5 / 26
第5話
しおりを挟む茹でダコ妻……いえ、お飾り妻となる予定の私が旦那様(予定)の領地に身を移してから、早いもので一週間が経とうとしていた。
ようやく、伯爵家の人々は嫁イビリなど考えておらず本気で歓迎されているという事を実感し、あれやこれやも落ち着いたので、とうとう私達の婚約誓約書を提出する事になった。
(ついに旦那様(予定)が、旦那様(仮)になる時が来たわ!)
ちょっとした興奮状態でその日の朝は目が覚めた。
「おはようございます、旦那様(予定)!」
「あぁ、アリス……おはよう」
この一週間で知ったのだけど、旦那様(予定)は、どうやら寝起きがあまりよろしくないらしく、今朝も眠そうな顔で目を擦りながら食堂へとやって来た。
私は目覚めのコーヒーと、朝食を旦那様(予定)の前のテーブルに並べる。
自分の目の前のテーブルに並べられたお皿を見た旦那様は、眠そうだった目を大きく見開くと、その後、お皿を三度見した。
「……!?」
三度見して、これは自分が寝ぼけている訳では無いらしいと理解した旦那様(予定)が、顔を上げて真っ直ぐ私を見つめて来た。
そんな旦那様(予定)に見つめられて、私は胸がドキッとした。
トキメキのドキッではなく、後ろめたい事がある時のドキッだった。
(バレた……!)
「……アリス。これは何だ?」
「…………えっと、私が作った朝ご飯になり損ねたもの……でしょうか」
「アリスが作った……朝ご飯になり損ねた…………もの?」
そう呟いた旦那様(予定)はもう一度お皿に目を落とす。
「……」
「……」
あぁ、今、私の心臓は盛大にバクバク鳴っているわ!
(ここはやっぱり“こんなもん食えるかぁぁ”って怒られてしまうのかしら?)
決してこれは旦那様(予定)への嫌がらせなんかでは無いのよ。
今日は特別な日だから、新妻(予定)らしく、旦那様の朝食の用意をしてみようとしただけ。
そうしたら、焦げ焦げの料理が出来上がってしまっただけ。
これでも私は一生懸命作ったわ。
(そう。ただただ、残念な事に私が壊滅的に不器用だっただけなのよ!)
「何故、朝食……に、なり損ねたものが私の皿にある?」
「旦那様(予定)の分だからです…………一応」
「……」
沈黙。
やっぱり怒るわよね……
使用人に無理言って手を出したんだろ、何やってるんだーーって。
お飾り妻はお飾り妻らしく大人しくしてろーーって。
そんな風に怒られる覚悟を決めていたのに、何故か旦那様(予定)の関心は別の方に向いてしまった。
(あれ?)
旦那様(予定)は、私の前に並んでいるお皿をじっと見る。
「なぁ。アリスの皿の方には、もはや、単なる炭にしか見えない塊があるのだが?」
「え? あ、そうですね。こっちはもっと酷い事になりまして。ですから、私の分にしましたの」
「酷い事って……アリス……」
(あぁ、今度こそ、怒られる!)
そう思ったのに。
……ポンッ
何故か頭に手を置かれた。
「……? 旦那様(予定)?」
「いや……アリスは、何でも出来そうな顔をしてるのに、実はすごく不器用だったんだな、と思ってな」
「……」
「そのギャップが何だか妙に、か…………いと…………コホッ! と、とにかくだ。私の皿の焦げ焦げ作品の方はまだ食べれる所はあるが、アリスの分の皿に乗ってる炭は食べたらダメだ。絶対にお腹を壊す」
「!」
何と!
怒るのではなく、私のお腹の心配を始めた旦那様(予定)。お飾り妻に対してなんて優しいのかしら。
ですが、心配ご無用でしてよ!
好き嫌いを言っている場合では無い没落寸前の貧乏令嬢のお腹は、毒以外ならお腹を壊さずに食べられるようになりましたのよ!
「あ、ありがとうございます…………ですが、ご安心くださいませ! 自慢ではありませんが、私のお腹はとてもとても強いのです!」
私は自信満々に堂々と胸を張って答える。
「なっ……」
旦那様(予定)は絶句した後、「そういう問題じゃない!」と、頭を抱えた。
「いやいやいや、アリス。だが、これはどこからどう見ても炭だ。お腹が強いから平気とかそういう話ではないだろう?」
「いいえ、旦那様(予定)。男爵家でも、たまに私が失敗してこうして炭を何度か作り上げておりましたの。その時は仕方なく……」
「た、食べていたのか!?」
旦那様(予定)が青ざめている。
「さすがに全部は無理でしたわ。食べられそうな所だけ……です」
「……アリス」
貧乏なので、そんな我儘は言えないのですよ、旦那様(予定)。
……まぁ、炭料理は私が食材に触れなければ起こらない事なので、お父様にはキッチンへの接近禁止令を出されてしまいましたけども。
(環境が変われば、私も上手く出来るのでは? なんて思ってしまったけれど、現実は甘く無かったわ……)
「ところで何で、苦手だと自覚のある料理をしようと思ったんだ?」
「…………」
「アリス」
こういう時の旦那様(予定)は逃がしてくれない。
(改まって聞かれると恥ずかしいのに)
「……き、今日は……その、私達の婚約誓約書を出しに行く……予定、じゃないですか」
「? あぁ、そうだな」
「せっかくなので、な、何か記念になる事を……したかったんです!!」
「!?」
私が恥ずかしさを堪えてそう言うと、旦那様(予定)は何故か固まった。一方の私も私であまりの恥ずかしさに顔が上げられない。
「……」
「……」
「アリス……」
「……はい」
そっと顔を上げると、ずいっと目の前に差し出されたのは、私が作った焦げ焦げした旦那様の朝ごはん。
「……えっと?」
こんなもん要らん! 食えるかぁぁ! と言っているの?
と、少しだけ悲しく思ったのだけど……
「口を開けろ。一緒に食べるぞ!」
「え?」
(一緒に!?)
私がポカンとしている内に、旦那様(予定)は、私の口に焦げ焦げした物体Xを放り込んで来た。
「味はどうだ?」
「…………ちょっと苦いです」
「そうか。どれどれ……どんなだ」
そう言って旦那様(予定)も、物体Xを口に運ぶ。
「ふむ。確かに苦いし香ばしいな……」
「うぅ……」
「アリス」
私が申し訳ない気持ちでいっぱいになり俯いていると、旦那様(予定)が優しい声で私を呼んだ。
そろっと顔を上げると旦那様(予定)はまた、微笑んでいた。
「どうだ? これでちょっとは記念になったか?」
「……っ!」
その言葉に私が驚いていると、旦那様(予定)はしてやったりという顔をしてまた、私の口に物体Xを放り込む。
「ほら、もう一口だ」
「~~~!!」
何だか胸の奥が擽ったくなって、それでいて焦げ焦げで苦いはずの物体Xの味までもが、よく分からなくなってしまい、私は大いに戸惑ってしまった。
こうして、私の白い結婚生活が本格的に始まったのだけど────
112
お気に入りに追加
4,835
あなたにおすすめの小説
婚姻契約には愛情は含まれていません。 旦那様には愛人がいるのですから十分でしょう?
すもも
恋愛
伯爵令嬢エーファの最も嫌いなものは善人……そう思っていた。
人を救う事に生き甲斐を感じていた両親が、陥った罠によって借金まみれとなった我が家。
これでは領民が冬を越せない!!
善良で善人で、人に尽くすのが好きな両親は何の迷いもなくこう言った。
『エーファ、君の結婚が決まったんだよ!! 君が嫁ぐなら、お金をくれるそうだ!! 領民のために尽くすのは領主として当然の事。 多くの命が救えるなんて最高の幸福だろう。 それに公爵家に嫁げばお前も幸福になるに違いない。 これは全員が幸福になれる機会なんだ、当然嫁いでくれるよな?』
と……。
そして、夫となる男の屋敷にいたのは……三人の愛人だった。

