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「……!」

  ビクッと思わず身体が震えてしまった。
  今、お医者様は私に向かってソフィア・イッフェンバルド男爵令嬢と言ったわ。
  これは聞き間違いではないと思う。

  (嘘でしょう?)

  まさかの名前。
  思い浮かんだけど私の中で違うわと消した名前。
  でも、違っていなかった?

「……?  どうかしたか?」
「い、いえ、何でもありません。診察をお願いします」
 
  私の様子に怪訝そうな顔を見せていた先生は「そうか?」と呟き、そのまま診察を開始した。
  その間、私は懸命に頭の中で考えた。


  ───ソフィア・イッフェンバルド男爵令嬢。
  私は彼女の事を知っている。でも、それは現実世界の話では無い。
  彼女は私が大好きだった小説……の登場人物の1人──……

  (私は夢でも見ているのかしら?)

  そう思いたかったけれど、夢にしてはリアル過ぎる。
  こっそり、頬をつねってみたけれど……痛い。やっぱり夢じゃない。

  よく分からないけれど、これは私が物語の世界の登場人物に転生し、前世の記憶を取り戻した……?  そういう事なのだろうか。
  私の記憶の中でもそういった類の物語、ゲームの世界のキャラクターに転生するという話はとても人気だった。
  
  これは、そういう事なの?
  ……だとしても。

  (こんなのは酷すぎるわ……)

  何故なら、ソフィア・イッフェンバルド男爵令嬢は、この物語に出てくるだけの脇役令嬢に過ぎない。
  そう。主人公ではない脇役。それもただの脇役では無い。大事な大事な役目を担っている。
  そんな脇役令嬢ソフィアの大事なお役目は、と言うと……

  ───主人公であるヒーローとヒロインの為に殺される事、だ。

  ソフィア・イッフェンバルド男爵令嬢は、物語の序盤で早々に殺されてしまう令嬢。
  この彼女の死がきっかけとなって物語は進んでいく。
  登場する回数は決して多くないうえ、すぐに死んでしまうのに挿絵でも描かれていて物語としても重要な役どころという何とも皮肉な登場人物。

  (有り得ない!)

  小説の物語の中に転生した、それだけでも有り得ない話なのによりにもよって、殺される運命しかないソフィアになるなんて!
  それに……

  (転生した、と言うのなら記憶にある中の“私”は……)

「……」

  私はなかなかこの現実を受け止められないでいた。






「まだ、脈の乱れ等を感じられますが、意識もはっきりしているようなので大丈夫でしょう」
「良かったわ」
「先生、ありがとうございます……」

  お医者様の言葉にお父様とお母様も安心した様子を見せる。
  それだけソフィアを心配していたのだと強く伝わって来た。

「……」

  それよりも、私はずっと気になっている。
  “今はいつ”なのか。
  物語は開始しているのだろうかーー?

  トリアは私……ソフィアがお茶会で倒れたと言っていた。それも“毒”を飲んだからだと。これは明らかな事件だ。
  
「あぁ、ソフィア。マッフィー殿も無事だったそうだ。安心するといい」
「え?  マッフィー様?」

  お父様のその言葉に私は大いに動揺した。

「そうだよ。彼もソフィアと同じお茶を飲んでいたからね。それと誰が毒を仕込んだのかは今、捜査が──……」

   (マッフィー!)
 
  マッフィー・ミスフリン。
  ミスフリン侯爵家の嫡男。彼は物語の中でのソフィアの婚約者。

  ──あぁ、やっぱりこの世界はあの小説の世界なんだわ。

  お父様がこの毒殺未遂事件に関して捜査の状況など色々説明してくれていたけれど、今の私にはあまり頭に入って来なかった。




*****


「お嬢様、もう動いて大丈夫なのですか?」


  お医者様からの許可が出たので庭を散歩しようと思って起き上がり、支度をしていたら、トリアが心配そうに訊ねて来た。
  心配してくれるその気持ちは有難いけれど、いつまでもベッドの上にいたら身体が鈍ってしまう。

「大丈夫よ。庭に出るだけだから」
「……ですが」

  私……ソフィアが倒れて目覚めてから今日で約一週間。
  ここまでの期間で、ようやく私は前世の記憶と今の記憶が重なってこの状況をだいぶ理解するまでに至っていた。

  そうして分かった事。
  それは、まだ物語は開始していない、という事だった。
  正確に言うと、今は物語が始まる半年前。
  小説の中では書かれていない部分。

  (だから、この今回の毒殺未遂が物語の本編に関係あるのか無いのかも分からない)

  物語の中で殺されたソフィアの事件の犯人は知っているけれど、今回の件は本当に不明だ。

  (まぁ、無関係では無いでしょうけども……)

  今回死ななかったのも、まだその時期では無いから、そんな気がしてならない。

「そう言えば、お嬢様。マッフィー・ミスフリン侯爵子息様がお嬢様のお見舞いの為に訪問したいと申し出ているそうなのですが……」
「お見舞い?」

  庭を散歩しているとトリアがマッフィー様の話を始めた。

「お父様はなんて?」
「お嬢様に任せるそうです」
「……」

  それは会いたくなければ会わなくてもいい。そう言っている。

「私はお断りしたいわ。そうね、今回だけでなく今後も彼とは……」
「……そうですか。せっかくのお嬢様への求婚者だったのに残念です」

  トリアは明らかに肩を落としていた。

  ──そう。今は物語の開始、半年前。
  それは幸いにも私とマッフィー様はまだ婚約前だった。
  ちょうど、今は彼からの婚約の申し出があったばかり。先日のお茶会は互いを知る為にと開かれたお茶会だった。

  (まだ、マッフィー様との婚約前!)

  その事が分かった時、私は思った。
  今ならこの物語を……私が殺されてしまう物語の運命を変える事が出来るんじゃないかって。

  何故なら物語の中でソフィア・イッフェンバルド男爵令嬢が殺された理由は、まさにソフィアがマッフィー・ミスフリン侯爵子息の婚約者だったから。


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