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16. 君は何者?
しおりを挟む眼鏡……が、顔から落ちた……?
(し、しまったーー!)
「……っ!」
ギュッ!
とにかく顔を見られたくない、見られてはまずいと思った私は目の前の殿下にギュッと抱きついて顔を隠した。
「え!」
「……」
突然私に抱きつかれた殿下が硬直する中、一生懸命考える。
(だ、大丈夫よね? だって一瞬だったもの……)
ギュッ……
私はさらに自分の顔と身体を殿下に押し付ける。
瞳の色と顔立ちはどうすることも出来ない。
けれど、髪色は違うからジュリエッタと顔が似ている? とは思われても印象は違っているはず……!
それに他の人ならともかく、殿下は私と過ごした三ヶ月間、私の顔を見ていないから馴染みもない。
だからそんな簡単には結びつかない……はずよ!
ギュッ、ギュッ……
どうにかバレずに回避することに没頭していた私は無意識に自分の身体を殿下に押し付けていた。
「~~っ! リネット!」
「!?」
(……ん? 抱きしめ返され……た?)
何かに耐え切れなくなったらしい殿下が私の背中に腕を回して身体を抱きしめ返してきた。
そして声を震わせながら私に言う。
「そ、そんなにグイグイ抱きつかれたら……」
「……」
抱きつかれたら……何?
はしたない……いえ、私は身分を持たない平民同然。
頭を撫でたのは不問にしてくれたけれど、さすがに抱きつくのは…………つまり、不敬罪!?
私の頭の中がパニックに陥る。
「……て、照れるだろう……!」
「!?」
(照れ……? そっち!? そっちなの!?)
ますます私の頭の中がパニックに陥る。
「でも、どうしてだろうか」
「?」
「リネットのこの抱き心地……何だか──」
そう言って殿下がまた腕に力を込める。
そして言葉の続きをボソボソと呟いたけれど、私の耳にはよく聞こえなかった。
「……」
(この体勢は、い、色んな意味で危険! だけど顔、顔はセーフだった?)
顔をまじまじと見られてしまうくらいなら、胸のドキドキが凄いけれどこうして顔を見られずに抱きしめられている方がいいような気さえしてくる。
そう思って私も抱きしめ返す。
「……リネット?」
「……」
私たちはしばらく無言で抱きしめ合い、お互いの温もりを感じていた。
(こ、ここからどうしよう……)
私は抱きつきながら考える。
どうにかして落ちた眼鏡を拾わないといけないわ。
殿下が今のジュリエッタに不信感を抱いている時に、私が素顔を晒すわけにはいかない。
しかし───……
「……リネット」
殿下の声が明らかに緊張を孕んでいる。
「……」
「聞いてもいいだろうか?」
「!」
その言葉に胸がドキッと跳ねた。
身体も反応してしまったのできっと動揺が伝わってしまったような気がする。
「すまない……さっき、少しだけ君の眼鏡の奥の顔……素顔を見てしまった」
「っっっ!」
「普段はその眼鏡の厚みで全く分からなかったが……」
嫌な汗が私の背中をつたう。
これ、もうバレてしまったのでは……?
私は自分の顔を殿下の胸に押し付けながらギュッと目を瞑る。
「君の瞳の色はジュリエッタと同じ色だったんだな」
「……!」
「瞳の色のせいだろうか? 顔立ちもどことなく似ていた……ような気がする」
「……!」
一瞬だったけれどしっかり見られていたらしい。
「リネット……君は何者なんだ?」
「──!」
殿下のその言葉がズシッと私の胸の奥に響いた。
✣
「離宮の使用人の仕事の方に戻る? ……えっと、大丈夫なのか?」
「……」
僕の問いかけにリネットは大きく頷いた。
その顔には再びあの眼鏡が掛けられているので、もう表情は分からない。
「分かった……だが、ジュリエッタには近づかないこと。それから彼女の世話は僕が許可を出すまで行かなくていい」
「……」
「それまでは今日の侍女たちを彼女の元には向かわせるから」
「!」
リネットは一瞬戸惑ってはいたようだけれど、小さく頷いてくれた。
そのことにホッとする。
(偽者のジュリエッタにはこっそり監視をつけたから大丈夫だろう。妙な動きを見せればすぐに連絡が来る)
そうして、何度もペコペコお辞儀をしながら仕事に向かうリネットの後ろ姿を見ながら僕は大きな息を吐いた。
(……答えてくれなかったな)
君は何者なんだ?
