上 下
6 / 43

6. 翻弄されて

しおりを挟む


 私はジョエル様の上着とハンカチを腕の中でギュッと抱きしめる。
 そして思った。

(どうして、こんな時でもあなたはそんなに“無”でいられるの!?)

 こう……もう少しリアクションがあるでしょう!?
 どう聞いても私の両親がおかしなことを言い出したのよ!?

「……」

(と、言ってもねぇ)

 とりあえず、反応がよく分からないジョエル様は置いておくとして、私はお父様とお母様の顔を見る。
 そして、すぐにこんなことを言い出した理由を理解した。

(ああ、そうか……)

 ギルモア侯爵家に婚約破棄の慰謝料を払いたくないから、なのね?
 それがあまりにも悔しくて私は唇を噛む。

(──この人たちは、人の気持ちを何だと思っているの?)

 お父様とお母様は続けて言う。

「セアラ。分かるだろう?  そうすればギルモア侯爵家との話は丸く収まる!」
「──お父様。はっきり言ったらどうですか?」
「なに?」

 私の怒りのこもった低い声にお父様が眉をひそめた。

「いくら請求されたのかは知りませんが───ギルモア侯爵家に慰謝料を払えないからだ、と!」
「……!」

 お父様がぐっと押し黙る。
 すると代わりにお母様が声を上げた。

「いいじゃない!  どうせ、セアラはこんなことになって次の縁談なんて望めないんだから!」
「!」

 お母様のその言葉に、ズキッと胸が痛んだ。
 それは確かに私も考えたこと。
 私はただ婚約者に裏切られて捨てられた……だけじゃない。 
 “結婚式”で捨てられた花嫁だから。

 お母様の言葉に私が一瞬怯んだのを見たお父様がハハハと笑う。

「セアラとパターソン伯爵家との話はもう破談なんだ。ならば姉の代わりに妹を差し出す。そうすればギルモア侯爵家との縁談の話は破談させずに済む!」

 やっぱり本音はそこだった。

「セアラ───でも役に立てるんだ、喜ばしいことだろう?」
「っっ!  お父様!  そんなの喜べるわけな……っっ!」

 お父様は立ち上がって私の目の前に迫って来るとガシッと腕を掴んで揺さぶってくる。
 その手にはギリギリとかなりの力が込められていて、とても痛い。
 耐えられず声を上げた。

「お、お父様……い、痛っ……い」
「───なぁ、分かってくれるだろう?  セアラ?」

 お父様は訴えているのに、ギリギリ……更に爪まで食い込ませてくる。

「いっ!  お父様……手、離し……」
「セアラ!  お前さえ、お前さえ今ここで縦に頷けば慰謝料問題は解決するんだ!」

(───私の話、全然聞いてくれていない!)

 ギリッ
 あまりの腕の痛さに辛くて顔をしかめた。
 こんなの分かるとか以前の問題。

「……っっ」
「さぁ、セアラ。うな…………ぐぁぁ!?」

(うなぐぁぁ?)

 お父様のそんな変な叫び声と同時に、掴まれていた腕から手が離されてようやく痛みが和らいだ。
 びっくりして目を開けると、目の前でお父様がジョエル様に腕を取られて掴まれていた。

(……え、ええ!?)

「ぐおっ!  ギ、ギルモア侯爵令息!?  な、何をする!?」 
「……」
「痛い!  は、離せ!  おいっ!  ぐぉぉ」

 ジョエル様は無言でギリギリとお父様の腕を捻って締め上げている。
 その光景を私は呆然と見つめた。

(い、痛そう……)

「おい!  なんで答えない!?  聞こえている、のだろう!?  いっ……くっ、やめ、離……せ」
「……」
「ひっ!?」
「あ、あなた!」

 ジョエル様にジロッと睨まれたお父様が情けない悲鳴をあげる。
 お母様は真っ青な顔のままお父様に声をかけるけど、その場からは動かない。
 パターソン伯爵夫妻はその場でオロオロしているだけ。
 そして、ジョエル様の父親。
 ここまで、何故かずっと息子同様、なんのリアクションもせずに無言を貫いていたギルモア侯爵家当主は───……

「───ジョエル」

 ここで初めて口を開き、息子の名を呼んだ。
 その言葉がなにかしらの合図だったかのように、ジョエル様は無言でパッとお父様から手を離す。

「ぐわぁ!?」

 突然、手を離されたお父様がその場に尻もちをついて転がった。

「ち、畜生!  な、何をする! !  こんなことをして───」

 真っ赤な顔で起き上がったお父様がジョエル様に向かって文句をつけようとしたその時。

「───ワイアット嬢」
「は、い?」

 名前を呼ばれたと思って振り返ったと同時に、ふわっと私の身体が浮き上がった。

(…………ん?)

 事態を理解するまでに数秒を費やした。
 浮いた?
 なんで私の身体が浮いた?
 そして、ジョエル様の顔がこんなにも近く───……

(だ、抱き抱えられているーーーー!?)

