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第9話 初めての気持ち
しおりを挟むそして、翌日。
「いらっしゃいませ───……」
「……」
「っ! ほ、本日もお越し下さりありがとうございます……」
扉の開く音で振り返った私は、再びの“レイさん”の姿に驚き、一瞬声を詰まらせた。
(み、三日連続……?)
そして今日も一番忙しい時間を外しての来店。
奥様の月に一、二回ふらっとやって来る人……という話はどこに行ったのだろうと思いながらも、席に案内をした。
案内を終えて注文を伺うと彼は即答した。
「野菜スープ」
「ほ、本日も……ですか?」
「ああ」
「さ……」
──さすがに飽きませんか?
つい、うっかりそんな事を言いたくなってしまったけれど、彼の食事情に私が口を出す事では無いので慌てて口を噤む。
「野菜スープ……承知しました」
「……飽きないのか? と、聞きたそうな顔をしている」
「ぅえっ!?」
注文を厨房に伝えたあと、配膳の準備をしていた私に彼がそう話しかけて来た。
……飽きないのかと聞きたそうな顔をしている? 私が?
“顔に出ている”という事実が信じられず、変な反応を返してしまった。
(どういう事……?)
「……ここのスープが好きなんだ」
「そ、うでしたか。それはありがとうございます。それは店主も喜びます」
「それに……」
なるほど、“レイさん”はこのスープのファンだったのね! 仲間だわ! と、納得して勝手に脳内でお仲間認定していたら、彼が続けて言う。
「一昨日来た時、以前より更に美味くなっていて驚いた」
「!」
「何か材料を変えたのか、それとも調味料を変えたのか……自分にはよく分からんが以前より、味に深みが出て美味しいと思った」
「……!」
それ、は──……
(……嬉しい)
彼の言うとおり、この野菜スープは、ここ一ヶ月の間に様々な改良を繰り返していた。
そして、店主の旦那様に頼まれて、私はこのスープの改良を手伝っている(主に味見だけど)
以前からずっと改良は重ねていたそうで、あの隠し味もその一つだったらしい。
それならばと私も自分の記憶にある味から、この食材は? とか、こちらの調味料はどうかという話をすることも。
大元の味のペースは変えずに、でも、さらに深みやコクが増すように……時には大きな失敗もしながら、そんな事を考えるのはすごく楽しい。
(詳しい料理の知識も経験もない小娘の私の話を真剣に聞いてくれる店主の旦那様には本当に感謝しかないわ……)
それに、何も持たない私でも誰かの役に立てること。
自分の居場所を見つけたような気持ちになれて、とても嬉しかった。
「……あ!」
自分のそんな過ごしたこの一ヶ月間を思い出していたら、彼が小さく声を上げて驚いた顔で私のことを見る。
(……? 何かしら、この反応……)
「……? えぇと、何か私の顔についていますか?」
「…………い、いや、なんでもない………………そ、想像以上……だった」
「?」
そう言って今度はパッと勢いよく顔を逸らしてしまう。
そんな彼の耳はほんのりだけど赤くなっている気がした。
───
そして、それからも謎の彼……“レイさん”は、何故か頻繁にお店にやって来るようになった。
さすがに毎日ではないものの、だいたい二、三日に一度はお店にやってくる。
(そんなにも野菜スープの虜になってしまったのね……)
ファンがいると思うと、もっともっと美味しいと思ってもらいたい……俄然とやる気が湧いてくる。なので、店主のご主人様も私も張り切って改良を続けた。
そんな穏やかな日々が続き、もう彼がお店に登場する事にも全く驚かなくなった頃。
「お客様、本日は──……」
「……レイ」
「れ?」
いつものように(多分スープだろうけれど)注文を伺おうとした所、突然の言葉に首を傾げる。
「俺の名前だ」
「な、名前ですか? ……レイ……さん?」
私がそう聞き返すと、レイさんはコクリと頷く。
頬がほんのり赤いので、照れているのかもしれない。
「き、君に…………い、いつまでも、“お客様”と呼ばれるのは……な、何だか……その……」
「……」
「と、とにかく! これからは、わ……俺のことを呼ぶ時は“レイ”と呼んでくれ!」
「レイさん」
「!」
間髪入れずにレイさんの名を呼んでみたら「もう呼ぶのか! こ、心の準備が……!」と何故かもっと顔を赤くしていた。
(どうしましょう……こ、好みの顔が照れ? て、真っ赤になっているわ……!)
私は私で、内心では大きく動揺しながら何だか新しい世界の扉が開いてしまいそうな気がしていた。
「お、お待たせしました」
「あ、ありがとう……」
注文のスープをテーブルにまで運ぶと、レイさんはまだ頬が赤かった。
これで温かいスープを飲んだらますます赤くなるのでは? ポカポカね。なんて事を考えながら下がろうとしたら「待ってくれ!」と引き止められた。
「レイさん?」
「き、き、君の……」
「?」
「君……のな……」
レイさんがすごく吃り始めたので心配になってしまう。
困った私は辺りを見回してなにか落ち着けるものはないかと探した。
「あの? 大丈夫ですか? お水飲みます?」
「いや、み、み、水は大丈夫だ……す、すまない」
真っ先に目に入ったお水を勧めてみたけれど、大丈夫らしい。
そして、数回深呼吸を繰り返したレイさんはぐっと顔を引き締めて私の顔を見る。
(まあ!)
なんと、いつもの二倍増しくらいには顔が怖い!
その厳つくなったお顔に私の胸がキュンとする。
「……き、君の名、を……」
「名? 私の名前、ですか?」
ブンブンブンブン……そんな音が聞こえそうな勢いでレイさんは頷く。
「て、て、店主の奥方……にき、君は“リア”と……よ、呼ばれていた……」
「──はい、そうですね。私は“リア”です」
私が頷くとレイさんは、ますます吃りながら言葉を続ける。
「リ、リ、リアさん……とよ、呼んでも……い、いだろうか?」
「え?」
私が首を傾げたので、レイさんはハッとして赤かった顔が今度はどんどん青ざめていく。
「や、やはり……迷惑だった……か。す、すまない。今のは忘れて……くれ」
「!」
(あぁぁ! 厳ついお顔が萎んでいくーーーー!)
明らかに落ち込んで下を向いてしまうレイさんの様子に私は慌てた。
「どどどどうぞ! お好きなように呼んでください……レイさん!」
「!」
レイさんはバッと顔を上げると、嬉しそうな表情になる。私はそのあまりの変わり様に驚いた。
「リ、リアさん……」
「はい。あ、呼び捨てでも構わないですよ?」
私がそう口にすると、レイさんは少し言葉を詰まらせた。
「っ! リ、リア……」
「はい、レイさん」
「リア……」
「レイさん?」
私達はそれから少しの間、「リア」と「レイさん」と何故か互いの名前を呼び続けていた。
そんな私たちを店主夫妻は、厨房から苦笑いしながら見守ってくれていた。
────そんな、初めての照れ臭いという気持ちと、どこか甘酸っぱい気持ちを感じていた私はまだ、知らない。
あの日、捨ててきたはずの家族と王子が、“オフィーリア”の捜索に動き出していた事を────……
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