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2. 婚約破棄されて悪役にされた令息
しおりを挟むその音と声に何だ何だ? と私も周りの人達も音のした方へと視線を向けると、会場の片隅で抱き合う男女を前にして床にへたり込んでいる一人の令息がいた。
床にへたり込んでいるその令息も、私と同じように頭から水がポタポタ垂れているので、グラスが割れる音もしたし、水をかけられたのかもしれない。
(……さっきまでの私を見ているみたい)
私はぼんやりとそう思った。
───あっちは、何の騒ぎだ?
───また、婚約破棄という言葉が聞こえたぞ?
いったいどこの誰がジョーシン殿下に続いてまたまた婚約破棄なんて言葉を叫んでいるのか? 誰もが興味津々だった。
しかし、その声の主を見て私も周りの人達も驚いた。
(ミンティナ王女殿下!?)
婚約破棄を叫んでいたのは、正真正銘この国の王女。
ジョーシン殿下の妹にあたるミンティナ王女殿下だった。
王子と王女が揃って婚約破棄!?
つまり、あそこで水をかけられてへたり込んでいるのは、王女の婚約者のディライト・ドゥラメンテ公爵令息か!
と、人々は驚いた。
王子のジョーシン殿下は、アーベント公爵令嬢のシャルロッテ。
王女のミンティナ殿下は、ドゥラメンテ公爵令息のディライト。
とそれぞれ婚約している事は誰もが知る事実。
(まさか、王女殿下まで……婚約破棄?)
私はまだぼんやりとした頭でその様子を見ている事しか出来ない。
「ディライト? よく、お聞きなさい! わたくしは真実の愛を見つけましたの」
「真実の愛……?」
「そうよ! ここにいる彼は貴方のように冴えない男とは大違いなのですわ!」
「ミンティナ……いや、これはあなたの命れ……」
「気安くわたくしを呼び捨てにしないで頂戴! わたくしはもう貴方とは婚約破棄すると言ったでしょう!?」
ミンティナ王女殿下は高らかにそう叫んだ。
「……ミンティナ殿下。その隣にいる方があなたの真実の愛の相手だと?」
「えぇ、そうですわ! 誰かは貴方も知っているでしょう?」
「知ってはいますが……彼は……」
ミンティナ王女殿下を抱き抱えるその男性の姿を見て、誰もが驚いた。
それは、もちろん私も。
(……何で、彼なの!?)
先程、同じ様にこの場で高らかに婚約破棄を叫んだジョーシン殿下の隣にいたのは、イザベル・プリマデント男爵令嬢。
変わった髪色と可愛らしい容姿であっという間に社交界の噂になった令嬢。
そして今、ミンティナ王女殿下の隣にいるのは、マルセロ・プリマデント男爵令息。
そう。イザベル嬢の双子の弟だった。
こちらも変わった髪色と整った容姿で社交界の噂を掻っ攫っていった令息。
プリマデント男爵家の双子が、王子と王女と身分差を超えて懇意にしているというのは専ら噂となっていたけれど、まさか公爵令嬢と公爵令息を袖にするなんてこの時まで誰も想像していなかった。
「ディライト、それに聞きましてよ? 貴方はまるで悪役のような男性ですわね!」
「……は?」
ドゥラメンテ公爵令息は意味が分からないという顔をした。
と言っても、彼はもっさりとした重めの前髪という髪型のせいであまり表情は分からないのだけど。
(ドゥラメンテ公爵令息、ディライト様はもっさりした髪のせいで表情や考えている事が読めないとして、有名だものね)
「しらばっくれても無駄でしてよ! 貴方、わたくしがマルセロ様とお話した後、彼に向かって“この男爵家風情が!”などと口にしていたそうではないの!」
「殿下……僕が男爵家なのは本当の事ですから」
「まぁ! マルセロ! そんな事は関係ないくらいあなたは魅力的な人よ!」
うっとりとした顔でプリマデント男爵令息、マルセロ様を見つめるミンティナ王女殿下の目は明らかに恋する女性の目そのものだった。
「その他にもネチネチと嫌がらせを行っていたと聞くではないの! 貴方はわたくしが降嫁する先として相応しくありませんわ! ですから、婚約は破棄ですわ!」
「いや、だから待ってくれ、ミン……」
「失礼しますわ! 行きましょう、マルセロ」
「はい、殿下」
ミンティナ王女殿下はそれだけ言って何かを言いかけたディライト様の言葉を遮ってマルセロ様と去って行く。
ディライト様はそんな二人を呆然とした様子で見ていた。
(……びっくりした、殆ど私と同じじゃないの……)
私はたった今、自分も同じ目に合っていた事を忘れてしまいそうになるくらい目の前の光景に釘付けになっていた。
───まさか、王女殿下まで……
───公爵家の令息も令嬢もよほど駄目だったんだな
───言っちゃ悪いけど、確かにディライト様って冴えないお方だものねぇ
(皆、好き勝手な事を言っているわ……!)
聞こえて来るその言葉に凄く腹が立つも、私自身も嘲笑の的になっているのだと気付く。
───公爵家で王家の婚約者だからって二人とも大きい顔をしていたようだけれど、両家とも終わりね!
「……」
これまで、私をチヤホヤしていた人達が簡単に手のひらを返してくる。
(そっか。誰も“私”なんて見ていなかった)
ジョーシン殿下の婚約者。
アーベント公爵家の令嬢。
それだけだったんだ。
じわっと涙が溢れそうになる。
(この人達の前で泣きたくなんか無いのに!)
そう思った時だった。
バサッと音がしたと思ったら視界が急に暗くなった。
「……?」
何が起きたのか分からず呆然とする私の耳元で声がした。
「泣くな。ここで、泣いたら負けだぞ?」
「……!」
「この上着は濡れていないから泣くなら見えない所でしろ」
(この声は……ディライト様?)
いつの間に彼は立ち上がって移動していたのか。
何故か彼は私に上着をかけて話しかけていた。
あまりの驚きのせいで涙も引っ込んだ。
「立てるか?」
「は、はい……」
ディライト様にそう言われて私は立ち上がろうとするけれど、未だに足が震えていて上手く立てない。
「無理そうだな」
「す、すみません……」
「……無理もない。悪いが失礼するぞ」
「へ?」
そう言うなり、ディライト様は私の足裏に手を回しそのまま持ち上げた。
(ぇぇえええええ!?)
「落ちると危ないから暴れるな。文句は後で聞く」
「……」
「とにかく今はこの場から離れよう。アーベント公爵令嬢」
驚いてパニックになっている私は頭に上着を被ったままコクコクと頷く事しか出来ない。
何が何だかよく分からないまま、私はドゥラメンテ公爵令息のディライト様に抱き抱えられて、混沌としたパーティー会場を後にする事になった。
王子と王女による婚約破棄の二連発に、件の悪役呼ばわりされた公爵令息と令嬢が共に連れ立って姿を消すという事態にパーティー会場は騒然となった、と後に聞いた。
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