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36. この先にある希望
しおりを挟む完全に不安は拭えなかったものの、それからの私は各所の診療所に出向き、必要な事を伝え回った後は、お世話になった診療所で手伝いを継続させてもらう事になった。
もちろん、定期的に他の診療所も見回りながら。
と言っても医術の心得のない私は診察に関わる部分の手伝いは無理なので、主に患者の受付、案内や誘導、そして雑用含む清掃や洗濯が主な仕事だった。
「前から思っていたのですが、フィオーラ様のその清掃に関する知識と手際の良さはいったいどこで身に付けたんですか?」
「はい?」
空いた時間に清掃をしていたら、サリーさんが変な目で私を見てきて、そんな事を聞かれた。
何て答えにくい質問を……
「屋敷の者に聞いたのです」
「うーん、知識は分かりますけど、実際のその動きは話を聞いただけでは無理ですよね?」
「……」
痛い所をつかれてしまった。
けれど、これ以上は答えようが無い。
「でも、いいです。追求はしません。何か事情があるんですよね!? なので、もうフィオーラ様はちょっと変わった貴族のお嬢様だと思う事にします!」
「……」
私が返答に困っていたら、サリーさんは一人でそう結論付けたようだった。
それでいいのかしら? と思ったけれど、これ以上余計な事を言ってボロが出てしまったら大変なので私もそれ以上は何も言わなかった。
変わった貴族のお嬢様……出回ってるであろう私の噂に新たな噂が追加されそうな気がした。
床を磨きながら、3度目の人生を思い出した。
雑用も清掃も洗濯も苦だと思わないのはこの時の経験があるからだろう。
生きていく為には自分で出来るようにならなくてはいけなかった。
「まさか、今世でもする事になるとは思わなかったけれどね」
あの時は追放生活が始まって、とにかく生きていく事に必死だった。色々な事を覚えた。
でも、病が広がってしまってその生活は長くは続かなかった。
あの頃の私が感染した理由は治療施設で働いていたからだと分かるけれど……
薬も無く、予防対策も甘く日に日に感染者は増えていく毎日だった。
(それを思うと今回は……違う)
やはり、薬の効果は大きい。
王宮の薬師さん達は、完全な特効薬の開発が間に合わなかった事を嘆いていると伝え聞いたけれど、それでも彼らが開発した薬は確実に人々を救ってくれていた。
そして私の感染の原因。
これが何とも奇妙な事になっていた。
あの日まで外出していなかった私が、それまでに接触したのは家族と使用人のみ。
あの後、屋敷の者達全員を検査して調べた。
たった一人だけ、症状が出ておらず感染していた使用人がいた。
私との接触もあった事から、そこから感染していたのだろうと推測は出来たものの……
実はこれまでの様々な研究からも症状が出ていない人間からの感染率は低いらしい。
ただし、低いだけで無いとは言えない。だから、私の感染はこの使用人からで、症状が無い人からの感染なので私も症状が軽かったのではないかと結論づけられてしまった。
疑問は大いに残ったまま。
なら、何故私は意識不明だったの?
この腕に出来た痣はどうしてなの? 軽症なのでは無かったの?
必要最低限の使用人とだけ接するようにもしていたのに、よりにもよってその内の1人だったなんて皮肉としか思えなかった。
痣を見ていると、どうしても3度目の人生の終わりを思い出してしまう。
そして思う。これは私に過去と同じ道を辿らせようとした何かなのかもしれない、と。
メイリン男爵令嬢は、私が死ぬ運命だと言った時、確かに病の事も口にしていたのだから。
その事はしこりのようにずっと私の心に残り続けた。
そして、私が倒れてからだいたい約3ヶ月後。
猛威を奮っていた流行病は終息の兆しを見せ、ここ1週間は新規の患者は殆どいなくなり、だいぶ落ち着いた。
私の診療所の手伝いも終わりとなり、日常へと戻っていく。
そして、学園の再開も無事に決まった。
「おはよう、フィオーラ」
「おはようございます、レインヴァルト様」
今までのように迎えに来てくれたレインヴァルト様と少し懐かしく感じるいつもの挨拶を交わした。
──そう。私は今もレインヴァルト様の婚約者という立場のままだった。
あの日言われたように私の立場は当然、厳しい物になった。
ただ、それは本当に色んな意見があって収拾がつかなくなったと言う。
もちろん、家族にも叱られ泣かれ、その後は当たり前だけど、私の生活には色々制限がつく事になった。
当然の報いなので文句は無かった。二度と同じ過ちを起こさない為にも私はしっかり反省しないといけない。
そして、揉めに揉めた私とレインヴァルト様の婚約続行は、最終的にある貴族の一言で収まったと言う。
フェンディ公爵が追放されてから新たに宰相の地位に付いた方。
──そして、その方こそが、あの日私が助けた男性の主人だった。
彼は私の軽率な行動や考えをかなり厳しく責めながらも、一人の人間としては感謝したいと言ったそうだ。
あの日の男性はあと少し治療の開始が遅れていたら、助からなかったとそうだ。(現在は無事に回復)
そういう経緯もあり、とりあえず私の立場はそのままとなった。
もちろん、いつでも引きずり降ろされる可能性は多いに秘めているけれど。
ちなみに「次は無い」と宣告していた陛下は何故か最初から最後まで何も言わなかったと言う。
(真っ先に今度こそ婚約破棄を命令されると思ったのに……)
それだけが、どこまでも不可解だった。
……レインヴァルト様はその理由を何となく察しているようだけど、教えてはくれなかった。
ただ、一言「別にフィオーラを認めたとかそういうんじゃないんだろうけどな」とだけ呟いていた。
学園に着きレインヴァルト様のエスコートを受けて馬車から降りると、すごく注目を集めていた。
「え……」
「……想像より凄いな」
注目を集める理由として思い当たるのはやはり今回の私の行動に関する事なのだろう。
やはりどこにいても私への視線は厳しい。私は自分で引き起こした結果をしっかり受け止めなくては……
「まぁ、悪い意味での話も広がってるけど、同時に別の話も広がってるしな」
「へ?」
そう決意を新たにしようとしたら、レインヴァルト様がよく分からない事を言い出した。
別の話とは?