「お、おい!?  何をして……」

 戸惑うお父様の声。
 私も、え?  なんで!?  という気持ちで焦ってワタワタしていると、ジョエル様が口を開いた。
 その声は淡々としている。

「怪我」
「え?  怪我って……」
「伯爵にやられただろう。手当が必要だ」
「てあ……」

 そこで私はお父様に掴まれていた腕を思い出す。

(驚きすぎて痛みが吹き飛んでいたわ……!)

「行くぞ」
「行く……?」

 私はパチパチと目を瞬かせる。
 いや、どこにーーーー!?
 そんな声を上げる前にジョエル様は、私を抱えたままバーンと部屋の扉を蹴り開ける。

(足癖!)

 あまりの足癖の悪さに唖然としていたら、ジョエル様は振り返って自分の父親を呼んだ。

「──父上」
「……ああ」

 腕を組んでコクリと頷くギルモア侯爵。

(は?  今のは会話!?  成立したのーー!?)

 何だこの親子……と思っていたら、我が家の執事が慌てて駆け寄って来る。

「セアラお嬢様!?  どうかされましたか!?」
「医者」
「は、い?」

 ジョエル様に睨まれて執事が固まる。

「令嬢は怪我をしている。医者を呼んでこい」
「け、怪我でございますか!?  ど、どこを……」
「いいから早く!」
「は、はいぃぃ、ただいまーー……」

 クワッと勢いよく睨まれて執事は慌てて回れ右をした。
 そこでようやく私は彼に向かって声をかけた。

「ジョエル様……!」
「……」

 ジョエル様は無言で顔を上げる。
 その顔はなんだ?  と言っているような気がしたので私は続ける。

「医者を呼ばせているのですか?」
「そうだ。伯爵のせいで怪我をしただろう?」
「……」

(強く掴まれただけ!  確かに今も痛みはあるけれど!)

「……腕、ですよ?  足ではありません。なのに……なぜ、だっ、抱き……」

 この抱っこは何事……?
 恥ずかしさがピークを迎えようとしていたので訊ねずにはいられない。

「……」
「……」

 ジョエル様は、しばし無言になったあと、ようやく口を開いた。

「怪我をしている女性はこうして運ぶ……」
「はい?」
「…………違うのか?」

 私の反応に怪訝そうに眉をひそめるジョエル様。

(ちょっ……また、変に知識が偏っているーー!)

「……と、時と場合……によるかと……思い…………マス」
「……」
「す、少なくとも今の私は……自分の足で歩け……ます、よ?」
「……」

 そう言えば降ろしてくれるはず──そう思ったのだけど……

「───そうか」
「!?」

 そう言ってジョエル様はそのままスタスタと廊下を歩き出す。

(ええええ……!?)

 ここは降ろすところ! 
 降ろすところじゃないんですか!?
 なんでこの方は、平然とそのまま歩き続けているの!?

(……あ!)

 頭の中が大パニックになりながらも、ふと気付いた。
 ──今、どこに向かっているのだろう?  と。

「ジョエル様?  今はどちらに向かわれているのでしょうか?」
「……!」

 ピタッと足を止めるジョエル様。
 この様子は何も考えていなかったに違いない。

(だって、あなた我が家に来るのは初めてだもの)

 ジョエル様は困ったようにキョロキョロしながら私に言った。

「すまない……どこか手当を出来る部屋を……」
「では、私の部屋───」
「駄目だ!」

 何故かすごい勢いで却下された。

「えっと……?」
「む、むやみやたらと女性の部屋に入るわけにはいかない!」
「……」

 私は目をパチパチと瞬かせる。

「…………ソ、ソウ……デスカ」
「ああ」
「……デハ!  え、えっと、そこの部屋が空いていますので───」

 私はその辺の空いている部屋を指さして案内しながら思った。

(───この方に対する教育……主に女性関係……はどうなっているわけ!?)





 部屋に入るとジョエル様は抱えていた私をそっとソファに降ろした。

「大丈夫か?」
「……え、ええ、ありがとうございます……」
「医者が来るまでは安静にして歩き回らない方がいい」
「……」

(……痛いのは腕ですよ?)

 ジョエル様はそれだけ言って私から離れると部屋の入口へと移動した。
 もちろん、部屋の扉は開いたまま、だ。

「……」
「……」

 部屋の中はしばらく無言の時間が続く。
 ズキズキ……

(こうして静かにしていると改めて腕が痛いと感じるわね……)

 かなり強く掴まれたし、爪もくい込んでいたから、確かに診てもらった方がいいのかもしれない。
 そう思った時、呼ばれた医者が慌ててやって来た。

「───怪我をしたと聞きましたが?」
「あ、はい…………多分」
「多分ではない!  間違いなく怪我だ!」

 私が弱々しく答えたら、ジョエル様がキッパリと訂正し医者に向かってそう告げる。

「そうですか。で、では、様子を確認しましょう。怪我の場所は……」
「腕です」
「腕……」
「……」

 私と医者はそのまま黙り込んだ。
 お父様に掴まれた腕を診せるにはドレスを脱がないといけない───……
 そう思った私は、じっと無言で様子を見守ってくれているジョエル様に顔を向ける。
 私と目が合ったジョエル様は首を傾げた。

「どうした?」
「ジョエル様。あの、私……ドレスを……」
「ドレス?」

 一瞬、怪訝そうな顔になったジョエル様。
 しかし、すぐに意味を理解したのか、無表情が崩れてボンッと顔が赤くなった。

(…………え!)

