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14. いつか元気になったら
しおりを挟む近い!
麗しのお顔が間近に迫って来る!!
「……」
子守唄……確かに約束をした、わ。
でも、今の私はリシャール様の前で平静に歌えるかしら……
そんな危惧をした時だった。
「───ちょっと待て! 子守唄だと!?」
突然、お兄様の鋭い声が間に入って来る。
「駄目だ。愛の告白は微笑ましい気持ちで見守ることが出来ても、これだけは聞き捨てならないぞ!」
「え?」
お兄様の怒涛の勢いとその言葉に、ガチガチに固まっていた声も無事に出て来る。
「フルール! まさかお前、リシャール様にあの子守唄を歌うと言ってしまったのか!?」
「そうですわ?」
コクコクと私は頷きながら答える。
お兄様の発言は、妙に“だけ”とか“あの”が強調されていた気がしたけれど、子守唄と言うのはあれしかない。
「お、お前! ……なんて約束をしてしまったんだ!」
まるでこの世の終わりかのような顔をするお兄様。
その表情はまさに絶望……
「───ど、どうしてです!? 皆、あんなにもぐっすり眠って」
「フルール! お前の目にはあれが……俺たちのあれがぐっすり眠っていたように見えていたのか!」
「だって、揺すっても頬をつねっても顔に落書きしても起きませんでしたわ!」
私の反論にお兄様が、うっ……と顔をしかめる。
「くっ……あの落書き! よりにもよって落ちにくいインクを使った……あれ」
「あれは……あれは、さすがに申し訳なかったと思っていますわ」
そう。すぐに水で落ちるインクを使ったはずが、なんと真逆の落ちにくいインクを使ってしまった。
まだ子供だったので見間違えて手に取ってしまったのが原因なのだけど。
「それなのに……よりにもよって、あの時のお前が俺の頬に書いた言葉が……」
「“おにーさま、大スキ”でしたわ!!」
「くっ」
お兄様はその時のことを思い出したのか、恥ずかしそうに両手で顔を覆う。
「…………可愛さと腹立たしさと恥ずかしさと嬉しさとで……俺の感情は完全に迷子になった……」
「え、えっと? ごめんなさい……?」
もちろんたっぷり怒られて反省したので、落書きまで披露したのは後にも先にもこの時だけ。
「……いいなぁ」
その時、リシャール様がポソッとそう呟いた。
「リシャール様?」
「いや、仲の良い兄妹だとは思っていたけど……何だかいいなぁ、と思って」
「……」
リシャール様はそう言って遠い目をした。
確かリシャール様にはあまり似ていないという噂の弟がいたような……
この言い方はあまり弟さんとは仲良くないのかもしれない。
(家庭の事情はそれぞれだから下手なことは言えないわね)
いくら私でもデリケートそうな部分に土足で踏み込んだりはしないわ。
「──うん。僕はフルールになら落書きされてもいいかな」
「……え?」
リシャール様の家庭の事情を思い出して考え込んでいたら思わぬ言葉が降って来た。
びっくりして顔を見ると、リシャール様は自分の頬を指さしてにこっと笑った。
「ここにリシャール、大好き……そう書いてくれてもいいよ?」
「───っ!」
カッと私の顔が赤くなる。
「む、無理ですわ!!」
私は慌てて否定して首を横に振る。
「駄目なのか?」
「か、書けません! そ、その尊いお顔を汚すことなんて私には出来ません!!」
「え? 尊い?」
「…………フルール、そっちなのか」
当然よ!
大きく頷く私にリシャール様は目を丸くしていて、お兄様はどこか呆れていた。
「……よく分からないけど、落書きは置いておくとして子守唄は───」
リシャール様がそう言いかけると、横からお兄様が飛び出して来た。
「だ、駄目だ! いや、駄目です。リシャール様! フルールの音…………コホッ、ど、独特の歌声は怪我人には……えっと、刺激……そう、刺激が強すぎます!」
「刺激?」
「そうです……もしかしたら、け、怪我が悪化する! かもしれません……」
(なんですって!?)