「王宮の薬師室がフィオーラが2年前から薬の開発に関わってた事を公表したんだよ」
「え?」
「フィオーラの言葉があったから薬の開発はここまで来たんだ、とな」
「何故? ……でも……それに私のあれは……」
私は首を横に振りながら答える。そんなこと言ってもらえる器じゃないのに。
薬の開発の件は、あの時の私はただただ自分が生き残りたかっただけ。
だから薬の開発を願った。
誰かの為じゃない。
「確かにフィオーラが何もしなくても薬の開発は始まってたかもしれない。だが、もっと遅かっただろうな。もしかしたら、間に合わなかったかもしれないぞ。それにお前の話があったからこそ新しい解熱剤は開発されたんだろ?」
「……」
「今のフィオーラは、良い話と悪い話の両方が広がって、ある意味時の人となってる状態だな」
それでも私がまだまだ駄目な事は変わらない。
私がそんな事を考えていたら、
「フィオーラ」
レインヴァルト様が優しく私の名前を呼ぶ。
私はゆっくり顔を上げた。
「経緯は色々あったが、冤罪も流行病も乗り越えた。確実に未来は変わっていると思わないか?」
「……それは、思います」
私のその答えを聞いたレインヴァルト様の顔はどこか嬉しそうだった。
****
未来は変わっている──
そう思っても油断は禁物。
きっとこの“世界”にとって私は邪魔者で。
隙あらば、私を殺そうとしてくるのではないだろうか?
帰りの馬車の中でそんな事を悶々と考えていた。
「フィオーラ」
「ふぇ!?」
考え事に耽ってしまっていた私をレインヴァルト様の声が現実へと戻してくれた。
「考え事が長くないか?」
「そ、んな事無いですよ?」
「俺を見ろ」
「はい?」
「いいから、ごちゃごちゃ余計な事を考えてねぇで、俺を見ろって言ってんの」
ごちゃごちゃ余計な事……
レインヴァルト様には、私が何を考えてたのかお見通しなのだと思う。
「レインヴァルト様……」
しばらく見つめ合った後、レインヴァルト様は私を引き寄せて軽く額にキスをする。
「……」
久しぶりに少しだけ甘い時間が続いた。
「そう言えば、ずっと気になっていた事がありまして」
レインヴァルト様から少し離れて、私は考え事ついでにずっと気になっていた事を訊ねる事にした。
「何だ?」
「レインヴァルト様は過去2回、私の冤罪をどうにかしようとしたけど、何故か出来なかったと言っていました」
「あぁ、そうだな。完全に言い訳じみてるが」
レインヴァルト様が苦渋の表情を浮かべながら頷く。その時の事を思い出しているのかもしれない。
「ならば何故、今世は食い止められたのでしょう?」
「え?」
「噂は広がるには広がりましたけど、あの頃のように取り返しのつかない事態にまでは行きませんでしたよね?」
「……」
後に陛下に婚約破棄を命じられそうにはなったけれど、殿下の言うほど何も出来なかった感じはしなかった。メイリン男爵令嬢にだって反撃出来たわけだし。
「……俺だけじゃダメだったのかもな」
「え?」
レインヴァルト様がどこか遠くを見つめながら言った。
過去を思い出しているのかもしれない。
「フィオーラが諦めないで立ち向かったからじゃないか?」
「……」
「2度目や3度目の時のように、反論する事を諦めて黙って冤罪を受け入れたりしなかったから」
「だ……だから、今世はその謎の力のようなものに抗えた、と……?」
私の声はどこか震えていた。
そんな私の言葉にレインヴァルト様はそうだと力強く頷いてくれた。
──諦めなかったから未来を変えられたのかもしれない。
その事実は私の心に力をくれた。
それなら、この先も生きていく希望を抱く事が出来る。
私が生きる事を諦めさえしなければ、きっと。
「あとは……関係あるか分からねぇんだけど」
「?」
「……力を使って時を戻した時、今回はいつもと違う現象が起きたんだ」
「違う現象、ですか?」
「最後の力だし、巻き戻し期間も3年にしたからだとばかり思っていたが……」
そう言ってレインヴァルト様は首を傾げる。
私は気になってしまい、その先が聞きたかったので促す。
「どんな現象が起きたのですか?」
「……音が。音がしたんだ。パリンッと、何かが割れるような音。それまで力を使った時はそんな音はしなかった」
「音、ですか……」
聞いてもよく分からない現象だった。
ただ、何となく感じたのはその割れる音こそが、過去2回レインヴァルト様を苦しめた抗えない何かからの脱却の一部だったのではないかと思った。
レインヴァルト様もはっきり口にはしなかったけど、同じ事を考えているような気がした。
冤罪事件も流行病も終わり、謎の抗えない力に少しでも対抗出来ていたらしい事。
確実に良い方向へと未来は変わっていた。
過去の私の死因は乗り越えた。
だからと言って警戒を緩めたつもりは無かったけれど、
結局、私は何処かで油断していたのかもしれない。
もうきっと大丈夫……これ以上は何も起こらない、と。
だけど、本当は気付くべきだった。
あの日、メイリン男爵令嬢との接見の日に彼女が言っていた言葉を。
ただの戯言だと思って遮ってしまったあの言葉の続きを───
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