もう、愛はいりませんから
さくたろう
恋愛
ローザリア王国公爵令嬢ルクレティア・フォルセティに、ある日突然、未来の記憶が蘇った。
王子リーヴァイの愛する人を殺害しようとした罪により投獄され、兄に差し出された毒を煽り死んだ記憶だ。それが未来の出来事だと確信したルクレティアは、そんな未来に怯えるが、その記憶のおかしさに気がつき、謎を探ることにする。そうしてやがて、ある人のひたむきな愛を知ることになる。
婚約破棄を、あなたのために
月山 歩
恋愛
私はあなたが好きだけど、あなたは彼女が好きなのね。だから、婚約破棄してあげる。そうして、別れたはずが、彼は騎士となり、領主になると、褒章は私を妻にと望んだ。どうして私?彼女のことはもういいの?それともこれは、あなたの人生を台無しにした私への復讐なの?

純白の牢獄
ゆる
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」
華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。
王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。
そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。
レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。
「お願いだ……戻ってきてくれ……」
王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。
「もう遅いわ」
愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。
裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。
これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。
公爵令嬢は逃げ出すことにした【完結済】
佐原香奈
恋愛
公爵家の跡取りとして厳しい教育を受けるエリー。
異母妹のアリーはエリーとは逆に甘やかされて育てられていた。
幼い頃からの婚約者であるヘンリーはアリーに惚れている。
その事実を1番隣でいつも見ていた。
一度目の人生と同じ光景をまた繰り返す。
25歳の冬、たった1人で終わらせた人生の繰り返しに嫌気がさし、エリーは逃げ出すことにした。
これからもずっと続く苦痛を知っているのに、耐えることはできなかった。
何も持たず公爵家の門をくぐるエリーが向かった先にいたのは…
完結済ですが、気が向いた時に話を追加しています。
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定

【完結】真面目だけが取り柄の地味で従順な女はもうやめますね
祈璃
恋愛
「結婚相手としては、ああいうのがいいんだよ。真面目だけが取り柄の、地味で従順な女が」
婚約者のエイデンが自分の陰口を言っているのを偶然聞いてしまったサンドラ。
ショックを受けたサンドラが中庭で泣いていると、そこに公爵令嬢であるマチルダが偶然やってくる。
その後、マチルダの助けと従兄弟のユーリスの後押しを受けたサンドラは、新しい自分へと生まれ変わることを決意した。
「あなたの結婚相手に相応しくなくなってごめんなさいね。申し訳ないから、あなたの望み通り婚約は解消してあげるわ」
*****
全18話。
過剰なざまぁはありません。
いつか彼女を手に入れる日まで
月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる