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63. もう一つの婚約破棄
しおりを挟むその日、私の顔を見るために我が家にやって来たリシャール様は言った。
「───王太子殿下が帰国される?」
「そうなんだ」
先日行われたダンスパーティーで、新モンタニエ公爵として正式にお披露目となったリシャール様は、前公爵のせいでボロボロになった公爵家を立て直すために奮闘中。
寂しいけれど、住まいも我が家から公爵家に戻ったので別々に過ごすようになった。
そのため、リシャール様は頻繁に我が家に顔を出してくれている。
そんな中で本日聞いた話は、留学中の王太子殿下が帰国するという話だった。
処分待ちの悪役王女シルヴェーヌ殿下の兄でもある王太子殿下は、現在ご自分の婚約者と他国に留学されている。
でも、私はあれ? と首を傾げる。
「確か、聞いた話ですけど、殿下の留学期間はまだまだ日があったような気がしますわ」
「うん……そのはずだったんだけど」
リシャール様はそこで言葉を濁す。
何だか苦虫を噛み潰したような表情をしている。
私はそこでピンッと来た。
「まさか───真実の愛」
「え!?」
私がポソッと呟いた言葉にリシャール様が大きく反応した。
「王太子殿下も妹と同じように留学先で真実の愛などと抜かして浮気したのでは……?」
「え! フ、フルール……」
「それで、一緒に留学している婚約者の令嬢に婚約破棄を突きつけて……」
「フ、フルール……」
「でも、それが色々と大問題になりそうなので急遽帰国させ───」
「フルール……!」
リシャール様にガシッと両肩を掴まれて止められた。
その美しくて真剣な顔に今日も私の胸はキュンとする。
「フルール、念の為に聞くけれど……今の話は」
「え? 単なる私の想像ですわ」
「そ、想像……」
目をパチパチさせたリシャール様がそうか……と考え込んだ。
その悩ましい顔も素敵。
私はそんなリシャール様の顔にうっとり見惚れる。
「……いや、待てよ? そんな想像が出来るということは、フルールは王太子殿下やその婚約者の令嬢とは面識が……」
「いいえ、全くありませんわ!」
私は堂々と答える。
「えっと、ない……の?」
「はい!」
だって、あんなことが起きるまで王女殿下ともまともに顔を合わせたことのなかった私が、更に上の王太子殿下との面識があるはずがないわ。
そして、王太子殿下の婚約者である令嬢は───
「王太子殿下の婚約者でもあるオリアンヌ・セルペット侯爵令嬢は“病弱”と言われていて、昔からあまり表に出て来ていなかった方ですし」
なので私と彼女もほとんど馴染みがない。
とても美人で綺麗な方なので顔は知っている、その程度。
「……本当に本当に全部、想像しただけ?」
「ええ!」
「凄いな。分かっていたけど、フルールの想像力はかなり豊かだ」
「ええ! これはもう自慢の想像力でしてよ!」
どーんと胸を張る。
「……そして、それがまた恐ろしいくらいに鋭すぎる……」
「ええ! なんと言っても私は野生の勘の持ち主ですから───って、え?」
(鋭い?)
私はリシャール様の顔をじっと見る。
じっと見つめられたリシャール様は苦笑しながら言った。
「そのまさか、な話でさ……フルールの言った通りなんだよね」
「私の……言った通り?」
リシャール様は遠い目をした。
そして、ハァと息を吐く。
「そう。王太子殿下は留学先で、まさに“真実の愛”を見つけちゃったらしいんだ」
「出たわね、真実の愛! ん? ……っということは?」
「……」
リシャール様はそこで一旦黙る。
そしてまたまた大きなため息と共に言った。
「僕らがこっちで、王女殿下の真実の愛に振り回されている頃、王太子殿下も留学先で真実の愛を持ち出して人を振り回していたみたいなんだよ」
「なっ!?」
これには、さすがの私もびっくりして声を失う。
「では、王太子殿下はオリアンヌ様に婚約破棄を突きつけちゃったのですか?」
「らしいよ……」
私は大きなショックを受ける。
「───あ、あんなに美人なのに、王太子殿下はなんて勿体ないことを! 阿呆ですの!?」
「フ、フルール? 落ち着いて? 今、問題にすべきはそこじゃない、かな」
興奮する私をリシャール様が苦笑いしながら宥めてくる。
「……し、失礼しましたわ」
いけない。
つい本音が漏れてしまったわ。
オリアンヌ・セルペット侯爵令嬢はとても綺麗な方だから……
「えっと、それで婚約破棄を言い渡されたセルペット侯爵令嬢は悪役令嬢と呼ばわりされたとも聞いたよ」
「まあ!」
(あ、悪役令嬢ですって!?)
「…………な、なんてそっくりな王子と王女なんですの!?」
「だよね。その話を聞いて僕も驚いた」
「……」
(なんてこと……私、勝手に王太子殿下は王女殿下と違って優秀な方だと思い込んでいたわ)
でも、違ったのかもしれない。
リシャール様が王女殿下の婚約者だった頃に受けていた教育の数々。
万が一のことを考えて厳しい教育を施して便宜上、王配教育と呼んでいたと聞いたけれど……
(もしかして割と本気で王配にする可能性を秘めていたのでは……?)
「リシャール様! 我が国の王家は阿呆しかおりませんの!?」
「フルール……たとえ事実でもそんなはっきり……」
王太子も王女も……一体どれだけ浮かれた頭をしているんですの!
「いいえ、言わせてもらいます! 王家は阿呆の阿呆ですわ!」
私の興奮は止まらない。
「誰がなんと言おうとも、リシャール様は絶対にあげませんわよ? 私のリシャール様なのですから!」
「えっと、フルール? な、何の話……?」
「何の話? もちろんリシャール様の話ですわ!!」
「え……いや、うん。だから……」
───リシャール様は後に語る。
暴走した私をいつもビシッと止めることの出来るアンベール殿はやはり偉大なのだと。
────
一通り興奮し終えた私は、ようやく落ち着きを取り戻し、リシャール様から続きを聞く。
「どうやら、こっちでのシルヴェーヌ王女殿下のゴタゴタで完全に情報収集が遅れたらしいんだ」
「……それで王太子殿下は、弾けちゃって好きにやらかしてしまったのですね?」
とにかくタイミングが最悪。
「うん。それでようやく状況を知った陛下たちは慌てて殿下を呼び戻すことにした。けど……」
「けど?」
この言い方はまだ、何かある。
「殿下が真実の愛の相手である彼女も一緒じゃなきゃ帰らないとか言い出したみたいで」
「え!」
私は頭を押さえた。
何それ! すごく嫌な予感がするわ。
「とりあえず、放置も出来ないうえに婚約破棄を言い渡しちゃったから、その真実の愛の相手とやらの彼女が王太子妃に相応しいかを確認したくて結局、三人で帰国させることにしたらしい」
「──地獄!」
私は思わず悲鳴をあげた。
「それだけじゃないんだ。困ったことに僕は殿下が帰国したら……」
「……お目付け役でも命ぜられましたの?」
リシャール様はしゅんと落ち込んだ顔で私を抱きしめる。
「公爵家をさっさと立て直して、フルールを迎えるはずだったのに余計な仕事が増えた……」
「リシャール様」
「また、真実の愛に振り回されるなんて思わなかった」
私はポンポンと背中を叩いてリシャール様を慰める。
「今、この国で真実の愛を語るなんて笑いものにされるというのに……なんとも間抜けな王太子殿下ですわね」
「フルール……」
「大丈夫です。リシャール様がお忙しいなら、私の方から会いに行きますわ!」
────この時の私はまだ知らない。
この、実はもう一つ裏で巻き起こっていたらしい王太子殿下の婚約破棄が、これから私のお兄様まで巻き込んでゴタゴタを引き起こすことを────……
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