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86. 信じるということ
しおりを挟む「……は? 何を言っている……んだ?」
「周りをよくご覧になられた方がいいかと思います」
「周り!?」
「ええ。今、殿下が皆様にどのような目で見られているのか───」
はっとした貧弱しなしな王太子はガバッと顔を上げて辺りを見回した。
今、貧弱しなしな王太子に向けられている視線は当然ながら冷たい目ばかり。
そこに、尊敬や敬いと言った視線はない。
(ここまで萎びれてしまったんだもの。威厳なんてないわよね)
そもそも最初からあったのかも知らないけれど。
「……っ!」
そこでようやく自分が今、どんな目で見られていることに気付いたのか、顔がどんどん青くなっていく。
「なぜ……そんな目で見る、のだ」
「真実の愛などと言って堂々と浮気宣言をしてわざわざお姉様を辱め、人の話も聞かずに問答無用で暴力をふるう方のどこを敬えと言うのか……私には分かりませんわ」
「……」
ガクッと項垂れる貧弱しなしな王太子。
「そもそもですけど、殿下はお姉様をあんな形で捨てた時点で王太子としての資格は失っていたと思うのですけど?」
「なっ!? 何を勝手なこと──……」
「だって!」
私は声を張り上げる。
「人を悪役に仕立てあげて自分の幸せを得ることしか考えられなくなった殿下なんかに、私たち国民の幸せを考えられるはずないじゃないですか!」
「……!」
貧弱しなしな王太子の目が大きく見開かれる。
「そもそも! そんなにそこの男爵令嬢との“真実の愛”を信じて貫きたかったなら、どうしてまずお姉様……オリアンヌ様とじっくり向き合って話をしなかったのですか!」
「うっ……そ、れは……」
私の言葉に答えられずにウジウジし始める貧弱しなしな王太子。
「自分の非でお姉様と婚約解消したら、王太子のままではいられないことを分かっていたからでしょう?」
「!」
ビクッと肩を震わせたので図星だと思う。
自分のために宛てがわれた優秀な婚約者───それを自ら捨てて別の女性を選ぶ。
それは王位継承を放棄するにも等しい行動。
妹、シルヴェーヌ王女のやらかしを知らなかったヴァンサン殿下は、自分の他にも王位継承権を持つ妹がいると思っていたので危機感を覚えた。
だって妹の婚約者のリシャール様も優秀な人──つまり、自分が王太子でなくなっても誰も困らない。
だから、相手に……オリアンヌ様に非がある婚約破棄にしなければならなかった。
「それに、真実の愛って相手への思いやりから生まれるものですわよね?」
「え……?」
「そんな打算まみれの計算していた時点で、残念ながら真実の愛なんかじゃなかったんですよ」
私はチラッとエリーズ嬢に視線を向ける。
彼女は本性を暴露されてからずっとその場で力無くうずくまっている。
追い詰められている殿下を助けよう……彼女からそんな意思は全く感じない。
「──たとえば、こういう時にも自分のことを信じ続けてくれて味方でいてくれる……そんな人が真実の愛の相手と言えるのではありません?」
「……!」
私はキョロッと周囲を見渡す。
誰も動かない。
陛下たちはまだ姿を見せていないからともかくとして、リシャール様以外の殿下の世話係の人たちにも目を逸らされる───……
「エリーズ様だけでなく、殿下のために動いてくれる様子を見せる人は誰もいませんね」
「……っっ」
悔しそうに唇を噛んだ貧弱しなしな王太子は、最後の気力を振り絞って私を睨みつけた。
「そ、それなら珍妙娘! 貴様だったらどうなんだ!」
「はい?」
「貴様がこのような立場になった時、自分を信じ続けて味方となり助けてくれる者はいるのか!?」
「もちろん、いますわ!」
私は即答し、しっかり胸を張る。
「リシャール様はもちろん、お父様もお母様もお兄様もお姉様も……大親友のアニエス様もそのお友達の皆様も……」
私がそう口にした時、会場の中から「……んぇっ!?」とアニエス様の声が聞こえた気がした。
人に紛れてしまってはっきりアニエス様の姿は見えないけれど、声のした方向に軽く微笑んでから続ける。
「皆、味方となってくれますわ!」
「な……」
貧弱しなしな王太子の顔が引き攣る。
しかし、すぐにプッと鼻で笑ったあと高らかに笑いだした。
「さすが珍妙娘! おめでたい頭だな! 貴様は何を根拠にそんなことを言えるんだ!」
「そんなの決まっています。私が皆のことを信じているからですわ!」
「……は?」
私は動きが止まった貧弱しなしな王太子に向けてきっぱりはっきり言う。
「自分が信じてもいないのに、相手から信じてもらえるはずがないじゃないですか。だから、まずは私が皆のことを信じているんです」
「……騙されたり裏切られたりしていたらどうする!」
「そういえば、ベルトラン様は私を裏切ってましたわね」
私は思い出しながらクスッと笑う。
「ベルトラン様があんなにも阿呆でおバカな方だったことを三年間も見抜けなかったことは確かにショックでしたわ」
「……は? それだけ……? 裏切られた経験があるのになぜ笑える……!?」
貧弱しなしな王太子が驚愕の表情で私を見てくる。
「だって、人を疑って生きるよりも信じて生きる方が人生明るいじゃないですか」
「!」
「もちろん、騙されたり裏切られたりすることが無いとは言いませんよ。特にベルトラン様の件は私の見る目が足りなかったという意味ではとても勉強になりましたわ!」
「勉強……」
呆けた顔でそう呟いている貧弱しなしな王太子に向けて私は拳を見せる。
「──それに、私はその時が来たらきちんと戦うので!」
「っ!? た、戦う……?」
ギョッとした顔をして、おそるおそる訊ねて来たので私はにっこり笑顔を向ける。
「当然ですわ! 泣き寝入り? まさか、そんなことはしません。そうしてシルヴェーヌ王女殿下からもベルトラン様からも慰謝料をがっぽ……コホッ……しっかり支払って頂きましたわ!」
「……!」
「と、いうことですので────」
(あら? 殿下の顔色が……)
何だかさらに悪くなっていく。
顔面蒼白になり、ガクガク肩を震わせる貧弱しなしな王太子に私はもう一度、紙を突きつける。
「こちらの金額、きっちり払ってくださいますわよね?」
「……あ、うぁ、うぅ……分かっ………………た」
ようやく観念したらしい貧弱しなしな王太子が小さく頷く。
その様子に会場中が息を呑んだ。
(頷いたわ!)
王女殿下の時は証人が少なかったから誓約書を書いてもらったけれど、貧弱しなしな王太子の場合はこの場にいる大勢の人たちも証人になってくれるわ!
それでも、後々何を言ってくるかは分からないから、やっぱり誓約書は必要よね───
そう思った時、バーンと会場の扉が勢いよく開く。
「───っ! ヴァンサン……!」
「陛下! ヴァンサンが膝をついていますわ。あれはまさに敗北の証……」
「お、遅かったか……」
“その人たち”の登場に会場中が騒然となる。
そう。
たった今、この場に遅れて現れたのは国王陛下と王妃様───
膝を折った貧弱しなしな王太子の様子で状況を察したのか、二人は私の顔を見て盛大に顔を引き攣らせた。
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