私はお兄様の言葉に驚いた。
確かにこれまでは家族にしか披露してこなかったから……
もちろん、怪我人の前で披露したことなんてないけれど。
どうしてそんなことが分かるの? とは思う。
だけど、お兄様は絶対に譲らないという目をしていた。
(うーん、これは……駄目そうね)
「…………分かりましたわ。今夜は断念します」
「分かってくれたならいい」
「リシャール様もごめんなさい、約束したのに」
申し訳ないと謝ると、何故かリシャール様が笑いを堪えている。
「ふっ……そうか…………や、やっぱり…………んだ」
「リシャール様?」
「い、いや、うん。気にしないでくれ。大丈夫。何だか逆に今夜は色々スッキリしたからゆっくり眠れる気がする」
「そうですか? それなら良いのですが……」
(でも、いつか聞いてもらいたいわ)
リシャール様はそう言ってくれたけれど、いつか元気になったら……と勝手に心の中でのリベンジを誓ってみた。
────
「……お兄様、どうしてリシャール様の愛の告白を微笑ましい気持ちで見守っていたんですの?」
「ん?」
リシャール様が大変元気だということが分かったので安心した私とお兄様は部屋を出た。
そのまま歩き出したところで、私は熱くなった頬を冷ましながらお兄様をじとっと見つめた。
「微笑ましい光景だと思ったからだが?」
「そういうことではありません!」
お兄様が笑いながら誤魔化してくる。
「……分かった、分かった。だって許せないだろう?」
「許せない?」
何が許せないのかしらと疑問に思ったらお兄様は悲しげに目を伏せた。
「ベルトランの奴からどれだけ慰謝料を踏んだくっても、フルールの三年間は戻ってこない」
「え?」
「ましてや、王族を巻き込んでの“婚約破棄”だぞ? こちらに非がないことは証明出来てもフルールの醜聞はどうしたって避けられない」
「……」
なるほど。
お兄様は私の次の縁談の心配をしているのだわ。
「それなのに、浮気したベルトランの奴だけは真実の愛だかなんだかで浮気相手と幸せになるのは……許せない」
「お兄様……」
「だから、そんな事情も分かった上で、フルールに惹かれている、とはっきり口にしてくれたリシャール様が俺は嬉しかったんだよ」
そう言ってお兄様は私の頭に手を置くとそのままワシャワシャと頭を撫でた。
「それに、フルールだって嫌じゃないんだろう?」
「……っ!」
「顔もいいし?」
「……っっ! た、確かにリシャール様のお顔は最高ですけど、こういったことを、か、顔だけで決めるのは失礼です!」
プイッと顔を逸らしてそう言うとお兄様は苦笑した。
「……きっと、こういう所なんだろうなぁ」
「なんの話です?」
「いや? でも、リシャール様のあの性格……フルールに自分の顔が国宝級いされて、めちゃくちゃ好かれていると知ったら、落ち込むどころか最大限に利用して来そうだよな」
「え?」
お兄様はもう一度笑うと、再び私の頭を撫でる。
「俺だってフルールの幸せを願っているんだ」
「お兄様……」
「ちなみに、フルールを動揺させたリシャール様は大変、見所があると俺は思っている」
「もう! なんですかそれ……」
そんなお兄様の言葉に私も苦笑した。
その後、お兄様と別れて自分の部屋に戻りながら考える。
(なんだか、考えなくちゃいけないことがたくさん!)
リシャール様のことは、ゆっくり考えるとして……
まずはベルトラン様との婚約破棄&慰謝料よ!
(モリエール伯爵家はどう出てくるかしらね?)
王族……シルヴェーヌ王女殿下の方への慰謝料請求は、モリエール伯爵家の動きを見てからと決めている。
相手は王族。今の段階で無謀に突っ込んで我が家が潰されてしまっては元も子もない。
(それから、リシャール様への暴行事件……)
「やっぱり偶然とは思えない…………裏にいるのは王女殿下?」
もし、そうなら王女殿下への慰謝料の上乗せは確定ね、と私は決めた。
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