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8. 身代わり生活

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 ───こうして、ジュリエッタに扮した私の身代わり生活が開始。

 私に与えられた仕事は殿下のお世話係という名目だけど、身の回りのお世話……と言うよりも話し相手としての意味合いが強い。
 それだけだと気が引けたので、使用人の仕事も手伝えることはなるべく手伝うようにして過ごすことにした。
 クリフさんは「そこまでしなくても……」と言ったけれど、少々強引に押し切った。


 そして、殿下は私が思っていたより元気だった。
 話していても黙り込んで無言になってしまうことは多々あれど、根気よく声をかけ続ければきちんと答えてくれる。
 表情が分からないから絶対とは言えないけれど、特に私の弾くピアノが好きなようで、弾いてくれとリクエストされることが多い。
 しっかりよく見ていれば分かりやすい所もある方だった。

 けれど一つ問題が。
 食事の時間になると殿下はたちまち元気がなくなり、そして殆ど手を付けようとしない……ということに気付いた。



「───殿下、お待たせしました!  本日の昼食です」
「……」

 配膳係の人に代わってもらって今日は私が食事を殿下の元へ運ぶ。
 そんな私の声に殿下は反応を示したものの、やはり元気がない。
 その様子を見て思った。

(……不安そう)

 見えない殿下のために料理は食べやすいように工夫もされている。
 必ず介助の人間もそばに付いている。
 でも……
 不安は消えない。
 だって殿下は説明を受けないと目の前の食事が何なのか分からない。
 もし、介助者に嘘をつかれたら?
 最悪、見えないところで食事に何か混ぜられたら──?

(離宮で過ごしているのもこれが理由の一つなのでしょうね)

 新しい人間を雇うのに躊躇するのも当然だ。


「……?  なぜ、君が?」
「殿下に信頼して貰わなくては、と思いまして!」

 私がそう答えると動揺したのか殿下の身体が少し揺れた。

「べ……別に君や料理人を信頼していないわけでは……ない」
「……殿下」

 まだ、数日しか共に過ごしていない私にそう言ってくれるのは有難いけれど、もう少し安心して食事を摂ってもらいたい。
 そんな風に思ってしまう。

「……では、殿下。お皿の上のこの料理。いつもなら事細かに説明を受けていると思うのですが」
「?」
「それで、嫌いな食べ物はきちんと避けているという話も聞いていますが」
「……ぐっ」

 その話を聞いてその辺りはちゃっかりしているわね、と思った。

「スープなどの汁物は危険なので除きますが、今日はこのお皿の中身の具体的な説明はしません。そして私が食べさせますので、これがなんの食材でなんの料理なのか当ててみてください」
「は?」
「スリルがあって楽しい……かもしれませんわ。あ、ですが嫌いなものが当たってハズレても我慢してくださいね」
「おい……!  かもってなんだ!  かもって!」

 元々、偏食気味で、目が見えなくなってから食事の量はぐんっと減っていると言うし……
 もう少し食べてくれないと元気が出ないと思う。
 だからいつもお疲れなのよ!

「では、まずはこちらから……」
「……おい?  強引だな!?」
「もちろん、嫌だったらすぐにやめますよ。とりあえずものは試しです!  はい、口を開けてくださいませ?」

 私はスプーンに食材を乗せて殿下の口元へと運ぶ。

「待ってくれ……不安しかないんだが」
「ですわね。それでは簡単にヒントを。野菜ですわ」
「……野菜」

 殿下の声のトーンが明らかに落ちた。

「好き嫌いは良くないですわよ、はい、あーん」
「~~~っっ」

 根負けした殿下が渋々口を開けた。

「……ん?  これは……人参?  だが……」

 どうにか飲み込んだ殿下か首を捻りながら答える。

「正解ですわ!  人参のグラッセです」
「……不思議だな。いつもよりバターの風味を強く感じるような気がする」
「なにを食べているのか分からないので、いつもより舌が敏感になっているのかもしれませんね?」
「……人参は好きではなかった……が不思議と美味しく感じる」

