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179. それぞれの戦い ~幼馴染②~
しおりを挟むアニエス様の名を呼んだナタナエル様の声はとても低くて、そして顔付きも真剣なものに変わっていた。
(空気がピリッとした!?)
そこからは、まさに“瞬殺”だった。
観戦者も───いえ、おそらくアニエス様自身も何が起きたか分かっていない───
とにかく、気付いたらアニエス様の腕が沈んでいる。
一瞬の間に勝負がついていた。
「……は? 何で? わたし……」
「……」
驚愕するアニエス様に向かって、ナタナエル様の顔はピリッとしていた空気が嘘のように消えてまたヘラッとした笑顔に戻っていた。
「ほら、アニエスの大事な手をこれ以上、酷使させるわけにはいかないだろう?」
「……ナタナエル?」
ナタナエル様はニコニコした顔のままアニエス様に向かって言う。
「適度に休憩が挟まれていても、ここまで勝ち残るのにはかなり手を使って来たよね?」
「それ、は……」
「令嬢同士の戦いだけだったならそこまで負担じゃないだろうけど、この勝ち残ったメンバーさ……男女共にちょっと普通じゃない気がするから」
ははは、と笑いながら勝ち残った私たちを見回してそう言うナタナエル様。
「ナ、ナタナエルだって勝ち残ったメンバーでしょ!」
「え? 俺は、ただのどこにでもいる普通の騎士だよ?」
きょとんとした顔でそう返すナタナエル様。
「で、でも……今のは!」
「───とにかく」
ナタナエル様は今度はニッと笑う。
「勝ちは勝ち。俺の勝ちだよ、アニエス」
「~~っ」
アニエス様が悔しさで顔を真っ赤にしている。
ナタナエル様はそんな真っ赤になったアニエス様の手を取って優しく握った。
すると、アニエス様の顔がますます真っ赤になる。
「~~~~っ!?」
「アニエス……俺、強くなったでしょ?」
「ししししし知らないっっ!」
照れ屋さん発動で、プイッと顔を背けるアニエス様。
ナタナエル様はそんなアニエス様の顔を見ながらクスリと笑う。
「変わってないなぁ、アニエスは」
「ななななな何の話よ!!」
「……」
ナタナエル様はアニエス様に向かってちょっと意味深に微笑んだ。
(……どこにでもいる普通の騎士?)
あのピリッとした空気と瞬殺する程の腕前が?
「…………旦那様。辺境伯家の騎士って皆様、あんな実力持ちなのでしょうか?」
「いや? そうだったら勝ち残りメンバー全員、辺境伯家の騎士になっていてもおかしくないと思うよ」
「……ですよね」
私たちがお互いの顔を見合せた時だった。
「────ナタナエルは我が家の騎士の中でもトップクラス……若手では一番の実力者なのです」
その声に振り返ると、私たちの後ろにニコレット様が立っていた。
「……若手……一番?」
「そうなんです。ホワホワしていて掴みどころが無いし、弱そうに見えるけれど、色んな意味で最強の騎士と呼ばれています」
「!」
最強……という部分に私の身体がピクッと反応する。
「我が家にやって来た時は、身体も小さくて女の子みたいでしたけどね」
「……さっきのアニエス様との会話!」
「そうですね、話していた通りですよ。ちなみにナタナエル本人はあまり自分が最強と呼ばれている自覚はありません」
「無自覚!」
(あの辺境伯家の騎士たちの中でそう呼ばれるなんて……相当な強者よ!)
しかも、ニコレット様も認めるほどの腕前ですって?
そんなの───競ってみたい……
私の中の闘志がメラメラと燃え上がる。
「……フ、フルール! 落ち着いてメラールになっているよ! まだ早いから」
「はっ!」
リシャール様に指摘されて一旦、メラった心を落ち着かせる。
「失礼しましたわ。つい、“最強”という言葉に惹かれてしまいました!」
「うん、知っている」
リシャール様はクスクス笑った。
「まさか、ナタナエルのよく口にしていた“幼馴染”がアニエス様だったなんて。世の中は狭いですね」
ニコレット様もクスクス笑いながらそう言った。
「よく口にされていたのですか?」
「ええ。照れ屋でツンツンした幼馴染の子がいる、という話を」
「まあ!」
それは間違いなくアニエス様のことだわ!