つい、思ったことを口にしてそんなことを訊ねてしまったが……
リネットは僕の腕の中でそのまま固まってしまった。
そもそも、口の聞けない人に対する質問の仕方ではなかったと反省する。
(だが……もしかして)
そんな気持ちが僕の胸の中に生まれてしまったことは事実だ。
聞き方を変えてもう一度確認しようとしたその時、書斎の扉がノックされた。
「──殿下? 姿が見えませんが書斎ですか?」
クリフの声だった。
そして、僕がクリフに気を取られたその隙に、固まっていたはずのリネットは僕から離れて素早く眼鏡を拾うとそのまま装着。
結果として、もう一度彼女の素顔を確認することは出来なくなった。
そして、リネットはそのまま逃げるように仕事に行ってしまった……
「────従姉妹同士? つまり、リネットはジュリエッタの血縁?」
「そうなります」
クリフが頷きながら僕の手元に資料を置いた。
僕はその資料を手に取り目を通す。
そこにはリネットに関して調べた情報が書かれていた。
「……」
僕を訪ねて来たクリフの用事は、今まさに僕が本人に向かって口にした“リネットは何者か”に対する答えだった。
リネットのことが気になった僕はクリフに彼女について調べるように命じていたが、クリフの仕事は早かった。思っていたより早く情報を持って帰ってきた。
そして、そこに書いてあったのは、リネットとジュリエッタが従姉妹同士であること───
「つまり、リネットは」
「元セルウィン伯爵家の令嬢ということになられますね」
「セルウィン伯爵家……約十年前に当主、奥方が相次いで亡くなり跡継ぎが幼い娘しかおらず没落した……」
「そうです」
僕自身も子どもだったからあまり詳しくは知らない。
ただ、当時の父上が優秀な外交官を亡くしたと嘆いていて、母上も悲しんでいて僕は僕で“いつもピアノを弾いてくれていた夫人”がもう来ないということしか理解出来なかった。
「……」
目の見えなかった三ヶ月。
ジュリエッタにピアノを弾いて貰って思い出したことがある。
あの心地いい音色……あれは子供の頃によく僕にピアノを弾いてくれた人と同じ音色だと。
懐かしい曲だと思うわけだ。
セルウィン伯爵夫人は母上に気に入られてよく王宮にピアノを弾きに来ていた人だ。
(当時、子どもだった僕は彼女のピアノを聞くのが好きだったんだ)
ジュリエッタが伯母の作った曲と言っていた意味がようやく分かった。
「リネットがセルウィン伯爵夫妻の残された娘だったのか……」
「母親の姉妹であるメイウェザー子爵家に引き取られたようです」
「母親同士は双子──」
(だから、か)
疑問だった謎が一つ解けた気がする。
リネットのあの眼鏡。
視力が悪いにしてもレンズが異様に厚すぎる!
今時、あんな表情が分からなくなるような眼鏡をしている人は他にはいない。
年頃の女性がなぜ? と、少し不思議だったが……
(あの性格の悪そうなジュリエッタが、リネットの自分と似ている顔を嫌がって付けさせていたのではないか?)
それだけで、子爵家に引き取られたリネットが子爵家でどんな扱いを受けてきたのか分かる気がする。
そして、眼鏡を落としたときのあの怯え方───
きっと誰かに素顔を見せたら……などと脅されていたのかもしれない。
(だからあんなに……)
ギュッと何度も抱きつかれて思わず照れてしまった。
そして、リネットの抱き心地はなんだか懐かしくて……とても気持ちよくて……このまま僕の腕の中に閉じ込めてしまいたい……そう思ってしまった。
(このリネットへ抱く気持ちは……そして、懐かしい……?)
「え? まさか……」
「殿下? どうされました?」
変な声を上げて口元を押さえる僕をクリフが怪訝そうに見ている。
だが、そんなクリフに答える余裕が今はない。
そうだ……
あの侍女の代わりをさせた女騎士たち、彼女たちも何かを言いかけていた。
もしかして──と。
(まさか……僕の探している本当の恩人のジュリエッタは───……)
この瞬間、僕の中で一つの仮説が思い浮かんだ。
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