「す、すすすすまない!  俺は外で待つ!」

(耳が真っ赤!)

 ジョエル様はバッと勢いよく顔を背けるとそのまま部屋の外へと勢いよく走っていった。

「……えええ!?」

(とりあえず、すごいものを見た……)

「───これはまた、純……面白い方ですね」
「……え、あ、はい……」

 医者がクスクス笑いながらジョエル様の背中を見ながらそう言った。

「言葉はなくとも、しっかり診ろ、誤診は許さんと言わんばかりの圧を感じましたので、余程、お嬢様のことを心配しているようです」
「し……心配、ですか……」

 その言葉は何だかとても照れくさかった。




 そして、診察と治療を終え医者が帰った後、おそるおそる部屋に入って来たジョエル様。

「だ、大丈夫、だったか?」
「はい。そこまで大きな傷にはなっていませんでした」
「……」

 私がそう言うとジョエル様は明らかに安堵した様子を見せる。

(本当に心配してくれていたんだ───……)

「……」
「……」

 再び照れくさい気持ちになっていたら、ジョエル様が少ししてから口を開いた。

「───ワイアット嬢。先程の婚約……の話の件なのだが」
「!」

 その言葉に私はハッとして顔を上げた。
しおりを挟む
感想 259

あなたにおすすめの小説

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

完】異端の治癒能力を持つ令嬢は婚約破棄をされ、王宮の侍女として静かに暮らす事を望んだ。なのに!王子、私は侍女ですよ!言い寄られたら困ります!

仰木 あん
恋愛
マリアはエネローワ王国のライオネル伯爵の長女である。 ある日、婚約者のハルト=リッチに呼び出され、婚約破棄を告げられる。 理由はマリアの義理の妹、ソフィアに心変わりしたからだそうだ。 ハルトとソフィアは互いに惹かれ、『真実の愛』に気付いたとのこと…。 マリアは色々な物を継母の連れ子である、ソフィアに奪われてきたが、今度は婚約者か…と、気落ちをして、実家に帰る。 自室にて、過去の母の言葉を思い出す。 マリアには、王国において、異端とされるドルイダスの異能があり、強力な治癒能力で、人を癒すことが出来る事を… しかしそれは、この国では迫害される恐れがあるため、内緒にするようにと強く言われていた。 そんな母が亡くなり、継母がソフィアを連れて屋敷に入ると、マリアの生活は一変した。 ハルトという婚約者を得て、家を折角出たのに、この始末……。 マリアは父親に願い出る。 家族に邪魔されず、一人で静かに王宮の侍女として働いて生きるため、再び家を出るのだが……… この話はフィクションです。 名前等は実際のものとなんら関係はありません。

白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。  無言で睨む夫だが、心の中は──。 【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】 4万文字ぐらいの中編になります。 ※小説なろう、エブリスタに記載してます

【取り下げ予定】お幸せに、婚約者様。私も私で、幸せになりますので。

ごろごろみかん。
恋愛
仕事と私、どっちが大切なの? ……なんて、本気で思う日が来るとは思わなかった。 彼は、王族に仕える近衛騎士だ。そして、婚約者の私より護衛対象である王女を優先する。彼は、「王女殿下とは何も無い」と言うけれど、彼女の方はそうでもないみたいですよ? 婚約を解消しろ、と王女殿下にあまりに迫られるので──全て、手放すことにしました。 お幸せに、婚約者様。 私も私で、幸せになりますので。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

貴方が側妃を望んだのです

cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。 「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。 誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。 ※2022年6月12日。一部書き足しました。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。  史実などに基づいたものではない事をご理解ください。 ※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。  表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。 ※更新していくうえでタグは幾つか増えます。 ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

妹と寝たんですか?エセ聖女ですよ?~妃の座を奪われかけた令嬢の反撃~

岡暁舟
恋愛
100年に一度の確率で、令嬢に宿るとされる、聖なる魂。これを授かった令嬢は聖女と認定され、無条件で時の皇帝と婚約することになる。そして、その魂を引き当てたのが、この私、エミリー・バレットである。 本来ならば、私が皇帝と婚約することになるのだが、どういうわけだか、偽物の聖女を名乗る不届き者がいるようだ。その名はジューン・バレット。私の妹である。 別にどうしても皇帝と婚約したかったわけではない。でも、妹に裏切られたと思うと、少し癪だった。そして、既に二人は一夜を過ごしてしまったそう!ジューンの笑顔と言ったら……ああ、憎たらしい! そんなこんなで、いよいよ私に名誉挽回のチャンスが回ってきた。ここで私が聖女であることを証明すれば……。

処理中です...