「ちなみに、前に私が王都に来た時には領地の留守を任せていました」
「留守を……? なるほど。だから見たことない顔だったのですね?」
そして留守を任せられるくらい強い! ということ。
凄いわ! アニエス様の幼馴染!
なんて感激していた所で、ふと思った。
「あの? ニコレット様。ナタナエル様がそれだけお強いとなると、彼をニコレット様の婿になんて話があったりとか───……」
私がニコレット様にそう聞きかけた時だった。
「む! むむむむむむむむむ婿候補だったんですか!?」
え? と思って後ろを振り返ると、真っ青な顔をしたジメ男が震えていた。
ジメ男の様子にニコレット様は怪訝そうな表情を浮かべる。
「モンタニエ弟?」
「か、かかか彼は、師匠の───」
「モンタニエ弟、待っ…………ちょっと落ち着きなさい!」
「っっ!」
暴走気味のジメ男をニコレット様が制止する。
そして、はぁ……とため息を吐いた。
「確かに、一時お父様はそう考えたこともあったみたいだけれど、すぐに話は流れたからそんな話にはなっていません」
「!」
ジメ男の顔がパアッと明るくなる。
尻尾……尻尾の幻覚が見えるわ!
その反応……な、なんて分かりやすいの。
そんなジメ男は一旦置いておくことにして私はニコレット様に訊ねる。
「彼は、“最強”なのにお話が流れてしまったのですか?」
「そうですね。実は……」
(実は?)
ニコレット様は頷く。
そして真剣な顔でこう口にした。
「────私の食指が全く動かなかったのです!」
「食指!」
「ええ、全く……」
「動かなかった!」
「……」
「……」
(───そういう気持ち、分かるわ!)
私も、どんなに顔が整っていても、リシャール様でないと心が動かないもの!
通じるものが合った私たちは無言で見つめ合ったあと、ガシッと固い握手を交わした。
「……えっと、なんでここで二人が握手?」
不思議そうな顔をするリシャール様に私は満面の笑みで答える。
「ニコレット様と私の心と心が通じ合ったからですわ!」
「……心」
そう答えたら、優しく頭を撫でられた。
「フルール。それよりもいいの? パンスロン伯爵令嬢、すごい勢いで彼に噛み付いているけど」
「え?」
リシャール様に言われてアニエス様の様子を見ると、確かにアニエス様は真っ赤な顔のままナタナエル様の胸ぐら掴んで噛み付いていた。
ナタナエル様はそれをニコニコしながら嬉しそうに聞いている。
(うん、あれなら大丈夫!)
「───問題ありませんわ! 戦いを終えてもやっぱり二人は仲良しのようです!」
「フルール……」
リシャール様はそう言い切る私を見て苦笑した。
そして、いよいよ5番のクジを引いたニコレット様とジメ男の戦いの番となった。
「……し、し、師匠! よろしくお願いします!」
またしても尻尾の幻覚が見えそうなほどの面持ちで、ジメ男がニコレット様に挨拶する。
ニコレット様はそんなジメ男を見てクスッと笑った。
「モンタニエ弟、顔が硬いわ?」
「そそそそそうですか!?」
「緊張?」
「そそそそそうです!」
「大丈夫?」
「だだだだだ大丈夫です!」
(ジメ男ーー!)
言葉とは裏腹に全然、大丈夫そうには見えないジメ男に向かって私は心の中で叫んだ。
そんなガッチガチに固まったジメ男の姿を見て、申し訳ないけれどこの場の誰もが思った。
───ああ、これはもうニコレット嬢の勝ちだろう。
あの子犬には無理だ、間違いなく瞬殺される……と。
しかし、そんな二人の勝負は────……
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