはやりすぎですわね」
「イヴェット?」
「せっかく、フルールさんたちが式のために来てくれたと言うのに……」
「待ってくれ……イヴェット。君はこの事件、何か心当たりがあるのか?」
アンセルム殿下に問われたイヴェット様はあっさり答えた。
「アンセルム様。これは───婚約破棄ブームを巻き起こした政略結婚からの愛なんて認めない、真実の愛こそ素晴らしい! を盲信する集団の仕業です」
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