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108. 魔性の女
しおりを挟む侯爵はそう叫びながらガタンッと勢いよく立ち上がった。
(──妖しい微笑み?)
クスッと笑ってしまっただけなのに?
これは……もしかして……
「リシャール様、リシャール様!!」
私は興奮気味に横にいるリシャール様の服の袖をグイグイ引っ張った。
「フルール、大丈夫か? って……えっと、侯爵が怒鳴りながら君を睨んでいるのに……な、何で目がそんなにキラキラ輝いているんだ?」
「だって!」
私の興奮は止まらない。
「今の私はクスッと笑っただけなのに、なんと! 妖しい微笑みだと言われましたわ!」
「え? う、うん……? それ、よ、喜ぶところ?」
リシャール様が明らかに戸惑っている。
「はい! ……これはまるで私が魔性の女になったみたいではありませんか!」
「えっ!?」
ますますリシャール様の目が戸惑っている。
上手く伝えたいのに!
「ま、魔性の女……!?」
「そうですわ。あの魔性の女、エリーズ嬢が涙一つでのし上がったように、私はこの微笑み一つでのし上がっ……」
「フルーール!! ───お前はいったいどこにのし上がるつもりなんだ! いいから戻って来い!!」
(あら?)
慌てて横から入ってきたお兄様に止められて私の妄想がピタッと止まる。
(確かに……魔性の女になって、どこにのし上がればいいの?)
「……失礼しましたわ。ついつい興奮してしまいました」
「どうせ、また最近読んだドロドロ恋愛小説の影響かなにかなんだろう?」
呆れた声でそう指摘するお兄様。
さすがだわ。何でも私のことはお見通しなのね。
「いいか、フルール。あの侯爵は単純にフルールが怖くて怯えているだけだから気にするな」
「はあ、怖くて怯えている……」
確かにそんな表情だったけれど。
「そういう時は、どんな笑顔を向けられても妖しく見えるんだよ。そういうものなんだ。いいな?」
「つまり……錯覚、思い込みということですわね? ……分かりましたわ。残念ながら私は魔性の女ではなかったのですね?」
「そうだ。色々と危険だから、フルールを魔性の女にはさせるわけにはいかない。分かってくれ」
(危険……)
お兄様は大真面目な顔でそう言った。
リシャール様とオリアンヌお姉様は、そんな私たちのやり取りをポカンとした顔で見ていた。
一方、その頃の侯爵は……
「な、なぜだ……なぜ、ここで小娘がしゃしゃり出てくるのだ……」
ぐぁぁぁぁ、と侯爵が頭を抱えて唸り声をあげている。
「ち、父上……!」
「──うるさい!」
ペラペラ男がどうにか必死に宥めようとするけれど、侯爵はその手を振り払ってしまう。
そして再び、侯爵は私を睨む。
「こ、小娘のくせに余計なことをしおって……!」
「───セルペット侯爵! 着席してください。それから傍聴席に向けて怒鳴らないでください! 貴方はいったい何をしているのですか!?」
「うるさい! 小娘……そこの小娘が……! 破滅を呼ぶ小娘がぁぁ!」
裁判官の静止の声すらも跳ね除けてしまうほど興奮している侯爵。
この瞬間、この場にいる皆の心の中は一つになった。
────セルペット侯爵家は終わりだ、と。
「───まさか、法廷でまたしても口から泡を吹いて倒れる人を見ることになるなんて思いませんでしたわ! よくあることなのかしら?」
「……フルールよ」
「どうしました? お兄様!」
法廷から邸に帰るための馬車の中。
興奮気味にそう語る私の肩にお兄様がポンッと手を置いて言う。
「そんなわけないだろう! この短期間に二度! 皆びっくりだよ……」
あの場で大興奮していた侯爵は、どこかの誰かみたいに泡を吹いて倒れてしまった。
おかげでニコレット様の裁判は判決までには至らず……
判決は後日ということになった。