 殿下は小さな声でポツリと呟いた。

「料理人も殿下のために色々と工夫をされているんですよ。と、いうわけで次に行きましょう!  さぁ、口を開けて下さいませ!」
「……」
「!」

 今度の殿下は素直に口を開けてくれたので、思わず顔が笑ってしまった。


 そして、それからも私たちの戦い(?)は白熱し……

「……待て待て待て待て!  今、君がその手に持っているのは……なんだ?  に、匂いが」
「ふふふ、鼻も敏感になっているようですわね?  さて、なんでしょう?」
「なんでしょう?  ヒント……ヒントはどうした!」
「ここは、いっそのことノーヒントでいきますわ、はい、あーん……」
「くっ……」

 こんなことを繰り返していたら気付くと全て完食していた。


 後で聞いた話だけれど、殿下が事故にあって目覚めてから食事を完食したのは初めてのことだったらしい。
 空っぽのお皿を見て料理人は泣いていた。


────



「……君は変わっているな」
「はい?」

 殿下のお世話係になってから一ヶ月程経った頃、今日もピアノを弾いていたら、なんの前触れもなく殿下がそう口にされた。

「……てっきり、あのプロフィールは全て嘘の塊なのだと思ったが……」
「うっ……」

 やっぱりそう思われていた。
 まぁ、当然よね……と納得する。

「クリフからも聞いた。本当に掃除や洗濯が得意そうだ、と」
「…………メイウェザー子爵家はあまり裕福ではありませんから」
「そうか」

 殿下はそのまま黙り込んだ。
 だからといって家事をする令嬢というのは無理があるような気がしたけれど、他にいい理由が思いつかなかったから仕方がない。

《裕福ではない───その割には、教育はしっかりしているようだが?》
「!」

(今日はまた珍しい言語で攻めてくるわね……)

《……子供の頃から、私が興味のあることは何でも学ばせたいという姿勢でしたので》
《なるほど。そうしたら周辺各国の言語はマスターしていた、と》
《……そう、ですね》

 亡くなったお父様は、外交関係の仕事をしていた。
 その関係で伯爵令嬢だった頃は様々な国の言葉を耳にする機会が多く──……

 ──おとうさま!  ことばって面白い!
 ──なに?  リネット!  本当か!?
 ──うん。私もおとうさまみたいに、たくさん話せるようになりたい!

 いつだったか、無邪気にそう口にした私にお父様の中の何かに火がついたようで、そんなに興味があるのならと、色々な国の言葉を教えてくれた。

 先日、殿下はふと“ジュリエッタ”の盛り盛りプロフィールを思い出したようで、試しに隣国の言葉で私に声をかけて来た。
 その時の私が、ついつい自然に返答したことでおや?  と、思ったらしい。
 翌日からは、たまに様々な国の言葉でこうして話しかけてくる。

 ちなみにジュリエッタがどうなのかは知らないけれど、私は書くよりは話す方が好き。
 後々、本物と相違が起きたら困るので言わないけれど。

「古代語も本当にいける?」
「……興味があって学ぶには学んだのですけど……」
「けど?」

 古代語は習得する前に両親がいなくなってしまってそれどころではなくなってしまった。
 メイウェザー子爵家に引き取られてからは、もちろん勉強なんてさせて貰えなかったからそのまま……

「事情があって中途半端になってしまいました」
「……機会があれば学びたいと思っている?」
「それは……そうですね」

 その時は、ふぅん……とだけ反応した殿下だったけれど──



「クリフさん。これは?」
「殿下から頼まれた物です。メイウェザー子爵令嬢に渡すように、と」

 後日、クリフさんから呼び出され渡された物は……

「古代語の研究書と参考書……」
「メイウェザー子爵令嬢が古代語に興味があるようだから、自分の持っていた本を貸してやってくれとのことです」
「!」

 私が驚いているとクリフさんが言った。

「殿下曰く、日頃のお礼だそうですよ」
「……」

 お礼?  でも、これは仕事であって……

「メイウェザー子爵令嬢、あなたが来てから殿下は元気になりました」
「え?」
「食事も面白そうに食べるようになりましたし、あなたのピアノで心も落ち着いているようです」
「え、あ……」
「あなたに来ていただいて良かったです」

 クリフさんはそう言って私に頭を下げた。

「──この調子で目の手術を受けることにも前向きになってもらえればいいのですが」
「……!」

 手術という言葉に胸がドキッとする。
 殿下が目の手術を受けることにしたら……私は。

(用済み……)

「───そ、そうですね!」

 この時、チクッと痛んだ胸に気付かないフリをして私は笑顔で答えた。

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