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39. この時を待っていました
しおりを挟む王妃様は部屋全体を見回すと軽くため息を吐く。
「……なんとまぁ、ここまで愚かだったとは」
そう小さく呟くとコツコツと足音を鳴らしながらこちらに向かって来る。
(……愚かって言ったわ)
それは誰に向けた言葉?
シオン様? それとも陛下? どちらの事なの? それともそこに這いつくばっているエイダン様?
私は不安な気持ちで横にいるシオン様の顔を見上げる。
「フレイヤ? そんな不安そうな顔をしてどうした?」
「だって、王妃様が……」
シオン様が優しい手つきで私の頬をそっと撫でた。
その優しい手に安心しながらも私の不安は完全には消えてくれない。
私たちは今日まで王妃様と話せなかった。
だから、陛下が言った“賛同”は得られていない。
私が思っている通りの考え方をする“王妃様”なら賛同いただけると思ってはいるけれど、でも、いざとなるとやっぱり不安で仕方がない。
(だけど、シオン様からは動揺している様子が感じられないわ)
私の頬を優しく撫でるその手は震えている様子も緊張も感じられない。
そうしているうちに、足音はどんどん近付いて来ていて、私たちの目の前で止まる。
シオン様と私は慌てて離れると、その場で腰を落として礼を取った。
「ははは、王妃よ。そうだろう? シオンは愚かな奴だとそなたも思うだろう?」
「……」
陛下は王妃様の発した“愚か”という呟きはシオン様に向けたものだと解釈し、安心したように笑っている。
「たとえ、いくら他の物事が優秀だとしても、やはり魔力の面ではシオンはエイダンには劣るからな」
「……」
「それが仕方なく王太子と認めてやったと同時に私に退位を迫るとは……図々しいにも程があるだろう?」
「……」
陛下のシオン様を馬鹿にするような独り言に対して王妃様は何も答えない。
チラッと陛下の顔を見るだけに留めていた。
内心では色々と思うことがあるはずなのに、一切顔に出さないその姿は私が“王妃教育”で教わった王妃像そのもののようにも思えた。
「シオンがいくらフレイヤ嬢を妃にするのだといっても、シオンの魔力ではおそらく二人から生まれる子の魔力もたかが知れている……王妃もそう思うだろう?」
「……」
「まさか、身分の低い令嬢から生まれる子の魔力がこんなにも極端に少ないとはな……周囲が強く反対するわけだ。私も若かったな……」
陛下のその無神経な言葉に私は苛立つ。
これは若かったで済ませられる話なの? 違うわよね?
(そもそも男爵令嬢だったアーリャ妃を側妃として娶ることに周囲が反対したのはおそらく魔力のことだけが理由では無かったと思うのだけど!?)
今すぐ陛下をエイダン様みたいに殴り飛ばしに行きたくなった。
だけど、そんな私の手を隣にいたシオン様がギュッと握る。
え? と思って顔を上げると、シオン様が静かに首を横に振っている。
(気持ちは分かるけど、今は落ち着いて……か)
そうよね……腹は立つけど今じゃない。
私も無言で頷き返してその手をギュッと握り返した。
「王妃もシオンでは不安だろう? はっきりそう言ってやれ」
「……はっきり? わたくしの気持ちを今、この場ではっきり申し上げてもよろしいのですか?」
これまで陛下の独り言を黙って聞いているだけだった王妃様が、遂に声を発して陛下に訊ねる。
「ああ! 分からずやにガツンと頼むぞ」
「ガツン……そう、ですか」
(───ん?)
気のせいかしら? 今、王妃様の口の端が軽く上がったような……?
そう思って不躾にもじっと見つめてしまっていたら、王妃様と私の目が合った。
「──フレイヤ嬢」
「はい」
「先程、そなたはその細腕でわたくしの息子、エイダンを殴り飛ばしていましたね?」
「は、はい……」
え!
もしかして今、ここでそれを咎めるの?
やっぱりあんなのでも自分の息子が殴られるのは許せなかった!?
「も、申し訳ございません。ですが、どうしてもエイダン様の言動を許すことが出来ませんでした」
「……」
謝罪はしたものの王妃様は怒り出すわけでもなく、ただ黙り込んだ。
「……あ、の?」
「───あそこまでエイダンを吹き飛ばせたのは、そなたの魔力でもある“強化”の力によるものであっている?」
「は、はい。ですが、もちろん力の加減はさせていただきました」
床や壁の時と同じくらいの力にしていたら、エイダン様は確実にお星さまになってしまう。
さすがにそれは色々とよろしくない。
「そうですか……なるほど」
王妃様は納得した様子で頷いた。
怒られるわけでもなく咎められるわけでもないその質問に私は内心で首を傾げる。
「では。そなたのその力は他人の強化も出来ますか?」
「え? は、はい。可能です!」
弱い力しかないはずのシオン様が私の傷を癒せるようになるくらいだ。
他人を強化することも可能。
なので、私は頷いた。
「そう……それなら、わたくしのこの右手をそなたが自分自身に施したように力を強化することは出来ますか?」
「で、出来ます。ただ効果は持続しませんが……」
「そうですか、それで構いません。それならわたくしのこの手にそなたが自分にかけた物と同じ力をかけなさい」
「は、い?」
「───それで、そなたがエイダンを殴った事は不問とすることにしよう」
王妃様がそう言って私に向かって右手を差し出した。
(──ええ? なぜ?)
理由が分からず戸惑いながらも私はその手に強化の力をかけた。
「───か、かけました」
「ふふ、ありがとう」
(あ、笑った!)
王妃様は軽く私に微笑んだ。
私の知っている限り、なかなか微笑みは見せないのでこれはとっても貴重!
「……い、いったい、何をしているのだ? なぜ、王妃がフレイヤ嬢に手の強化をしてもらう必要がある?」
「……」
「そうか! 王妃……なるほど! その手でシオンにエイダンの殴られた仕返しをするつもりなのか?」
「……」
「やはり、情けなくともエイダンは我らの息子。考えが足らない所は多々あるが魔力も豊富で、こんな身の程知らずなシオンよりも───」
「……陛下」
王妃様が陛下の言葉を遮った。
陛下は不審に思いながらも聞き返す。
「……なんだ?」
「わたくしは、あなたの元に嫁いでから……いえ、嫁ぐ前からでしょうか。常々思って来たことがあります」
「ん? そんなにも前から思ってきたことだと?」
「ええ……」
「随分と、今更だな」
嫁ぐ前から───そう言われた陛下は不思議そうに首を傾げた。
確かに。そうなると何十年……かなり長い。
「そうなのです。実は、わたくし……ずっとこの時を待っておりました」
「……は? 待っていた? 王妃は何を言っている? いったい何をだ?」
「───何をって」
(あ、また笑った!)
王妃様は微笑を浮かべると、一旦言葉を切った。
そしてすぐに王妃様の右手がすっと振り上げられた。
(───ん? 王妃様? 何をして……?)
そんな、つい先程どこかで見たような光景に、部屋の空気もあれ? となる。
「もちろん、あなたにこうする事です───!」
「……なっ!?」
その言葉と同時に振り下ろされた王妃様の固く握られた右手の拳は、それはそれは綺麗に陛下の左頬へとめり込んだ。
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