「ま、結果はもう誰もが分かっていることだけれど、判決は侯爵にもしっかり聞いてもらわないと後々何を言い出すか分からないからなー……」
「ふふふ、それにしても当主が法廷で泡を吹いて倒れるなんて……侯爵家はますます大変ね。この先も楽しみだわ」
リシャール様、お姉様の順でそう語る。
特にお姉様の目は冷ややかだ。
「───それより、あの侯爵の発言のせいでまた世間でのフルールの呼び名が増えそうだ」
「……お兄様?」
お兄様が深いため息を吐く。
「俺の妹は、これからもどこまで突っ走っていくのやら……」
「走る? ……あ! 走り込みのことです? それなら、もちろんこれからも続けますわよ?」
私が胸を張って答えると、三人は顔を見合せてなぜか笑い出した。
────
「リシャール様、お疲れ様ですわ」
「フルール!」
裁判の日から数日が経った。
あれから侯爵は意識こそ戻ったものの、毎晩、悪夢に魘されているとかでめっきり姿を見せない。
フルールとシャンボン伯爵家は禁句なのだとか。
ペラペラ男も浮気の暴露によりどこに行っても後ろ指をさされるので完全に屋敷にこもって出て来ない。
けれど、判決は近く言い渡される───
(判決が出たらニコレット様は領地に帰ってしまうのが寂しいわね……)
さすがに今後は辺境伯領まで鍛錬しに行くわけにはいかないので、今のうちにたくさん教えを乞いて鍛えておこうと思っているわ。
(──目指せ、カップを粉砕出来るくらいの力!)
リシャール様はますます忙しそうで、相変わらず私がこうして会いに来ては休憩がてら一緒の時間を過ごす。
(多分、忙しいのは国王陛下の進退の件だと思うのよね)
退位は決まっているのに後継が決まらない。
「色々と揉めたけど一旦、王位は王弟殿下が引き継ぐことになりそうだ」
「まあ!」
「でも、すぐに辞めたいらしい」
「まあ……」
よっぽどお嫌なのね……
私が苦笑いしているとリシャール様が口元に手を当てて小さな声で言う。
「だからこれはまだ秘密だけど……王弟殿下の即位は対外的なもので───実際はフルールが言ったように王政廃止がこれから進むと思う」
「!」
「本当にフルールの妄想が指し示した通りになるかもしれないよ?」
「ふふ……そうなると、私の想像力は素晴らしいということなりますわね!!」
私がふふんと得意気に笑ってみせると、リシャール様も笑った。
そして、そのまま私を抱き寄せると耳元で囁いた。
「───なら、そんなフルールさんの想像力によると僕たちの未来はどうなるのかな?」
「そんなの決まっています! もちろん、幸せに決まっていますわ!!」
「フルール!」
笑顔で答えたら破顔したリシャール様にギューーッと強く抱きしめられる。
リシャール様が忙しいので、結婚はどんどん延びそうだけど、そろそろ私も次期モンタニエ公爵夫人としての勉強が本格的に始まる。
「私も頑張りますわ!!」
「フルール……」
リシャール様がチュッと私の額にキスをする。
そして、互いの顔を見合せて今度は唇に────
その時だった。
部屋のドアがコンコンとノックされたので、私たちは慌てて離れた。
「……っ!」
「だ、誰だ……? 休憩中は邪魔しないようにと言ってあるのに」
リシャール様が少し黒いオーラを纏わせながら扉に向かった。
「……申し訳ございません。二人の時間を邪魔してはいけないと分かっていたのですが」
「…………それで? 愛しい婚約者との時間だと知ってやって来たなら急用なのだろう?」
部屋を訪ねてきたのは国王陛下の側近の一人。
この方がここに来るということは───……
「お察しの通り……国王陛下が、お二人のことを呼んでおります」
「!」
(なんの用かしら? ───慰謝料は返さないわよ!?)
内心で闘志を燃やす私とリシャール様は顔を見合せた。
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